第82話:騎士の帰還

 シリウスのご機嫌を手っ取り早く直すのは眠ってもらうのが一番だと、オスカーは温めたハチミツ入りのホットミルクで安眠へと誘い、熟睡するのを確認してからそっとシリウスの部屋を出た。

 ずるずると扉の外でへたり込み、深いため息をついた。

 しかし、疲れているはずなのに眠気が来ない。体にまだ緊張感が残っているからかもしれない。

―――多分、シリウスが泣いたのを、初めて見たから………かな。

 僕らは勝手に、彼女が女王であるが故に心まで強い女だと思うようにしている。何かしらの罰を受けることは覚悟していたが、罰を受けるよりも辛い

 これからも彼女を悲しませることになるかもしれない。玉座に座るということは、王冠を頂くということは、その悲しみすらも日常にするということだ。

「陛下はもうお休みになったか?」

「テオ………」

 寒さが増してきたにも関わらず、軽装に着替えた飛龍の騎士は騎士団への諸々の報告や連絡を終えたらしい。

 休みなく馬をとばして来たにも関わらず、彼の顔に疲弊の様子はない。

「さっき、ようやく」

「そうか。陛下と皆への報告は明日にしよう。フィオーレもまだ目が覚めていないからな」

「そうだ、フィオーレは大丈夫なの?」

 気を失ってから目が覚めていないなんて、余程体に負担がかかることをしたのだろう。

「リャンが診たところ、魔力を多量消費による気絶だとか。俺は魔術が専門外だから分からないが、体を十分に休めれば明日には目を覚ますらしい」

 魔力の消費がどれ程か、オスカーには検討も付かないことだが大事ないようで安心した。

「良かった。それに、これ以上シリウスの機嫌が悪くなったらどうしようかと」

「陛下のご機嫌がどうした? 体調でも優れないのか?」

 自分たちの行いのせいでシリウスが色々と不安になって泣いてしまったなんてことを言ったらどうなるか。オスカーは墓穴を掘った迂闊な自分の口を打ち抜きたくなった。

 シリウスの一大事となると追及せずにはいられないテオは、無意識に柄に手を置いた。

「———っ」

 後ずさりしたオスカーにテオは詰め寄り、再び問うた。

「何かあったんだな?」

 周りに人がいないことを確認して、オスカーはテオとフィオーレが不在の間、蛇がシリウスを襲ったこと、もう騎士団で聞いているだろうが、大司祭が亡くなったこと、ジョラス・トラッドを捕らえ損ねて殺されたことを正直に伝えた。

「ジョラス・トラッドを捕らえれば泥ネズミをどうにかできると思って、アリスタとリゲルと僕と、街角の人たちに協力してもらって………」

「それを陛下たちには内密に、か。トニトルスで結束したことを三人とも忘れていたようだな」

「それは、本当にごめん」

 テオは呆れて深いため息をついた。

「言いたいことは色々ある。功を焦った若気の至り、なんてことは、命があったから言える言葉だ。陛下に言えないなら、俺かリャンに必ず言え。さっきリゲル卿にも忠告しておいた」

「え、リゲルにも?」

 決して良好ではない相手から、親切心とはいえ忠告されたとあれば、リゲルがどういう反応したのか想像しただけでオスカーは背筋が凍った。

「ああ。『あんたがいつまでも捕まえないからだ』と言い返されたがな。彼は、七星卿の中でも一番冷静で公平な対応が取れる。その力は陛下のお傍でこそ役立てて欲しいと俺は思う。アリスタ卿もリゲル卿も、責任感が強い。立場上、そうせざるを得なかったのだろうが、今はまだ命を懸ける年じゃない」

「———」

 テオはオスカーの肩に手を置いた。その手は大きく、力強い。彼がどれだけの理由で剣を握ってきたのか計り知れない。

「俺としては、君たちにはもう少し長生きして欲しい。せめて陛下が成人されるまでは。いいか、君たちは俺から見ればまだ子どもだ。命を捨てるような真似は決してするな。命の捨て時を考えるには、時間と経験が必要だから」

フェーリーンに名高い飛龍の騎士とはいえ、テオもまだ三十路前だ。まるで自分の命は捨ててもいいような言いぐさではないか。若輩ではなくとも十分な若者だ。しかし、納得はできないが、理解はできる。

一歩、いや、ほんの数秒何かが違えば、町民どころか三人とも命を落としていた。

「アリスタの作戦に乗ったことに後悔はしていない。でも、テオの帰りを待ってから作戦に移すこともできたのに、そうしなかった。危険だと、分かっていて挑んだ。ごめんなさい」

 オスカーの謝罪に、テオはよし、と肩を叩いた。

「俺もすまなかった。早々に奴を捕らえるべきは俺の役目だった。後回しにすべきではなかったし、騎士団にも協力的になるよう、説得しておくべきだったな」

 テオは深々と頭を下げた。

「そんな! 七星卿が勝手に動かないようにするって皆で決めていたことだし。それを反古にしたのは僕らだから。テオが謝ることじゃない」

「ならば、皆の責任だな」

 思いのほか大きい声が出たオスカーは慌てて手を抑えた。扉越しとはいえ、就寝したばかりのシリウスが目を覚ましてしまうかもしれない。

「明日は、大司祭の葬儀だからな。早めに寝なさい」

「うん、そうするよ。って、テオは部屋に戻らないの?」

 テオは首を傾げた。

「今日と明日の護衛は俺が担当だからな。お休みになったのであれば、扉の外で警護をさせて頂こう」

 予定では今夜のシリウスの護衛の当番はアリスタだったはずだ。

「帰って来たばかりで? 護衛なら僕とヴェロスで………」

「いや、これくらいはさせてくれ」

「でも、二日も眠ってないんじゃ」

「ミザリエル(テオの馬)で揺られている間は十分休める。気にするな」

 テオの言葉に甘えて、オスカーは自室に戻り、泥のように眠った。

 翌日、オスカーは昼過ぎにカルマとシリウスに起こされた。

 

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