第81話:涙の理由
翌日の真夜中。
空は灰を飲んだように淀んでいた。一日中秋の長雨が降りしきり、王都も城も水の底のように静まり返っていた。
城の厩舎に馬が二頭止まり、程なくして西の居館の扉が叩かれた。
テオとフィオーレが帰還したのだが、フィオーレは死んだように眠っており、意識がはっきりしない状態なのだという。テオは騎士団に色々と報告を聞かねばならず、休む暇がないらしい。
連日連夜の疲労からリャンとカルマは深い眠りについており、彼らを除き、皆がフィオーレの部屋に集まった。
アイギアロスで知ったことの報告、フィオーレの身を案じて集まったはずが、アリスタとリゲルとオスカー三人が昨日起こした事件の顛末がシリウスの耳に入ってしまった。
「お前ら、何をしたか分かっているのか! また、お前が勝手に―――」
シリウスはリゲルを睨んだが、二人の間にアリスタが割って入った。
「今回は俺だ。勝手にリゲルを責めんなよ」
騎士団からジョラス・トラッドの遺体の噂が瞬く間に広がり、その日姿がなかったアリスタたちの身なりが汚れていたことから、シリウスに誤魔化すことが出来なくなったのである。
「作戦失敗も、ヘマも認める。オスカーとリゲルを巻き込んだことも含めてな」
「何故、私に相談しなかった!」
一方的に怒りをぶつけられて黙っていられる程、アリスタが寛容ではないことを思い出すのが遅かった。
「ちょっとあんた被害妄想が過ぎるぜ。何でもかんでも自分主体で語るなよ。今回の件は確かに失敗だが、あのくそ野郎が死んだのは間違いないんだからな。
俺があんたに相談しなかったのは、あんたが身内を信じすぎる。俺だけじゃない。王国より祖国を優先する連中の集まりだって分かってたはずだ。当てが外れたが、俺はリャンを疑ってたからな」
いつもならば強気に言い返すはずのシリウスは俯いたままだ。それに違和感にいち早く気が付いたのはオスカーだった。
「———私はそんない頼りないか」
顔を上げた少女の琥珀色の瞳から流れたそれに、その場にいた誰もの血の気が引いた。
「———っ」
———泣かせた。
ぼろぼろと涙を流したシリウスはそれを隠すように拭ったが、とめどなく流れるそれを止めることができずに戸惑っていた。
―――いつもこれ以上のこと言ったり言われたりしているだろうが!
アリスタは色々と文句を言いたかったが、泣かせたということに、ただ動揺し狼狽えるしかなかった。
「今回ばかりはお前が悪い、アリスタ。リゲルも、オスカーも同罪だ。俺も怒っている」
「な、何だよ。言わなかったのがそんなに許せないのかよ」
ヴェロスは呆れて深いため息をつき、アリスタ、リゲル、オスカーの頭を小突いた。
「違う。自分の知らないところで、さっきまでいた奴が消える恐怖はよく分かるだろう」
「———、それは………」
アリスタはヴェロスの怒りの意味が分かり、シリウスをちらりと見た。
少女は未だ泣き止まず、少し拗ねたように目を擦っている。
アリスタは頭をがしがしと乱暴にかきむしり、深呼吸を一つした。
「ああ、ああ、もう! 俺が悪かったよ。あんたに相談しなかったことも、リャンを疑ったことも、オスカーとリゲルを巻き込んだのも!」
アリスタは頭を下げた。
「私は、別に………。謝って欲しいんじゃない」
震える声で絞り出したシリウスの返答に、アリスタは困惑した。
「え? 俺の渾身の謝罪は?」
オスカーはシリウスの言葉の真意が分かった気がした。
―――ああ、きっと。シリウスは知らなかったんだ。自分の身近な人が傷つくことが、こんなにも怖いのだと。もしこれが自分の命令で誰かが命を落としてしまったら。その未来が訪れる日が来るのではないかと、恐怖した。
その恐怖と無事であることに安堵して、心がぐちゃぐちゃに乱れたのだろう。
そして、それは彼らがシリウスの中で大切な人になっている証拠だ。
涙をぬぐい、シリウスは毅然とした態度へと戻った。
凛としたその金色の瞳に潤んだ涙が光を差した。
「———二度と私を心配させるな、分かったな!」
シリウスはアリスタ、リゲル、オスカーにレイピアの鞘で脳天を軽く叩いて、シリウスは急ぎ足で自室に戻っていった。
今回ばかりは非を認めざるを得なかった。危険だと分かっていて
オスカーは慌ててシリウスの後を追いかけた。もちろん、彼女のご機嫌を取るためだ。
アリスタは脇に流れた冷や汗を拭い、苦笑いした。
「ああ、びっくりしたぁ。いやあ、正直死を覚悟したね。まあ、死線をいくつもくぐりぬけてきた俺からすればあのくらいの危機は―――」
「誰に説明しているんだ、お前」
「惚れた弱みか、アリスタ卿」
突如現れた寝起きのリャンに、うぎゃあと汚い悲鳴を上げたアリスタは、ひっくり返った。
「女の涙で肝を冷やすとは貴殿もまだまだだな」
「いきなり背後に立つなよ! 色々出ると思った!」
ふう、と何かを誤魔化しながら挙動不審に頭を揺らした。
「おい、血が出てないか?」
ヴェロスの指摘にアリスタは肩に触れた。驚いた衝撃で閉じたばかりの肩の傷が開いて布を通り越して血が滲み始めていた。そしてアリスタは指先についた自分の血を見て気絶した。
ヴェロスは呆れるのを通り越してすさんだ目でアリスタを見下ろし、麻袋のように東の居館へと引きずった。
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