第4話 クローゼット

「来斗!」


 魔樹がドアノブを回すと、ドアは易々と開いた。来斗も同室の学生たちもいない。夕食もすんでいるのだから、一人くらいいても良さそうなものなのに。


 魔樹は、ぐるりと部屋を見回した。四つ並んだ細長いクローゼットの扉が一つだけ開いていて、その側に飛白が配っているペンが落ちている。魔樹はまぶしいくらいに輝いているペンを拾うと、追い付いてきた慧に差し出した。


「この魔力、来斗のものか」


 慧はペンを受けとってじっと見つめる。


「うん、間違いない。来斗の気配が強く残っているよ」


 ペンが落ちていたクローゼットの棚に魔樹たちの連絡道具の鳴子がある。これが来斗のクローゼットのようだ。

 カバンや小物を置くための棚が二段、引き出しが一つ。制服二着と、来斗がよく着ている私服のシャツなども掛けられている。

 扉の内側には姿見が付いていて、全身を映すことができる。その鏡に亜依の姿が映りこんだ。


「来斗になにかあったの?」


 魔樹は腕を組み、顔をしかめているだけで、亜依の言葉を無視した。慧が代わりに説明する。


「鳴子で連絡があったんですよ。でも今、ここには鳴子だけで来斗はいない」


「それって……、消えたってことですか?」


 慧は答えず、魔樹に視線を移した。魔樹は来斗が落としたらしいペンの光が消えていくのを黙って見ている。


「ねえ、来斗を探そうよ。きっと寮のどこかにいるよ」


「どこかとは、どこだ?」


 魔樹が重々しく尋ねると、亜依は困って黙ってしまった。


「亜依は女子寮に戻れ」


「えー、私も捜査に加えてよ!」


「だめだ」


 魔樹に両肩を掴まれ部屋の外まで押し出された亜依は「イー!」と歯を剥きだして怒りをあらわにする。

 慧が慰めるような優しい微笑を亜依に送ってから背中を押して階段に向かわせた。


 廊下でどたどたと足音がして、亜依とすれ違いに豪が顔を出す。


「なにかあったんですか、会長。廊下を走ってましたけど」


「豪、お願いがあるんだ。このペンに魔力を思いきり注いでくれないかな。一瞬でいいんだ」


 差し出した慧からペンを受けとって、豪はなにもわからないまま言われた通りに魔力を注入する。そのあまりに激しい魔力が生む波動に二人は吹き飛ばされそうになる。


「相変わらず、凄まじい魔力量だね」


 慧の誉め言葉に、豪は気恥ずかしそうだ。


「まあ、まだ出せそうな気はしますが、一瞬ではこのくらいです」


 光っているペンを返してもらった慧は、しげしげと来斗のペンと見比べる。明るくはあるが、まぶしいというほどではない。


「先ほどまで輝いていた来斗のペンの方が明るかったね。来斗の魔力量は、豪にはとても及ばないのに」


 明かりはすぐに揺らめいて徐々に小さくなっていく。魔樹はまだ魔力を放っているペンを受け取って、ロッカーの中を照らした。

 魔法の明かりに反応するような魔具はない。来斗の行方を示す物的な手掛かりになりそうなものもない。


「来斗がどうかしたんですか? この部屋の学生はみんないない。どこか寮内をぶらついてるんじゃないんですかね」


 豪の言葉に慧は首をひねった。


「それは、来斗が捜査の進捗報告をしてきたことと矛盾するね」


「捜査ってなんですか? 生徒会に関係するなにかですか? それなら俺にも聞く権利が……」


 早口でまくし立てる豪を魔樹が睨む。


「あなたには関係ない。これは私の仕事だ」


「お前がなにか嗅ぎまわってるのか! 学園外部の人間が学生をこき使っていいと思ってるのか。探偵ごっこに巻き込まれた学生が危険な目にあってるなんて、あり得ないことだ! 裁きにかけるべきだ!」


