閑話:燕の巣(5)

 シリウスの剣技を見て、その場にいる一同が驚きの表情を浮かべた。

「オスカー卿、本当に女王陛下が誰から剣を教わったか、知らないんだな?」

「どういう意味です?」

「ヴェロス卿が言いたいことも分かる。アリスタ卿も手を抜いているわけではないだろうが、陛下の踏み込みと突きの速さは齢十の少女の動きではない」

 テオドロスは感心ではなく、苦い表情を浮かべている。口を手で押さえ、どこか気分が悪そうにすら見えた。しかし眼差しは真剣そのもの。

「陛下の剣技は相手の動きを見て、次の動きを組み立てているようだ」

「慧眼だな、ヴェロス卿。体格差で負ける相手ならば、受け流すか避ける方を選択するが、陛下は敢えて受け止めることで力を図っているようだな。普通の少女の腕力では肩を痛めてしまうだろうが………」

 シリウスは同年齢の少女に比べたらむしろ小柄で華奢だ。

「レイピアは陛下の小柄な体を活かすためかと思っていたが、剣を片手で握れるところを見ると相当鍛えられているのだな」

「僕、わかんない」

 カルマはテオドロスとヴェロス、オスカーの顔を見比べて首を傾げた。

―――僕もだよ、カルマ。

 オスカーはカルマに遅れて首を傾げた。


一方アリスタは目の前の少女の剣技に見惚れる程の余裕はなかった。

―――っ、この女!

 内心悪態をついていても、顔が綻んでしまう。アリスタは想像以上の骨のある相手に心躍った。

 細腕のくせに剣撃の一つ一つが重い。

 勘も目もいい。無駄のない洗練された動き。そして全体重を剣に乗せる跳躍。

 そして、型にはまらぬ明らかな実戦経験者の動き。

 アリスタの防戦一方かと思えたが、大振りになったシリウスの虚を突いて、剣先を地面に打ち付け足で踏みつけた。

「————っ?」

 余裕の表情を見せていたシリウスもそれには目を丸くさせ、アリスタはその動揺と隙を見逃さず剣の柄に蹴りを入れた。シリウスは寸でのところで剣で防いだものの驚きを隠せていない。剣を手放しこそしなかったものの、判断が遅れていれば衝撃に耐えられずシリウスの手から剣が離れていたことだろう。

 おお、とオスカーは感嘆の声を漏らし、思わず拍手をしてしまった。なんと鮮やかな機転の利いた攻防一体の技なのだろう。戦いの経験がなければ身につかないものだ。

 シリウスがぎろりと睨んできたものだから、オスカーは思わず目を逸らしてしまった。

―――ちょっと他人を褒めただけなのに。

 シリウスの負けず嫌いが加速する。

「フェーリーンに名高い海賊チャービル家。その秘密兵器とやらはこんなものか、アリスタ卿!」

 挑発に応じられずにはいられないアリスタはにんまりと笑みを浮かべた。一瞬、目を瞑り、彼は何かを唱えた。

「———あいつ」

 ヴェロスは呆れたようにため息をついた。

「どう、したんですか?」

 オスカーの問いに、ヴェロスは目線だけ向け、言葉では答えなかった。

「………。テオドロス卿、止めるならば加勢しよう」

「いや、待て!」

 テオドロスは木造剣を手にて前に踏み出したヴェロスを制した。

―――バチン!

 何かが切り裂けるような弾ける音が、響き渡り、その衝撃音でカルマは驚きのあまりひっくり返ってしまった。

「———いっ?」

 互いの衝撃に耐えられず、模造剣が両方とも砕けたのだ。しかしその砕け方はヒビが入り折れるというものではない。ガラスのように割れたように木片が飛び散った。いくら衝撃が強くても木材の性質上、そんな砕け方はするはずがない。

 シリウスはすかさずアリスタの腹部に強い蹴りをお見舞いし、受け止めきれなかったアリスタは膝をついてしまった。

 勝者はシリウス。

 オスカーは思わず安堵のため息をつき、テオドロスはさっとシリウスに怪我がないか伺っている。ヴェロスは無様だと卑下するが、アリスタの心中はヴェロスの侮辱に応える程の余裕はなかった。

