第2話 魔法学園


「すっかり僕の身長に追いついたね、魔樹。制服のサイズがぴったりだ」


 学園の生徒会室で魔樹は慧の制服を借りて、袖を通していた。それを微笑ましく見つめていた慧はくすくすと笑いだす。


「初めて会ったときには、ぶかぶかの魔衣をまとっていたけれど」


 魔術をはらんだ衣服、魔衣は、十歳になった子どもに纏わせるものだ。魔樹の魔衣は体がすっぽり隠れてしまうほど大きかった。


「きっと魔樹のご両親も安心しているよ」


「私が着ていた魔衣が大きかったことと、私の成長を親が願っていたことを同一視するのはどうかな。あの魔衣は中古品だったから本当のところはわからない。だが、身長が伸びたことは事実だと認めよう」


 黄緑色のかつらを被り、慧の魔法で目の色を薄黄色に変えてもらえば、学園の生徒への変装は完了だ。


「見たいのは、消えた子たちが通っている教室、密室になっていたという寮の個室。それと、消えた子たちの親しい友人に話を聞きたい」


「了解。じゃあ、夕飯時だし、学舎内探索から始めようか。人がいなくてちょうどいいだろうからね」


 慧が先に立って廊下を進む。学習時間が終了した学舎は魔法で燈した灯りが落とされてしまう。それでも廊下のランプに溜まって残った魔力が働いて、ほの明るい。


「私に付き合っていたら、慧は夕飯を食いっぱぐれるんじゃないか」


「大丈夫ですよ。寮母さんにこっそり頼んで、軽食を作ってもらっているから」


「あいかわらず、ぬかりないな」


「もちろん。せっかくいただける権利は十二分に享受しますよ」


 二人はともに十九歳、友達付き合いは九年になる。気心が知れて会話も軽い。


「ここが十歳組の『猫』の部屋。隣が『烏』の部屋だよ。あと、奥にまだ四部屋あるけど、消えた子は『猫』と『鳥』の生徒です」


 一学年に百人から、多い時は二百人ほどの子どもたちが就学するため、一部屋の面積はかなり広い。今年の十歳組は全員で百六十八人。人数は多めと言える。


 魔樹は猫の部屋の方から探索していく。猫の絵が刻印されたドアを開けて部屋に入ると、右手に大きなパネルがあり、魔樹の腰の高さほどの教壇がある。

 そこから左手奥の壁に向かって床が階段状に高くなっていく。一段ずつに机と椅子が横一列に六つほど並んでいる。


 魔樹は手早くすべての机の引き出しを覗いて回った。どの机にもなにも入っていない。机も椅子もひっくり返して裏も確認したが特に変わったことはない。


「慧、パネルになにか残っていないか」


 魔樹に尋ねられて、慧は魔力をパネルに通した。魔力を調節して、うっすらと光る程度に留め、窓の外に光が漏れないようにする。


「きれいに回収されて、残留魔力はないですよ。最後の授業はきれい好きな先生が担当していたみたいだね」


 魔力を通すことで発動する魔道具は数多い。教室のパネルは熟練の魔術師ならば平面に文字を並べるだけでなく、立体的な模型を作り出すことも、遠見の景色を映し出すことも可能だ。

 魔樹が製作した鳴子も同じように魔力で動くものだ。魔樹自身は魔力を持たないので発信には使えないが、他の鳴子からの音声を魔力なしでも聞こえるように作ってある。


「隣に行こう」


 そっとドアを開けて廊下の様子をうかがってから、魔樹は足音を忍ばせて烏の部屋に移動した。慧も同じようにして後に続く。

 こちらも猫の部屋と同じように隅々まで調べたが、成果は上がらない。魔樹が事前にファイルで読んでいた情報を確認する。


「寮から失踪した歩武以外の生徒は学舎内で目撃されたのが最後。この二つの教室でのことだな」


「そう。猫で六人、烏で四人」


「その子どもたちに共通点は?」


「猫の子たちも、鳥の子たちも、いわゆる仲良しグループだったってこと。消えたときも、どうやらいっしょにいたらしいよ」


「なにをしているの?」


 突然の女性の声に驚いて慧はドアの方を振り返った。


「あら、生徒会長だったの。こんなに遅い時間までお仕事?」


飛白かすり先生。先生こそ、今までお仕事ですか?」


 深い紫色の髪の女性教師は、手にしているペンのようなものに魔力を通した。ペンは発光して教室中が明るく照らされる。


「私は忘れ物を取りに来ただけ。こんなに暗いと危ないわ。生徒会長にも、これをあげる」


 飛白は羽織っている薄手の紺色のコートのポケットからペンを取り出し、慧に向けて放り投げた。慧がうまく受け取ると「ナイスキャッチ」と言って柔らかそうな唇をきれいな弓型にして笑う。