 興奮して目が充血している豪の肩を慧が優しく叩いた。


「落ち着いて。今回のことは上からの指示なんです」


「上って……。学園長ですか?」


 慧は曖昧な笑みを浮かべてみせた。もっと地位が高い人物からの依頼なのだと言下に豪に伝える。豪は即座に納得して、深く頷いた。


「わかりました。学園にとって必要なことなんですね。俺に手伝えることはありますか?」


 その質問に、慧が答えるより先に魔樹が口を開いた。


「引き続き【チタン】のペンを探してほしい。それがその子を救う手掛かりになるはずだ」


 それはそれは嫌そうに顔を顰めた豪は、慧の意見をうかがおうと視線を向けた。慧は微笑をたたえて頷く。


「分かった。だが、もう消灯時間が近い。探索は明日になるがいいか」


「かまわない。しっかり英気を養って結果を上げてほしい」


 魔樹に指示されて不服だと表情に表して、豪は歯ぎしりしながら部屋を出て行った。


「無人の部屋。魔法で光るペン。ありえないほど強すぎる魔力。そして、絵描き歌」


 魔樹が小さく呟く。


「来斗は冗談や間違いで鳴子を使うようなヤツじゃない。消えた子たちが絵描き歌を解いた、来斗も試した。私たちも絵描き歌がなにを表すのか知らなければならない」


  慧が腕組みをして小声で歌いだした。


「ミギメハ ヒダリ

 ヒダリメハ ミギ

 ヒタイハ ブツカリ

 ミミハ キコエヌ

 ソノテヲ カカゲ

 チカラヲ シメセ

 カガヤキササゲ カゲトナレ」


 歌を聞き終えて、しばらく黙っていた魔樹が口を開く。


「改めて聞くと不気味なメロディーだな」


 こくりと頷いた慧は制服のポケットから、来斗が作成した数枚の報告書を引っ張り出した。


「街の噂ではこの絵描き歌通りに絵を描くと、楽園への扉が開くと言われているそうだね。でも、来斗の調査では、街で扉を開いた人がいたという話を聞くことはないらしい」


 そうは言っても、捜査は【ライトカラー】にしか及んでいない。

 この街の居住区には、はっきりとした区分がある。魔法学園に近い土地には【ライトカラー】の邸宅が並ぶ。その街区と丘を隔てて【ダークカラー】の集落がある。

 来斗は濃い色のかつらと眼鏡を準備して【ダークカラー】の町に踏み込もうとしていたのだが、自警団『クリーナーズ』の隊長に見つかり学園に連れ戻された。


 学園の生徒が足を踏み入れるには、【ダークカラー】の町の治安は良いとは言えない。それを知っている魔樹も来斗には【ライトカラー】の調査だけを頼んでいたのだが、来斗のやる気は亜依以上に強い。調査するとなると全力であたる。


「カガヤキササゲというのは、魔法の可能性が高いだろう。来斗は輝魔法を使えるのか?」


 魔樹に聞かれて慧は首を横に振った。


「来斗の魔力量では使えないはずですよ。特別講義にも参加していないし」


「とすると、これで間違いないな」


 来斗が持っていたペンを取り、魔樹はじっくりと観察する。魔力を込めていない状態だと、ただの石製の棒でしかない。


「ソノテヲカカゲか。慧、試しに……」


 魔樹がペンを差しだそうとしとき、鳴子から、亜依からの着信を知らせる通知音が響いた。だが、聞こえたのは亜依の声ではなく、弟の泰のものだった。


「魔樹さん! お姉ちゃんがいなくなっちゃった!」


 魔樹の目が鋭く光る。


「なにがあった」


「お姉ちゃん、鏡の前でなにかしてたんだ。そしたらお姉ちゃんが持ってたペンが光って、まぶしくて目を瞑って、開けたらいなくなってて」


 そこまで聞いた慧は右手を挙げて宙に金色の円を描いた。その円の中にぼんやりと泰の姿が浮かび上がる。


「そのペンというのは、これかな?」


 来斗のペンを差しだしてみせると、泰は何度も頷く。魔樹と慧は開けっ放しになっているクローゼットに近づいた。姿見は、綺麗好きな来斗にはあり得ないと思うほど汚れて曇っている。


「泰、亜依が持っていたペンは、泰が誰かからもらったものか?」


「そうです」


「もしかして、飛白先生から?」


 こっくりと頷いた泰は不安そうにしている。姉が消えた原因を作ったのが自分だと思って脅えているようだ。


「大丈夫だ、泰。亜依は私たちが見つける。慧、絵描き歌は分かったな?」


「うん、鏡でしょう。やってみよう」


 魔樹は金色の円の中に向かって話しかける。


「私たちの姿が見えなくなっても心配しなくていい。亜依を連れてすぐに戻ってくる。いいね?」


 泰がしっかり頷いたのを確認してから、慧は円を消した。魔樹は部屋のドアを閉めて鍵をかけ、クローゼットの鏡の前に立った。


「やってみよう。魔力を送ってくれ」


「うん。高く手を伸ばして」


 慧が魔樹の背後に立った。魔樹が来斗のペンを掲げ、慧は魔樹を抱き込むような形で来斗のペンを握る。魔樹が額を鏡に付けて、鏡の中の自分の目をしっかりと見つめる。

 右目が鏡の中の左目を、左目が鏡の中の右目を強く見据える。


「いくよ」


 慧の魔力がペンに注ぎ込まれると、目を開けていられないほどの強い光が湧きだした。

 あまりの光量のために部屋にあるすべてのものが、くっきりとした影を生む。魔樹と慧の影も濃く長く伸び、二人はその影に飲まれて、意識を失った。

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