魔樹~黒曜石探偵事務所の事件簿~
かめかめ
第1話 黒曜石探偵事務所
ミギメハ ヒダリ
ヒダリメハ ミギ
ヒタイハ ブツカリ
ミミハ キコエヌ
ソノテヲ カカゲ
チカラヲ シメセ
カガヤキササゲ カゲトナレ
***
「で? 今度はコウモリでも逃げ出したのか」
ショートブーツを履いた足を机にのせてイスが半分かしいだ不安定な状態で、若い女性が尋ねた。褐色の肌に黒い目、肩で切りそろえた黒い髪。そのものの性質を宝石の名で表すこの国の民には珍しい【
「惜しいね、
金糸が入った水晶【ルチルクオーツ】のように透きとおった声で答えたのは、透けそうなほど白い肌に金髪金目の美しい顔立ちをした青年だ。魔樹と呼ばれた【黒曜石】の女性は、足を下ろして真剣に耳をかたむける姿勢を見せた。
「家出か?」
「いや、こつぜんと姿を消したっていう感じです。さっきまでそこにいたのにいなくなったという周囲からの証言が取れています。窓にもドアにも鍵がかかっているのに、その部屋から消えたという子もいるらしいんだ」
部屋の隅に立っているもう一人の小柄な青年が【ターコイズ】のような濃い青の目をキラキラ輝かせる。
「密室からの失踪! これこそ名探偵・魔樹にふさわしい事件だね」
『黒曜石探偵事務所』に依頼に来た【ルチルクオーツ】の青年、
「はしゃいでもらったら困るよ、
「ええ? それは心配ですね、先輩」
慧はまっ白で長い指を空中で躍らせた。ぽうっと金色に光る円が宙に描き出され、その円の中に忽然と十数冊のファイルが現れた。慧は一冊ずつ丁寧に円から取り出して魔樹の机に並べていく。
「消えた寮生、十一人分の成績表と、調査ファイルです。個人情報だらけだから、取り扱いにはくれぐれも注意して」
魔樹が一冊のファイルを手に取り、ぱらりと開く。
「これは学園外に持ち出していいものなのか? 成長に伴う魔力量のグラフなんて、他人に知られたら大変だろう」
「それだけ
白の魔女と聞いた魔樹は「うへえ」と言って舌を出して見せた。
「若作り魔女に好かれたって、いいことなんか一つもない。いつも面倒な仕事ばかりだ。もしかして、今回のこれも?」
慧は目を細めて美しく笑う。
「白の魔女様、じきじきの依頼だよ」
また舌を出して首を左右に振る魔樹は、嫌だという気持ちを全身で表している。そんな魔樹の側に近づきながら来斗が尋ねた。
「魔樹、ボクもファイルを見ていい?」
片手を前に突きだして魔樹が来斗の足を止めさせる。
「やめておいた方がいいだろう。これからも、この子たちと同じ寮生として付き会いたいならな」
「そうか、そうだね」
開かれたファイルのページが見えない位置まで、そっと移動した来斗に、慧が微笑みかける。
「人の秘密を知るのは、自ら重い責任を引き受けるようなものだからね」
来斗はそばかすの浮いた鼻を指でこすった。
「わかりました。ボクは街で噂になってる都市伝説の、絵描き歌の捜査を続けますね」
魔樹が来斗を正面から見つめて言う。
「少しでも不安があったら引き下がれ。人がいなくなるという絵描き歌に近づきすぎて君が消えたら元も子もない。危険に踏み込むようなことはしない方がいい」
忠告に生真面目に頷いた来斗だが、いたずらっぽく魔樹に目を向ける。
「しない方がいいと言っても、魔樹はいつも危険のど真ん中に飛び込んでるみたいだけど」
ファイルをぱたんと閉じて、魔樹は二人に向かって、いたずらっ子のように、ニッと笑ってみせた。
「危険はいつでも私の庭さ」
***
白の魔女が統治するこの国には二種類の人間がいる。【ダークカラー】と【ライトカラー】だ。
魔力が強く魔法学園に通えるもの、それが【ライトカラー】。
学園にも通えず、社会の隅に追いやられるもの、それが【ダークカラー】。
髪の色が白に近づくほど魔力量は高い。
