第6話 戦闘

 通路を進むほどに空気中を流れる禁呪の魔力量が増えていく。すでに慧には解呪できないほどの強さだ。精神攻撃を受け流すだけがやっとで、魔力に強く干渉される慧は息も乱れ、顔色も青白くなっている。


「慧、亜依のところに戻って……」


 休めと言いかけた魔樹の肩を慧がぎゅっと握る。


「僕なら大丈夫。たまにはかっこつけさてくれないか。いつも魔樹だけ王子様みたいに活躍するのは、どうも気に食わないと思ってたんだ。たまには僕だって。ね」


 いつも飄々としている慧にはまるで似合わないセリフだ。魔樹はくっくっと笑って慧の腕を取り肩にかついだ。


「そうだな。ならば慧のかっこいいところとやらを見せてもらおうか」


 魔樹に聞こえないほど小さな声で慧が呟く。


「本当に、どちらが王子様か、わからないなあ」


 肩を貸してもらって少しは楽になった。慧は強い視線を闇の先に向ける。

 突然、魔樹が叫んだ。


「慧、伏せろ!」


 魔樹が慧の肩を引っ張り、二人は地面に転がる。風を切ってなにかが闇の中を飛び去った。慧の手から魔法の光が消え、通路が真っ暗になる。


「見えたか?」


 まだ闇に目が慣れない魔樹が尋ねる。


「銀色のカラスだった。術で作られたものだよ」


 視覚ではなく魔力による感知だ。よほど熟達していなければ出来ない技だ。魔樹はその技より早く、神経を研ぎ澄ます訓練で培った勘で危険に気付いていた。あたりの気配を探り、危機的状況は去ったと判断して身を起こす。

 慧はカラスが飛び去った方に目を向けた。


「だめだ。魔力の残滓もないですね。なんの情報も得られない。術師の手腕は恐ろしいほどだよ」


「お褒めにあずかり光栄ですわ」


 通路が口を開いたかのような大きく響く幼い少女の声。思わず二人は耳を塞いだ。それでも声は耳を殴るかのような音量で襲い掛かる。


「絵描き歌を完成させたのね、おめでとう。ご褒美に、良いものをあげるわ」


 耳の奥に心臓があるのかと思うほど、ガンガンと鼓動が跳ね続ける。魔法での干渉ではない。魔樹にもダメージを与える音の攻撃だ。あまりに大きな音に襲われ、耳が聞こえないように思え、苦痛だけを感じる。耳を抑えても塞いだ気になれない。頭の芯まで揺さぶられて目の奥が痛む。

 慧が気を失い、がくりと倒れそうになった。思わず魔樹は耳から手を放して慧を抱きとめる。


「さあ、いらっしゃい」


 音の直撃を受けて、魔樹の意識は途切れた。


   ***


「あ! 気が付いたのね!」


 亜依は一人の男の子を抱き起こした。十歳にしては大柄な子だ。まだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりした視線を宙に向けている。


「大丈夫? なにがあったか覚えてる?」


 男の子が質問されていることも理解していないのだと、視線が動かないことから分かる。心配で気持ちは焦ったが、男の子が聞き取りやすいように、亜依はゆっくり話す。


「名前は言える?」


「……歩武」


「歩武くん、年齢は?」


「十歳」


 声を出したことで意識がはっきりしてきたようで、しっかりとした視線で亜依を見つめる。


「亜依先輩?」


「私のこと知ってるの?」


 歩武の顔が一瞬で真っ赤に染まった。亜依に抱きかかえられていることに気付き、慌てて起き上がる。


「ファンです! 握手してください!」


 勢いよく片手を突き出す歩武の突拍子の無さが、亜依の緊張をほぐした。くすくす笑い出した亜依を歩武が不思議そうに眺める。


「うん、握手しよう。これから仲間だよ。よろしくね」


 亜依の手を握り締めて、歩武は輝くような笑顔を浮かべた。


「さて」


 歩武の興奮が冷めるまで放っておいて、亜依はほかの子どもたちの様子を見て回った。変わったこともなく、安らかな寝息を立てている。ただ一つ変わっていることと言えば、どの子も髪が真っ黒だということだけだ。