「そっちの君にもあげようか?」


「いえ、けっこうです」


「そう? 便利よ。必要ならいつでも言ってね」


 そう言うと飛白はペンから魔力を解き、薄暗い廊下を歩み去った。ハイヒールの靴音が聞こえなくなったことを確認してから、魔樹が呟く。


「来た時は足音がしなかったし、声をかけられるまで気配を感じなかった。彼女は体術の達人かなにかか?」


 慧は眉根を寄せた厳しい表情になり、首を横に振った。


「いや、飛白先生の受け持ちは魔力特性強化です。魔法で音を消すことはできると思うけれど……」


「なんのために魔法を使ってまで気配を消す必要があった? 誰かに見つかるとまずいことでもあったのか?」


 魔樹は呟きながら慧の手からペンを取った。乳白色の石を削って作られていて、表面にでこぼこした突起がある。手に持つとその突起が肌を刺激して、温かさを感じる。ペン先は丸く滑らかで、軸には人間の瞳のような模様が刻まれていた。


「私たちには姿を見せた。つまり、学生には知られてもなんの関係もないことだった? それとも、学生だから姿を見せた?」


 ぶつぶつと呟く魔樹を慧はじっと見つめて待つ。魔樹が考え事を呟いているときは、自分の耳で反芻して考えをまとめているのだと知っているからだ。今回はそれほど待つこともなく、魔樹は顔を上げた。手ぶらの慧にペンを差しだす。


「慧、光らせてみてくれ」


 受け取って慧が魔力を通すと、軸の模様から魔力が浸透して、ペン先まで行きわたり、そこから真っ直ぐ一直線に、うっすら紫色を帯びた光が伸びた。


「光の色は先ほど彼女が持っていたものと同じだな」


「だけど、光の範囲が大違いだね。飛白先生のように広範囲には広げられないですよ」


「魔力量の差か?」


「かもしれないね」


 ペンの光が消えて元通り薄暗くなった教室は、どこか闇が増したように感じられた。



 探索の成果が上がらないまま、二人は寮に移動することにした。

 学舎から寮まで、五分ほど歩く。こんもりした森の中をうねる一本道だ。この道は学園をぐるりと一周していて魔力を溜める図形を描いている。白き魔女が魔力を注ぎ、結界として機能している。


 夜の森は、夜行性の生物が立てる草の葉擦れの音や鳴き声でざわざわしているのに、なぜか静かに感じられる。その静けさの中に危険が潜んでいるように思えて、学園の子どもたちが夜間に森に立ち入ることは少ない。

 だが、魔樹はこの森の夜が好きだった。木々のざわめきを、暗闇を楽しむかのように森を見ていた。


「光だ」


 魔樹がぽつりと呟いて足を止めた。歩道を外れた森の中、魔法で灯した明かりがちらりと見える。


「だれだろう、こんな時間に」


 慧が森に入ろうとするのを魔樹が止めた。


「学生だったら、慧が見つけない方がいい。生徒会長に不穏な活動を見つかれば、処分の対象になるだろう」


「了解。僕は、その辺に隠れておくよ」


 そう言うと慧の姿は、すうっと闇に紛れた。

 魔樹は足音を忍ばせて森に入って行く。魔力で明かりをつけることが出来ない魔樹は、夜間の行動のために夜目を鍛えている。中腰になり、地面に落ちた枝を踏まないよう、草に触れて葉擦れの音をたてないよう、慎重に進む。


 明かりを灯しているのは、学園の制服を着た、がっちりした体格の人物だ。這いつくばって地面に顔を寄せ、一生懸命、なにかを探している。


「なにを探しているんだ?」


 魔樹が声をかけると、その人物が驚いて顔を上げた。


「お前、魔樹か! また忍び込んでるのか、魔力も持たない【黒曜石】が。こんなところでなにしてる」


 手のひらに隠すように包んだ小さな球状の光で、怒りを露わにした表情が見えた。見知った顔だ。


「あなたはどうなんだ、ごう。なにをしている」


「お前には関係ない。まあ、教えたってお前になにができるわけでもないがな」


 生徒会書記の【イエローダイヤ】の豪は十八歳組でトップクラスの魔力の持ち主だ。以前から学園に出入りする魔樹にいい顔をしなかったが、最近はさらに当たりが強くなった。魔力量で人を判断しようとする悪いクセがあると慧がこぼしていたことがある。

