閑話:燕の巣(6)


 昼食後、シリウスのハンドベルで呼び出されたオスカーは暫く時間を置いてから扉をノックした。

 シリウスの部屋は歴代の王が使っていたものではない。広くはあるが、豪華絢爛なものではない、彼女は風通しが良く、王都を見渡せる眺めの良い部屋を選んだ。かつてその部屋を使用していたのはベルンシュタイン王家の六代目当主にして、高原王クレイモアのみだという。長らく談話室として使用されていたが、入念な掃除と新しい寝具と調度品を仕入れた。女王が日々を過ごすにはあまりにも質素であるが、本人が関心がないから仕方ない。

 バルコニーの窓は開け放たれ、相変わらず目もくれていないドレスが椅子の上に積みあがっている。

 シリウスは寝具の上で寝そべっていた。今日が幸いにも公務はない。

「遅い」

「いや、やっぱり遅れて入って正解だよ。絶対さっきまで服着てなかっただろ?」

 床が水浸しになっているところを見ると、風呂上りらしい。

 まったく、と文句を言いながら手持ちの布でオスカーは床を拭いた。

 シリウスは真昼に風呂に入ることが好きだった。そのために汗を流しているのではないかと思う程に、だ。風呂上りにすぐにベルを鳴らし、服も着ないまま部屋の中をウロウロしていたのだろう。部屋中に足跡の水滴があり、その上毎回のことでオスカーは顔をひきつらせた。

「まさかと思うけれど床を拭かせるために呼んだんじゃないよね?」

 いくら女王とはいえこんな人の使い方は許されるものではない。シリウスは仰向けのまま、天井を見つめながら呟いた。

「聞いたか、オスカー。反則だってさ」

 ああ、アリスタに言われたことを気にしているのだろう。

「気にすることないよ、シリウス。アリスタは負けたのが悔しくてああ言っただけだ」

 しかしシリウスの声は楽しそうだ。天井に手をかざして指の隙間から差し込む光を見つめ、まるで初めて砂浜に降り立った少女のように笑っている。

「違う。私のこのベルンシュタンイン王家の、力というのか。魔術と縁遠いものからすればこれは気味が悪いもの、らしいんだが。奴ら、内心どうかは分からないが、好奇な目で私を見ることはなかった。それが、その………何というか。嫌な気分にはならなかった」

―――素直じゃないな、本当に。

オスカーは呆れて深いため息をついた。

「嬉しい、でいいんじゃないかな」


「ああ、そうだな。私は………嬉しいんだな」

 シリウスはそうか、と何度も嚙み締めていた。


 一つ、オスカーには気になることがあった。

 アリスタの態度だ。確かに一見すれば不敬そのものだが。

―――もしかして………。

 あの若き海賊はシリウスに気があるんじゃないだろうか。

 意地悪な言い方をするのも、実力を試すということで突っかかるのも、好いた女の子の気を引きたい男子特有の行動じゃないだろうか。

 そう仮定すれば彼の言動に全て合点がいく。

 玉座を奪うだとか、女王に相応しいかどうか認めるとか、謁見前に豪語していたくせに、一向にその気配を見せず、それどころかシリウスの気を引くような行動ばかりだ。

 リゲルやシリウスはどこか年不相応の大人びたところがあるが、アリスタはその逆だ。もうすぐ十五になるらしいが、どうも言動は幼く見える。ヴェロスといる時はそうは見えないが、何故シリウスの前だとあのように軽薄な感じになるのだろう。

―――黙っていればカッコイイんだけれど。

 オスカーはアリスタの顔立ちは七人の中で一番カッコイイと思っていた。

 フェーリーンには数多くの人種がいるが、アリスタはそのいいとこ取りをしているように見えるのだ。それもそのはず、チャービル家は人種を問わない婚姻を繰り返してきた一族だ。純血を重んじる名家と違い、奪い混じり広がることをモットーとするチャービル家は海賊の祖と言われるカナンの民をはじめ、グラシアール人、サザーダ人、黒曜人、ニーヴォラスカ人など、複数の人種が混じっている。

 グラシアール人の血が混じっているためか、カナンの民のように背丈は低くないし、肌はサザーダ人のように日差しに強く、ニーヴォラスカ人のように髪は柔らかい。身軽なところは黒曜人の血なのだろう。

 そしてその環境で育った故か、アリスタは黒の国の母国語である黒曜語が流暢に話せた。稀にリャンとはそちらの言葉で会話しており、その光景を目撃した時には皆揃えて目を丸くしたものだ。

 隠れた才能に溢れているのだが………。

 好戦的で負けず嫌い。人当たりはいいが、興味がなければ我関せず。

―――あの人格で台無しにするのは何とかならないものか。


 後日、オスカーはビーネンコルブ城にある工房へと足を運んだ。

 蜜で甘く味付けしたアップルパイをバスケットに入れて、彼らの手土産にしようと目論んだのである。

 工房は鎧や剣を鍛える程立派な施設ではなく、かつて城に仕えていた従者の一人が趣味のために作ったもので、場所も東の居館の中でも隅っこにあり、そこはまるで隠し部屋のようだった。扉の高さも低く、屈まなければ入室もできない。