「ねえ、歩武くん。君の宝石はなに?」


「【ガーネット】です」


「じゃあ、髪の色は赤なんだね」


 歩武はなにを言われたかわからず首を傾げた。髪色など一目見たらわかるだろうに、と。


「今ね、君の髪は黒くなっちゃってるんだよ」


「え? なんでですか?」


 自分の短い髪を引っ張ってみても自分で見えるわけがない。歩武は右手を上げて魔法を使おうとした。


「あれ?」


「どうしたの?」


 何度も手を上げ下げしたり、振ってみたりしたが、なにも起こらない。歩武の表情が硬くなる。


「亜依先輩、魔法が使えません」


「えっ!?」


 魔力封じの結界の中にいるのかと、亜依も手を上げてみた。指先に光が灯り、牢の中が輝くばかりに明るくなる。あまりのまぶしさに目をかばった歩武の右手に、なぜか、光を生んでいる魔力が流れ込んだ。真っ黒だった歩武の髪が赤みを帯びる。


「なに、なにが起きた?」


 予想も出来ない事態に脅えた歩武は亜依を見つめた。


   ***


 がんがんと殴られているかのように頭が痛む。耳がしびれてなにかが詰まっているように感じる。魔樹は痛みを逸らそうと寝返りを打った。

 硬い床の感触にハッと目を開く。柔らかな光と暖かな空気、体調さえよければ居心地が良い場所だと言えたかもしれない。体の下の床は滑らかで、岩を人工的に削ってある様子だ。


 出来るだけ頭を動かさないように注意しながら体を起こす。少し離れた場所に誰かが倒れている。黒髪で長身の男性だ。学園の制服を着ている。助け起こそうと這い寄って顔を覗き込む。


「慧!」


 美しい金の髪が真っ黒に染まっている。ふと、頬に触れる自分の髪に違和感を持った。指で一房つまんでみると、白銀に輝いている。


「魔力が……移っている?」


 ぽつりと呟いたが耳から声は入ってこず、自分の体の中に木魂するだけだ。


「初めて感じる魔力は、どう?」


 傷んだ耳では聞こえないはずの声が聞こえて、魔樹は驚いて振り返った。


「飛白……」


 赤黒く変色した顔面で、飛白はにやにやと笑っている。


「ソノテヲ カカゲ チカラヲ シメセ」


 絵描き歌を歌いだした飛白は右手を魔樹に向けた。飛白の手のひらに魔力が集まっていくのが魔樹にもはっきりとわかる。魔力の流れを自分の体の中にも感じた。外に飛び出したくて仕方ないと魔力が言う。今にも爆発しそうに膨れ上がっている。飛白の魔力に引き寄せられているのだ。

 全身が熱を持ち、気持ちが高揚する。今ならなんでも出来る、そんな万能感を覚えた。


 意思に反して魔樹の右手が上を向く。前に突き出した手のひらが熱くなる。魔力が指先に流れていき、熱が光に変異しようとした。この力を思い切り放出すれば、どれほどの快楽を味わえるだろうか。胸の奥から恋情にも似た切なさが湧きあがる。


 魔力を我がものにしたい。


「ソノテヲ カカゲ チカラヲ シメセ!」


 右手を無理やり抱き込み、魔樹は手の甲を思い切り噛んだ。物理的な感触が魔樹の頭を冷やしてくれた。制御できなかった魔力を体の奥の奥へと追いやる。

 渦を巻いていた欲望は威力を減じたが、それでもまだ魔樹を誘惑し続ける。魔力を使え、魔法使いとして生きろと。


「ばかな子ね、せっかく魔力を与えてあげたのに。魔法を使う喜びを知ることが出来るのよ」


 手を下ろした飛白を、魔樹は強く睨みつける。ギリッと音がするほど歯を食いしばり、その隙間から声を絞り出す。


「これは慧の魔力だろう。さっさと元に戻せ」


 飛白は嘲り嗤う。


「魔力さえあれば、私の顔を元に戻すことだって出来るのよ。自分の罪を償えるチャンスよ」


 魔樹の姿が消えた。次の瞬間には飛白の目の前に現れて、飛白の顔に向けて肘を叩き込もうとした。


「きゃああ!」


 叫んだ飛白は目を瞑り、両手で顔をかばう。魔樹は飛白の腕を握り、無理やり下ろさせる。


「やはり、ケガなどしていないな」


 焼け焦げていたはずの飛白の顔に傷はなく、滑らかな白い肌が見えた。


「あの魔具は熱線を埋め込んではいるが、表面は火傷しないように作っている。物に触れると一瞬で熱を放射する。魔法で防御せずとも熱くなどない。それを、魔法しか知らないあなたは見抜けなかったな」