「何だ、あんたのその力」

 痺れた腕でアリスタは無礼にも女王陛下を指さした。

「腕力じゃねえ。ベルンシュタンイン王家は確かにふざけた力を持っているとは噂で聞いていたが、何だよそれ!」

「貴殿にも水の加護があるのだろう。それと同じだ」

 シリウスは勝ち誇った顔で服についた砂埃をはらっている。

「はぐらかすなよ。俺は海賊だ。水上で後れを取るわけにはいかねえ。真の海賊は海神ルカのご加護が生まれつきあるんだよ! 海神に願えばちょこっと力を貸してくれるくらいだ。だがあんたのは違う。魔術に詳しくない俺でも分かるぜ。おかしいだろ、『魔術を破壊する』なんて!」

―――魔術を破壊する。

 神に与えられ、神に許された力である「魔法」に対し、「魔術」は「魔法」を人が使える形に歪めた力である。人の知識の中で操ることができる魔術の原理を解明することはできても魔術で起きた現象そのものを破壊するのは、確かに摂理に反している。

 アリスタがおかしいと言い張るのも無理はないのかもしれない。

「負けた言い訳が随分と長いな」

「うるせ、ヴェロス! 見ろよ、これ。右腕ずっとビリビリしてんだよ! お前も受けてみろっての!」

 反則だ反則! と頬を膨らませ抗議するアリスタを横目に、シリウスは終始ニヤニヤと笑みを浮かべて優越感に浸っていた。

「どうだ、アリスタ卿。年下の女に負ける気分は」

「ま、まあ。年下の陛下に本気で戦うなんてことなんてしませんし………。けど負けは負けですから? 何なりとご命令すればいいじゃないですか?」

「勝負に勝っても貴殿に何も要求はしない。命令などいつでもできるからな」

「———っ、ああ、はいはい。負けました!」

「潔く認めるのは良いことだぞ、アリスタ卿」

 長い言い訳をした時点で潔くはないとは思うが………。

「二人はどんな魔術使ったの?」

 カルマはヴェロスの袖を引っ張り、ねぇねぇとしつこく尋ねた。

「アリスタ卿が使ったのは衝撃を軽減する魔術だ。あれが好んでよく使う。陛下の魔術は陛下に聞くといい」

 頑ななヴェロスもカルマの幼さ故の知識欲と好奇心には勝てないらしい。

「つまり?」

「つまり、砕けた模造剣は双方の魔術がぶつかり形状保持に耐えられず砕けたということだ」

「けいじょうほじ? じゃあ、負けたアリスタの剣の方が弱かったってこと?」

 カルマの解釈は正解ではないが、事実には違いない。

「———っ、どいつもこいつも!」

 後で覚えてろよ、とアリスタは三下の悪党のような悪態をついた。

 先ほどからずっと沈黙を貫いているテオドロスは、咳払いをしてアリスタの横に立った。

「訓練とはいえ陛下に剣を向けたこと、無礼千万。ここはこのテオドロスめがアリスタ卿を鍛えなおしましょう。陛下、許可を」

 にこりと笑みを浮かべているが、眉間にしわが寄っている。

「それはいい。許可しよう」

「良かったな、アリスタ」

「はい? いやいやいや、俺まだ手が痺れて握れないし、そんな飛龍の騎士でも俺の性根は治らないですし!」

 アリスタは逃げ腰で後ずさるが、ヴェロスががっちりと捕まえた。

「飛龍の騎士から直々に鍛えてもらえるのだ。光栄に思え」

 テオドロスにアリスタを引き渡したヴェロスはそそくさと退却した。

「ヴェロス、てめぇ! 後で覚えてろよ!」

日も高い時間に「燕の巣」に断末魔のような声が響き渡った。

 シリウスは行くぞ、とオスカーとカルマに声をかけ、燕の巣を後にした。後始末をテオドロス卿に全て任せる形になってしまい、オスカーは深々と頭を下げた。

 昼の鐘が鳴ったことに気が付かず、シリウスもカルマも空腹を訴えていた。

「今日はミートパイが用意されているそうです」

「それはいい。朝と同じオニオンスープを用意しろ」

「昼食の前にまずはお風呂ですか?」

「風呂の前に食べたい。空腹で眩暈がする」

「軽食、お持ちすれば良かったですね」

「僕も…………。いえ、僕は『くうふく』ではありません!」

「カルマはいつも腹を減らしているだろう。その調子で食べていたら、いずれ私の背を追い越す日も遠くはあるまい」

「はい! 早く大きくなって、陛下をお守りいたします」

 カルマはオスカーを見上げた。オスカーは頷き、シリウスの横を歩くように

 オスカーはいつも通り、シリウスの斜め後ろを歩いた。


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