第2章 マスクス主義の理論

第5話 労働価値説

 マルクス主義について調べていてマルクス経済学の出発点とは「労働価値説」にあるのではないかと思うようになりました。「労働価値説」はマルクスの「資本論」の比較的早い段階に登場する「商品の価値は,その商品の生産に費やされる社会的必要労働量により決定されるとする学説」です。

 マルクス経済学は、この「労働価値説」から「余剰価値」などの学説を発展させますが、商品の価値はその生産に投じられた労働量によって決まるとするのは、明らかな間違いであり、商品の価値はその生産に投じられた労働量によって決まるのではなく、需要と供給によって決まります。

 マルクスを少し擁護するならば、この「労働価値説」はマルクスが最初に提唱した学説ではなく、ウィリアム・ペティによって初めて着目され、古典派経済学によって発展した学説であり、当時としては正当派の学説でしたが、現代で通用しない学説と思われます。

 しかし、この事実を認めたくない人は少なくないようです。その理由は、商品の価値はその生産に投じられた労働量によって決まるべきだとの考えがあると感じています。これは現実よりも理想を重視する考えであり、労働は正当に評価されるべきであるとの考えが優先され、現実の問題が無視されています。

 実際に営業の世界にいた人間からするならば、「労働価値説」には決定的な間違いがあります。製造原価は販売価格を決定する際の大きな要因ではあっても価格を決定するのは、需要と供給の関係です。

 これは産業革命で生産性が飛躍的に向上したこととは無関係な話であり、手作業の時代であっても価格競争はあったはずです。そのことは今も昔も変わりません。景気が悪くなれば、下請けの仕事に依存している零細企業は、価格の引き下げをして仕事を確保しようとします。それは機械化することが困難な手作業の仕事でも同じです。

 例えば、植木の選定などのように機械化が困難な仕事や整体などのように手作業が前提の業界でも価格競争はあります。それは単純に賃金の引き下げだけの意味でしかないとしても過激な競争が繰り広げられている世界があります。

 その世界を長く見てきた人間からするならば、製造コストの低下の理由を機械化だけに求めることは、現実の製造業を知らない人間の妄想としか思えません。勿論、工賃仕事ではあっても作業効率の向上や経緯費削減に努めます。機械化は、その一部でしかありません。

 随分昔の話となりますが、建築業界の知り合いが、どの職人も「安くやります。早くやります。」と言って来るが「安い・早い」は当たり前だと言っていました。これはそれだけ下請け業者の競争の過酷さを表す話であり、また発注する側としては、より高度な仕事に対応する能力を求めているとも言えます。そのため、下請け業者も生き残りをかけて企業間の競争となりますが、これはどの業界でも同じなうな状況です。

 視点を変えて労働者の立場で考えても事情は大きくは変わりません。働いてる人間が正当な報酬を求めても企業が採算割れ寸前か、赤字の状態では企業は報酬を引き上げることができないだけでなく、人員削減をしなければならない状態となります。逆に景気が良ければ、高額な給与を支払うことも可能となります。実際、バブルの頃には、随分と景気の良い話も聞きました。好景気が続くならば、人手不足となり、高額な給与を支払わなければ人が集まらなくなります。こうなると労働の対価も上昇します。そのため、労働価値説と言っても前提となる労働の対価は、需要と供給によっても変化すると考えなけければなりません。

 費やした労力に見合う収益を得ることができるのは、理想ではあっても現実ではありません。しかし、費やした労力に見合う収益を得ることができないことを受け入れることができない人は少なくないようです。

 他界した父とは、そのことで何度も喧嘩となりました。世間の相場がある以上は、相場を無視した見積もり価格が通るはずもありません。苦労して見積もりを出せるところまで漕ぎつけた苦労を考えると父であっても喧嘩腰になりましたが、父は最後まで受け入れることができないままでした。父の若い頃は、高度成長期であり、景気が右肩上がりの時代であったことから他社との競合を勝ち抜かなければ生き残れない現実を理解できなかったようです。

 費やした労力に見合う収益を得ることが当然であるとの前提で成り立っているのが、労働価値説ではないかと思います。しかし、それは理想ではあっても現実ではありません。現実を無視した経済理論が砂上の楼閣となるのも当然の話となりますが、それでも労働価値説にこだわる理由は何かと考えますと、費やした労力に見合う収益を得られるべきであり、費やした労力に見合う収益を得ることができない世の中は間違っているとの考えがあるのではないかと思われます。その前提に立ちますと、労働価値説を否定することは、費やした労力に見合う収益を得ることができない現実を認めることになることから頑なに間違いを認めないと思われます。

 但し、費やした労力に見合う収益を得ることができない現実を認めることと費やした労力に見合う収益を得ることができない現実を正当化するは異なります。費やした労力に見合う収益を得ることができない現実を当然であり、企業が利益を追求して何が悪いのかとの考え方になると様々な弊害が起こります。簡単に言えば拝金主義であり、功利主義者となります。更に書きますとグローバリストと呼ばれる人々やネオコンと呼ばれる人々も含まれると思いますが、これはマスクス主義以上に問題があります。


参考サイト

日経BizGate マルクス『資本論』は何を間違えた?~商品の価値を決めるのは労働量ではない~ 


Yahooニュース ソ連のご都合主義革命ではマルクスの共産主義革命は実現できず 

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