第5話

 伝助は家に戻ると、便箋に手書きで――ミミズののたくったような字というのはこういう字のことを言うのだろう――、ばあさんと鈴村社長に長い手紙をしたためた。慣れないことをするから、ごみ箱は書き損じでいっぱいになった。

 次に鶴野に長いメールを送った。これにはそこまで時間がかからなかった。そのまま、スマホの電源を落とす。

 手紙をはじめ、財布とスマホ、それと貯金通帳やら契約書やらをまとめ、自室の机上に置いておく。

 家を出ようとすると、ばあさんが玄関まで出てきた。

「どこに行くの?」

 今まで、伝助が出勤のときも、見回りのときも、どこへ行くかなど気にしたことがなかった。どうやら何かを察したらしい。

 伝助が曖昧に笑って「ちょっとね」と言うと、ばあさんは伝助の肩に手を当てた。

「何時頃に帰って来るの? 夕飯はうちで食べるんでしょう?」

「うん、もしかしたら遅くなるかもしれないから、夕飯は外で食べるよ」

「だめ!」

 ばあさんがそんな強い口調で何かを言うのは初めてのことだった。伝助もあっけにとられ、ばあさんを見ている。

「夕飯はうちで食べなさい、ね?」

 伝助は嬉しそうに笑って、それから「分かったよ」と言った。

「じゃあ、夜7時ころまでには帰って来るから、それから一緒に夕飯を食べよう」

 ばあさんはいくらかほっとしたようだった。

「わかった。じゃあ、準備をしておくわね。今日は豪華にするから」

 ありがとう、楽しみ、と言って伝助は家を出た。最近のこいつは嘘つきだ。

 ばあさんはこれから海鮮やら肉やらを買いに行くだろう。そして、刺身、天ぷら、ステーキ、伝助の好きなあらゆるものをつくるだろう。もしかしたら、ケーキやシュークリームも買うかもしれない。酒だって、重いのにたくさん買ってくるだろう。そして、できた料理を食卓に並べて、伝助の帰りを待つのだろう。どこかでもう帰ってこないことを悟りながら、ずっと。

 嘘つきの伝助は、村をゆっくり一周した。その道中、道端のお地蔵さんの前で足を止め、供え物を置くためのお皿を優しくひっくり返す。曲がり角の盛り塩をそっと裏返す。いつだったかじいさんが話していた、竹やぶの中の祭壇に布をかぶせる。こいつは順番に、鬼門の封印を外しているのだ。

 五つすべての鬼門を開いた後、こいつは村の中心部に向かった。

 じいさんが昔見せてくれたのは、鬼門の位置にマーカーを引いた村の地図だ。五つの鬼門を線で結ぶと、村の中央の山――山と言っても藪に近く、めったに人は立ち入らない――で全ての線が交わる。

 伝助は藪にどんどん近づいていく。こいつの中では、何かがどうしようもなく壊れてしまったのだ。大人しく、ばあさんと生活しながら、村長を支えながら、鈴村社長に支えてもらいながら、鶴野や亀谷や熊田と仲よくしながら、生きていく道もあったはずだ。

 鶴野は、鬼門が開かれたらどうなるのか、と聞いた。伝助は、知らないと嘘をついた。あのとき、こいつは何かを予期していたのだろうか。

 鶴野へ送ったメールには、鬼門を閉じてほしい旨とその方法を打ち込んでいた。彼女の行動力ならば、明日にでも亀谷と熊田を引き連れてやって来るはずだ。

 藪の中は、蚊やブヨや、よく分からない虫と草でいっぱいだった。よほどのことがない限り、ここへ足を踏み入れようとは思わない。

 伝助は藪の中心へと進んでいく。夕日のせいか、藪の中もオレンジ色の光で照らされ、妙に明るい。セミの声が聞こえる。

 線の交わる丁度真ん中へ踏み込んだとき、砂がこぼれるように、伝助という存在は掻き消えた。

 バカたれ。

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