そんな魔法学園で、まことしやかに噂されている話を、【ピンクトルマリン】の
「ねえ、知ってる?」
入浴を終え髪を乾かしていた亜依は、女子二人のひそひそ話に気付いた。魔法の風を髪に吹き付けて乾かしていると風音で周りの音が聞こえないものだ。
だが、その風音が苦手な亜依は、得意な風の魔法で、風音が聞こえないように調整している。そのおかげで、背後でひそひそと囁く声もくっきりと聞こえた。
「新しい謎解きが始まったんだって」
たしか一学年上、最上級の十九歳組の先輩だ、亜依は鏡でこっそり盗み見する。
「うそ、いつから?」
話し相手も十九歳組。二人とも、生徒会長である慧のファンクラブ会員だったはずだ。
「わかんない。でもかなり参加者がいるらしくて」
「やだ、早く参加しないと、また賞金獲れないよ」
「だよね。今年で卒業だから最後だもんね。頑張らないと。謎はどんなものだろ」
「今から探りに行く?」
「行こう」
二人はさっと着替えると脱衣室から出て行った。学園の寮の門限まで、もうそれほど時間はない。
「でも、謎解きと聞いたら動かないわけにはいかないよね」
亜依はまだ乾ききっていない長いピンク色の髪をポニーテールにして、急いで立ち上がった。
「魔樹ー! 大変、大変、聞いてー」
夜も遅いというのに、亜依は魔樹の探偵事務所に駆け込んだ。机に向かっていた魔樹は目を落としていたファイルを、さっと閉じた。それを目ざとく見つけた亜依はニヤリと笑う。
「なあに、それ」
そう言いながら、ゆっくり一歩、足を踏み出す。
「なんでもない。それより、なんの用だ」
魔樹は立ち上がると、ファイルをしまおうと木製の戸棚のガラス扉を開けた。
「見・せ・て」
亜依が右手の人差し指で宙に円を描く。幼馴染であるため、亜依の魔法をよく知っている魔樹は亜依と対峙して身構える。
ピンク色に光る円が風に揺られたかのように、ふわりと飛んだ。柔らかな色と形に反して、凄まじい速度だ。
円が肩に触れそうになった瞬間、魔樹は飛び退った。
「眠らせて奪い取るなんてやり方、お嬢様にはふさわしくないんじゃないか」
ピンク色の円は隙をうかがうかのように魔樹と亜依のちょうど中間地点でふわふわ動いている。
「お嬢様なんかじゃないもん。うちのことなんか、よく知ってるでしょ。周りの子が勝手に言ってるだけ」
「学生なのに実家から援助されているなんて、お嬢様じゃなくてなんだというんだ。とにかく、その眠りの雲を消せ。大変なことがあったんだろう。話を聞く」
「え、本当?」
亜依が指を下ろすと、ピンク色の円は蒸発したかのように消えた。
「魔樹がすぐに話を聞いてくれるなんて。やっぱり、そのファイルは見るべき価値があるんじゃ……」
また指を上げようとしたとき、いつの間に動いたのか、亜依の目の前に忽然と魔樹が立っていた。亜依の右手を優しくそっと握る。
「話をしよう」
美しい切れ長の目に真っ直ぐ見つめられて、亜依は真っ赤になってうなずいた。
ファイルを片付けて鍵をかけ、亜依にソファをすすめると、魔樹は机に寄りかかって亜依と向き合った。
「お馴染みの学園の謎解きか」
「今回は開催日時さえ知らされていないんだよ。きっとすごい額の賞金が出るはず!」
魔樹はうさんくさいことを聞いたというように顔をしかめた。
「ケチくさい白の魔女に、大金を期待してもムダだろう」
「白の魔女様は超お金持ちじゃない。税金いっぱい取ってるんでしょ。少し分けてくれてもいいと思う」
ぐっとこぶしを握って鼻息荒い亜依に、魔樹は冷たい視線を向ける。
「亜依たちは、その税金で学園に通って寮に住んでるんだ。それ以上を求めるのは、少し贅沢なんじゃないか」
亜依は学園から支給されている白地のワンピースの袖を引っ張った。
