第3話
昔、じいさんのゼミに所属していたという若者たちがやって来たのは、伝助とばあさんの生活が、おおよその落ち着きを取り戻したころだった。
若者たちは三人、ツルノ、カメガイ、クマダ――冗談のように、生き物の名前でそろっていた。後でわかったことだが、三人とも伝助と同い年だった。
鶴野は三人の中で代表格らしいはつらつとした女性で、訪問してもいいかという連絡をよこしたのも彼女だった。細身のジーンズに黒いシャツという飾らない服装だ。長い黒髪を後ろで高めに束ね、常にはきはきとしゃべる。
亀谷は、眼鏡を掛けた大人しそうな女性だ。ふんわりとしたスカートにTシャツを合わせ、服装だけでなく雰囲気もどこかふわふわとしている。
熊田はその名の通り、熊のようなずんぐりとした男性だった。鶴野と亀谷のかげで大人しくしているが、話を振られると的確に返し、聡明で安心感を与える存在だ。
三人は、堅実なじいさんのイメージとかけ離れた伝助の見た目に驚いた様子ではあったが、すぐに打ち解けた。
「私たちは、斎藤先生のところで口承文芸の研究をしていたんです」
三人が線香を上げた後、縁側に並んでお茶をすすっていると、鶴野が言った。
「ゼミ生は結構多かったんですか?」
「いえ、やはり近代以降における文学の分析とか、古典の有名どころの研究が人気で、斎藤先生のゼミはどちらかというとこぢんまりとしていました。でもかえって、それがちょうどよかったんだと思います」
「確かに、じいちゃんはよくゼミ生とフィールドワークとやらに行っていました。大人数だと、あれだけフットワークは軽くできないですね」
亀谷と熊田もうなずく。聞くところでは、この三人はゼミの中でも特に熱心で、フィールドワークには常に同行していたらしい。そして、社会に出た今でも趣味程度に資料探しを続け、時々それらを持ち寄ってプチ研究会をしているようだ。
「三人とも、共同で研究をされたんですか?」
「いえ、実は違うんです」
鶴野は笑って言った。調査する地域はある程度そろっていたが、研究内容はてんでばらばらだったらしい。
亀谷が、鶴野の話の後を引き継いだ。
「私は、地域の伝承と災害の関係を調査していました。たとえば、蛇に関する伝承の多い地域は、過去に地震を経験している率が高かったとか」
熊田も、恥ずかしそうに語る。
「僕はこう見えて、笑い話を集めて分類するという研究をやっていたんです。もともと落語が大好きだったものですから」
最後に鶴野が言う。
「私は伝承そのものというより、昔話における語り方や方言の特徴をテーマにしていました。今は図書館司書をしていて、子どもたちへの読み聞かせもあるので役立っています」
伝助はそれぞれに「へえ」とさも感心したような反応を返したが、どこまで理解しているかは怪しい。こいつにはやはり製鉄所で汗を流している方が合っているのだ。
そこから三人は、じいさんのエピソードをかわるがわる話し始めた。じいさんらしい硬派なエピソードから、意外な一面――フィールドワーク中に和菓子屋を見つけると、吸い寄せられるように入って行ってしまうなど――まで、懐かしむように。
ばあさんがスイカを切って持ってきた。じいさんのお供えで、フルーツがたんまりと残っているのだ。
「先生は、おうちで何かそういったことを話されたりはしなかったんですか?」
鶴野が尋ねる。「そういったこと」とはつまり、伝承とか口承文芸にかかわることだ。
伝助は正直に、そのとき研究している内容のことはあまり話さなかったこと、ただ酒が入ると、特にこの村で見聞きした話を楽しそうに話していたことを伝えた。
三人は、この村の伝聞に興味をもったようだった。
「やたらと鬼門の話はよく聞きました。この村の中で、鬼門に関する言い伝えのようなものが、五つはあるんです。というか、五つの鬼門があるのかな? じいちゃんは、退屈だとかなんだとか言いながら、それでもちゃっかり聞き集めてる感じでした」
亀谷が顎に手を当てた。
「鬼門の話が五つ、って不思議な感じがしますね。鬼門って忌むべき方角のことだから、たくさんあるものではないんだけれど」
熊田もそれに同意する。
「鬼門の反対側に裏鬼門というのもあって、それもよくないものだと言われますが、それにしたって五つというのは聞いたことが無いですね」
伝助は記憶をほじくるようにして、五つの鬼門の場所を説明する。じいさんの話をうっとうしがっているそぶりを見せていたが、その実こいつはすべて覚えていた。
鶴野が「質問があるんですけど」と手を挙げる。まるで伝助が講義をしているようで、ありえない光景だ。じいさんなら「不気味だ」とでも言ったに違いない。
「鬼門が開いたらどうなるんですか?」
伝助は「うーん」と声を上げた。
「僕はそこまで興味がなかったもんだから、結局聞かずじまいでしたね。じいちゃんもそこまで話さなかったし」
唐突に、こいつは嘘をついた。じいさんは鬼門の話をするたびに、鬼門が開いたらどうのこうの、という話をしていたはずだ。鬼門の場所まで覚えていたくせに、それを忘れるわけがない。そもそも、こいつは「忘れた」と言わず「聞かずじまい」と言ったのだ。
三人は、伝助の嘘に気付くわけもなく、この話はそのまま流れた。最後に、伝助は三人と連絡先を交換した。
今はまだばあさんの心の整理もついていないから、遺品の整理はもう少し先になること。自分は研究のことなど何もわからないから、書籍や資料などの整理の際にはまた手伝いをお願いしたいこと。そういったことを、伝助らしくない丁寧さでお願いし、三人は快諾してくれた。
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