 扉は開けっ放しだが、一応ノックをしてオスカーは入室した。

 天井は低く、手を伸ばせば十分に届く高さにある。よくもまあ、こんな部屋で男二人で入ろうと思ったものである。

 部屋の中は熱が籠っていて、扉を開けたままにした理由がすぐに分かった。

 金属を溶かすための炉があるからだ。じりじりと金属が溶ける独特なニオイと、金属同士がこすれる音。

 アリスタとヴェロスはいつも以上に軽装だ。脇が見える程短いシャツだが、汗をびっしょりとかいている。剣を交えている時よりもかいているのではないだろうか。

「何しているんですか?」

 彫金をしているヴェロス、その横でアリスタは皮をなめしていた。

「ちょっとな」

「…………」

 アリスタは手を止めてオスカーが差し出す前にバスケットのパイに気が付いて飛びついた。

「そういや、いい茶葉貰ったんだった」

いそいそと湯を沸かして軽食の準備をし始めた。

 一方、ヴェロスは作業に夢中のようだ。高熱の炎で熱した銀をコインサイズの型に流し込み、冷めないうちにタガネと槌で模様を入れている。レンズで微調整しているところを見ると、相当に細かい作業のようだ。

「うっめえ!」

 沈黙が常である工房でアリスタの歓喜の声が響き渡った。しかしヴェロスは動じてもいない。

「アリスタ卿、ヴェロス卿の分もとっておいてくださいよ。二人に持ってきたんですから」

「分かってるって!」

 本当に分かっているのだろうか? 二切れ、三切れ目と口に頬張って、高価な茶葉の紅茶をあろうことか冷や水で抽出して、ごくごくと豪快に飲んだ。その飲みっぷりはまさに海賊。

 しかしオスカーの言いつけ通り、パイは半分残しているし、ヴェロスの分の紅茶もポットに用意している。

「このパイ旨かったぜ! この間のひき肉のやつも旨かったけどよ、今回のは甘いしさっぱりしてんな。あれだろ、隠し味に砕いた胡桃入れただろ! 俺好きなんだよなぁ。ありがとな! また作ってくれよ」

 口元に食べカスを付けたまま満面の笑みで言われては、誰でも断ることはできまい。

―――こういうところだろうなぁ。

 人に好かれるのも分かる気がする。恐ろしいのはアリスタのこういうところはわざとではないところだ。つまり彼の幼い性格は表裏一体なのだろう。

 この愛想の良さを少しでもシリウスにあれば、と脳裏をよぎった。

 一方、窮屈な場所で騒がしくしていてもヴェロスは眉一つ動かさない。性格が真逆と言ってもいいこの二人は何故いつも一緒にいるのか、七星卿の謎の一つである。

 ヴェロスは作業に一段落ついたのか、息を一つついて、出来上がった銀細工を見比べては、満足か不満か分からぬ表情をしている。

 ヴェロスは無言でオスカーに銀細工をぐい、と見せつけた。

 花や雪、ドラゴン、王都そしてベルンシュタイン王家の象徴である王冠を頂くミツバチなど様々な文様の銀細工。どれも細かい凹凸で見事に再現されており、光の加減でよりリアルに見える、不思議なデザインがされている。両端には穴があるので、革紐を通せばブレスレットやチョーカーになりそうだ。

「………」

 ヴェロスは無言でそれらを差し出してきた。どうやら好きなものを選んでいいということらしい。オスカーは散りばめられた星のデザインのものを選んだ。ヴェロスはそれに皮ひもを通すから手首を出せと促した。

 アリスタは椅子をずるずると引きずってオスカーとヴェロスの無言の会話の中に入った。

「こいつは火の魔術が使えるんだぜ」

「どうしてお前が自慢気なんだ」

「なんだっけ、キャビア?」

 どうしてこの話の流れで魚卵の名前が出てくるのだろう。

「お前覚える気がないだろう」

「もしかして火の魔術師フォビアのこと?」

 オスカーは自分の僅かな知識で助け舟を出した。

「そう、それそれ! こいつクラウンの称号持ってるんだと」

 冠は高位の魔術師に与えられる称号の一つで、同じく高位の魔術師に認められたことで手に入れられる。しかしそれまでの道のりは並大抵のものではなく、血族はもちろん才覚や十分な修行が必要であることは言うまでもない。ましてヴェロス程の若者でその称号を持つ者などいるのだろうか。