 魔樹を睨みつけて、飛白は少しずつ後退る。


「私の嘘を見抜いていたなら、お友達にそう言えば良かったじゃない。人にケガを負わせるような乱暴な人間だと思われるままにするなんて、意味が分からないわ」


 ちらりと慧を見やって、魔樹は不敵に笑う。


「私の仲間は、なにがあっても私を見捨てない」


「そんなのは子どもの甘えた妄想よ。大人になれば皆、裏切り、騙し、食い合うの。【ダークカラー】なら、幼いころから思い知っているでしょう」


 その言葉を、魔樹はただ笑って聞き流す。飛白がいらだつのを楽しんでいる。


「いいわ、そんなに自信があるなら、試してみなさい。魔力を移して強化した、あなたの親しい戦士の力に耐えられるか」


 飛白はさっと右手を上げると、床まで一本の線を描く。魔力で出来た紫色の線は、扉が開くかのように左右に幅広く伸びていく。


「出てきなさい。実践訓練の時間よ」


 今はすでに人一人が楽に通り過ぎることが出来るほど、紫色の空間は広がっている。ゆらりと揺れたと思うと、風が吹き、飛白の魔力で作られた紫色の幕を吹き飛ばした。その風が運んできたのだろうか、そこに一人の青年が立っていた。


「来斗!」


 どこか眠そうな表情の来斗を見て、魔樹は険しい顔を飛白に向ける。


「来斗になにをした!」


「見て分からない?」


 【ターコイズ】のような紺色だった来斗の髪が、今は透明感のある水色になっている。


「来斗に誰の魔力を移した」


 にやりと口の端を上げて飛白が妖艶な笑みを見せる。


「小さな子どもたちよ。絵描き歌の謎を解いたご褒美に、今は素敵な夢を見せてあげているけれど。さあ、おしゃべりは終わり。戦士よ、始めなさい」


 来斗が両手を前に突き出した。普段からは信じられないほど冷たい表情だ。魔樹は身構えて様子をうかがう。来斗の全身から魔力があふれ出し、手のひらに集まったと思うと同時に、暴風が魔樹に襲い掛かった。

 魔力を帯びた風が皮膚を打ち、肉に食い込みそうになる。


 魔樹の中の魔力が身を守るために飛び出そうとしていた。その有り余る力を抑え込むだけで精いっぱいで、魔樹は風に痛めつけられるまま動けない。


 暴風は来斗の手から吹き荒れている。来斗がさらに魔力を強めると、熱風が吹きだした。魔樹は床に伏せ、熱風を避ける。来斗の手が床に向かって動く、その一瞬の隙を突いて、魔樹は慧のもとに駆け寄った。


 慧の体を抱きかかえると、魔力は慧の中に戻りたがった。魔樹は手のひらにすべての魔力を集め、慧の胸に押し付ける。綿が水を吸うように、魔力は慧の体に吸収された。黒かった髪が金色に戻る。慧の肉体に魔力がみなぎり、攻撃魔法に対する抵抗力が上がった。


「これで気楽に動ける」


 魔樹が立ち上がると、再び熱風が吹きつけてきた。


「魔法で防がないと、この風はあなたを焼き尽くすわよ。魔力を全部お友達に戻してしまって、どうするつもり?」


 飛白の問いには答えず、魔樹は熱風の中に飛び込み、真っ直ぐ来斗に駆け寄る。文字通り、身を焼く熱さに耐えながら、来斗の両手を握り締める。熱がジリジリと魔樹の手を焼く。


「まだ任務は終わっていないぞ、来斗!」


 握っている左右の手のひらをぴたりと付けてやると、来斗の魔力は反発しあい、弾け飛んだ。

 ぐらりと傾いだ来斗の体を抱きとめた。来斗がまとっていた暴力的な魔力が、飛白の手の中に吸収されていく。【ダークカラー】に近かった濃い紫色だった飛白の髪色が、白に近づく。

 飛白は自らの髪を撫でてうっとりと目を細めた。その隙をついて、魔樹は来斗を助け起こす。


「来斗、大丈夫か」


 うっすらと目を開けた来斗は魔樹の黒い瞳を見つめる。


「魔樹、ごめん。君を傷つけるつもりはなかったんだ」


「分かっている、心配するな。来斗が受けた仕打ちは、きっちり返してやる」


 魔樹がぎろりと睨むと、飛白はびくりと震え、身をひるがえして逃げだした。

 振り返ると、慧が意識を取り戻し、身を起こしたところだった。


「慧、来斗を頼む!」


 叫んで、飛白を追って魔樹も走りだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る