 魔樹に対する態度が硬化したのは別の理由だが、どうでもいいかと思い、魔樹は放置している。


「夜間外出禁止の規則をやぶってまで探している。つまり、早いもの勝ちで手に入れないとならないものを必要としている。違うか」


「そうだとしたら、なんだよ」


 豪が魔樹に向かって歩みだそうとしたとき、慧が豪のすぐ隣に姿を現した。


「それがなんだか知りたいな。教えてくれる?」


 慧の出現に驚きすぎた豪は腰を抜かして地面に転がった。白い制服が土で汚れた。


「か、会長!」


「うん、僕だよ。こんばんは。見逃して欲しい?」


「なにをですか」


 答えはわかっているのに聞いたのは、豪が混乱しているからだろう。普段なら夜間外出禁止という規則を破ったことに適当な言い訳を即座に返すだけの頭の良さと小狡さはある。

 慧はわざと質問に答えずに、豪の側にしゃがみこんだ。


「探し物は見つかった?」


 豪は黙り込んで視線をそらした。それを横目で見つつ、魔樹が尋ねる。


「慧、森の中で消えた生徒はいるのか」


「うーん。いるにはいるんだけど、今回の失踪とは関係ないんじゃないかと思っています。時期が大幅に違うんだ」


「もっと前なんだな」


「うん。二か月前ですよ」


 二人の会話からなにかを察したようで、豪の顔色が青くなっていく。


「どれほどのレベルの魔力だった?」


「濃紺の髪、【チタン】だよ。ねえ、豪、覚えてるでしょう」


 豪はとうとう震えだした。


「俺じゃないです、会長。俺じゃないんです」


【チタン】は【黒曜石】に見間違われるほど暗い色だ。魔力の保有量もほど少ない。学舎ではどれだけ肩身の狭い思いをしただろう。そう思った魔樹の肌に、自分が纏っていた魔衣の感触が甦った。


 十歳の誕生日、小雪降る街に無理やり押し出された。家のドアは固く閉ざされ、どれだけ叩いても開かれることはなかった。魔力がないために学園の結界内に入ることも許されず、魔樹は寒さに震えた。

 忘れられないその寒さを知らない豪に怒りが湧く。


「なにをした」


 魔樹はしゃがみこみ、豪のジャケットの襟を掴んだ。


「【チタン】の学生になにをしたんだ」


「俺はなにもしてない! 俺じゃないんだ!」


 豪は両腕で顔を覆って震えている。


「あいつが消えたのは俺のせいじゃない。飛白先生が」


 ぶるぶると声まで震えて聞き取りづらい。


「飛白先生の後をつけてたけど、【チタン】が来るなんて知らなかった。【チタン】が消えるなんて……」


「消えた? なにがあった」


 魔樹がぐいっと豪を引き起こすと、豪は「ひっ」と悲鳴を上げた。


「消えたんだ! とつぜん姿が見えなくなった、俺の目の前で! それからずっと【チタン】は見つからなくて」


 手のひらで押さえつけた目から涙が溢れているのがわかる。豪の頬をつたって、顎から雫が落ちた。それを見ても魔樹の追及は止まらない。


「それだけじゃないだろう。ほかになにか、あったはずだ。あなたが隠して恐れているのはなんだ?」


 豪はしばらく嗚咽をもらしていたが、ふと腕をはずして虚空を見つめた。


「魔力を向けたんだ」


「魔力を、なにに?」


「【チタン】が俺に向けて光るなにかを突き付けた。だから、その光を振り払うために、魔力で抑え込もうとして、そうしたら消えたんだ。あの子は」


 言葉の後半は震えていて聞き取り辛い。


「十二年組だった。魔力は学年で最下位で、大した力はなかった。強い魔力を受け止める力なんてなかったのに、俺は力加減もせず……」


 慧が魔樹の腕を引いて豪から距離を取らせた。


「豪、なにを探していたの」


「謎解きに参加しようとしているんだな。そのために必要なものを探している」


 魔樹が当たり前のように言うと、豪は驚いて口を開きかけたが、ハッとして、すぐにきつく唇を結んだ。魔樹と慧は顔を見合わせた。


「もしかして、こういうもの?」


 慧が差し出したペンを見た豪は目を見開いた。


「どこにあったんですか?」


「これは、その子のペンではないよ。今日、飛白先生からもらったんだ」


 魔樹が静かに質問する。


「あなたは、なぜ先生を尾行していたのだろうか」


「……カンニングを疑われてたんだ。濡れ衣だったんだけど、弁解したくて」


「先生に見つかったのか?」


「いいや、【チタン】が消えて、そうしたら飛白先生がもういないことに後になって気付いた」


「あなたは【チタン】の子が消えたことで飛白先生を避けているんだな」


 豪は気味悪そうに魔樹を見つめる。


「なんで、わかるんだ」


「先ほどの脅え方。今もそのときのことが忘れられないのだと態度で示していた」


 慧がペンを光らせてみせる。豪はびくっと身をすくめた。子どもが消えたときのことをはっきりと思い出したのだろう。


「飛白先生はこのペンを誰にでも渡してるようだよ。【チタン】のペンを探さなくても頼めば貰えたんじゃないかな」


 豪は困ったように眉根を寄せて考え込んだ。しばらくしてぽつりと言葉をこぼした。


「もしかして、飛白先生が、なにか危険なことをしているのか?」


 魔樹が当たり前だと言わんばかりに呆れた顔で豪を見据える。


「消えた【チタン】の子が、光るペンを持っていた。今回、子どもたちが消えて、飛白先生は光るペンを配っている。関係ないわけがないな」


「俺、先生に聞きに行く。【チタン】のこと」


 歩き出そうとした豪の腕を慧が握って止める。


「やめておいたほうがいいね。あの先生は聞いて素直に話してくれるようなタイプじゃないでしょう。それに、最悪の場合……」


 言い辛いのか口ごもった慧のセリフを、魔樹が引き継ぐ。


「最悪の場合、あなたも消えるかもしれない」


 豪の顔色が青くなった。

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