「昔に比べて基準が低くなっているだけだ」

「またまた、謙遜しちゃって」

「確かに、今は火の魔術師は少ないんでしたっけ?」

 九代目の王、メノリアス王が小国の独立を認めたと同時に、危険視された火の魔術は禁じられた。故に火の魔術師は非常に貴重な人材なのである。まして冠の称号を持つ者となると、フェーリーンでも指の数ほどもいないかもしれない。

橙黄の国サフランでは彫金を生業としている者が多い。自然と身についただけだ」

橙黄の国の人口の九割以上を占めるサザーダ人。彼らは器用な人が多く、身につけるものを好きな女性に贈り物をするという文化がある。女性はその贈り物でその男性を生涯の伴侶として相応しいかどうかを見極めるらしい。

「俺のは趣味だ。この城の生活は暇すぎる」

「ま、小評議会には俺たちはお役御免だし、騎士団は飛龍の騎士がいるし。図書館いったら変なおっさんいるし、城の外の方がよっぽど充実しているぜ」

 図書館の変なおっさん、というのはヘクトル・グリシアのことだろう。七星卿は皆、彼の執拗で妙な好奇心に苛まれている。何でも人心を掌握するような皮肉屋のリャンですら、彼の仕事場である図書館には立ち入らない。彼の性分をうまく利用できているのはリゲルくらいだろう。かく言うオスカーも半日彼の質問攻めにあい、二度と関わりたくないと心から願っている。

「というか珍しいな、お前が一人なんて。いつも女王陛下とカルマにべったりのくせに」

 オスカーは本題をすっかり忘れていた。

「実は二人にお願いがあって来ました」

「お願い? あ、それでパイか!」

 しまった、とアリスタは頭を抱えた。本能のままに生きていることがあだになることもあるだろう。しかしヴェロスは分かっていてパイに手を出さなかったのだろう。

「できれば、時々シリウスの、女王陛下の相手をしてあげてほしいんだけれど」

 アリスタはもちろん、ヴェロスもその依頼に口を開け、首を傾げた。

「相手とは具体的に何だ?」

「剣の稽古でも、食事でも、何でもいいんだけれど。多分、陛下は体を動かすことが性に合っているから。この間、反則って言われたのが、嬉しかったみたいで。本人は、そういうワガママを皆に言えないから」

 アリスタはわざとらしく咳払いをした。

「まあ、あの時はたまたま、偶然、俺の調子が悪かっただけであって、それで次いでに女王陛下に勝ちを譲ってあげた方がいいかなと気をきかしたわけで―――」

「お前は本当に言い訳をさせたら天才的だな。何故それが他で活かせない?」

 過剰な敬意はシリウスにとって心地よいものではない。不気味だと思われているのと同じなのだろう。

「褒めても何も出ないぜ、ヴェロス」

「褒めてない」

 本気で照れているアリスタに、ヴェロスは呆れることを通り越して少し引いている。

 正気を疑うような視線をアリスタは全く気にせず、

「ま、考えておくぜ、オスカー」

 と兄貴分の風を吹かせた。

 ヴェロスは出来上がったと、革紐を三つ編み状にして丈夫に仕上げ、ブレスレットにしてくれた。

―――何気なくプレゼントされてしまった。

 自分ではなくシリウスに先にやって頂きたかったものだが、快く受け取る他あるまい。

「ありがとう、ヴェロス卿」

 ヴェロスは自分で調整するようにと色違いに染色された革紐を数本オスカーに渡してくれた。

「俺も作ったんだぜ!」

 どうだ、と見せびらかしてきたのはヴェロスが作った繊細な銀細工とは程遠い、金製の奇抜で派手な獅子の顔のバングルだ。どうだ、と言われても、オスカーは才能と材料の無駄遣いだ、という感想しか思い浮かばなかった。

「材料を無駄にするな」

「無駄じゃねえよ。見ろよ、超強そう」

「お前、本当に頭どうかしているぞ」

 海賊が派手好きとは聞いていたが、これほどとは想定していなかった。そのうち全身、金製の鎧で城の中を闊歩するのではないだろうか。

 アリスタとヴェロスの問答がしばし続いた後、中座しようとしたオスカーをアリスタが呼び止めた。

「そういや、オスカー。お前、何でいつも闘えないフリすんだよ」

 アリスタにとってはいつもどおり、何気ない一言だった。しかしその問いにオスカーは心が揺らぎ、足が後ろにと下がっていくのはその場から逃げたいと本能的に感じたからなのだろう。

「僕は戦えませんよ。それに強いわけがない」

 誤魔化したつもりだが、アリスタは矢継ぎ早に質問を続ける。

「はぐらかすのはズルだぜ、臆病者。強くなかったらあの女王がお前を傍に置くわけがないだろ?」

 挑発するな、とヴェロスはアリスタの頭をはたいた。

 オスカーは苦笑いしてその場を去ったが、いつの間にか走り、自室の扉を勢いよく閉めていた。

―――臆病者。

 何気なく言い放ったその言葉が、オスカーの胸にしこりを残した。


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