「だけど、魔樹と違って、アルバイトしか出来ないから、お金ないんだもん」
「俺は亜依たちと違って、勉強させてもらえないけどな」
亜依はしゅんとして顔を伏せた。
慧、来斗、亜依は全員【ライトカラー】で、学園の生徒だ。
久々野知之国の子どもは十歳から十九歳までの間、学園で暮らす。そんな国は久々野知之国だけで、この世界に十あるうち、ほかの魔女の国で十歳になった子どもは親に家を追い出され、自力で生きなければならない。
それが魔女の世界の掟なのだ。
「ごめん、魔樹。私、ひどいこと言った」
魔樹の口調が亜依をからかうようなものに変わる。
「謝らなくていいさ。全部、白の魔女がケチなせいだ。魔力のある学生に小遣いはやらない。魔力のない【ダークカラー】の子どもの生活は見ない」
落ちこんで黙った亜依に、魔樹は真面目な顔を向けた。
「謎解きの話は怪しい。近づくな」
「怪しいって、どうして?」
「慧からそんな話を聞いていない。生徒会が魔女から知らされていない謎解きなんてあり得ない。生徒会が賞金を管理するんだから」
亜依はしっかりと頷く。
「分かった。噂話は無視する」
「ああ。それと、なにか変わったことがあったら、慧に報告してくれ」
「変わったことって?」
「今みたいな噂話や、いつもと違う雰囲気なんかだ。些細なことでもいい。情報が欲しい」
「うん、了解。慧先輩と、なにか追いかけてるんだね」
魔樹は力強さを感じさせる褐色の頬に、優しい笑みを浮かべた。
「トップシークレットだ。よろしく頼む」
「らじゃ!」
勢いよく立ち上がった亜依に、魔樹が尋ねる。
「鳴子は持ってるな」
「もちろん」
亜依はワンピースのポケットから手のひらに収まるほどの長方形の金属の板を取り出した。
「魔樹の秘密兵器だもん。いつも持ち歩いてるよ」
そう言って、左手に持った鳴子に右手の人差し指をつけて魔力を送る。魔樹のコートの内ポケットから小さく震える鐘のような音がする。
魔樹は黒いコートのポケットから鳴子を取り出すと、亜依に頷いてみせた。亜依は鳴子に口を近づける。
「きっと役にたってみせるから、助手に雇ってよね」
魔樹の鳴子から亜依の声が聞こえた。魔樹は苦笑いして鳴子をポケットに戻した。
「考えておく」
「いっつも同じ返事。いつか認めさせてみせるから」
魔樹に指を突きつける亜依は、怖い顔をしてみせているが、楽し気だ。その指を避けるように、魔樹はそっと体をかわす。
「貧乏探偵に無茶言うなよ。アルバイト代だけでかんべんしてくれ」
「分かった。じゃあ、はりきって働きますよ」
「ああ。よろしく頼む」
亜依は元気に手を振り、出て行った。
ドアがしっかり閉まったことを確認して、魔樹は戸棚から読みかけのファイルを取り出す。
年齢は十歳、入学したてだ。魔力量はまあまあ高い。それよりも体術の成績がいい。中学年生では相手にならないだろう。
護身術も身に付けている。隙を突いて襲わない限り大人でも痕跡を全く残さず捕縛するのは難しいと思われる。簡単に攫われたとは考えにくい。
さらに最後に目撃されたのは寮の自分の部屋にいるときで、その部屋は窓もドアも内側から鍵が掛けられていた。
同室の三人は部屋の外にいて、室内には歩武、一人だけだった。いわゆる、密室だ。
「自分で逃げたか、隠れているか」
学園の寮には白の魔女の強力な結界が張り巡らされている。よほどの魔力を持ったものでないと侵入することは出来ない。
だが、学生なら制服を着ていれば出入りは自由だ。誰にも見られないように隠れて出て行くことは可能だ。
「それとも魔力だけでは解けないなにかか」
魔樹の『黒曜石探偵事務所』がこの街の探偵事務所の中で、もっとも成績を伸ばしているのは、魔術を使わず人の心の闇を見つめて捜査するからだ。
「聞き込みが必要だな」
ぼそりと呟いて、魔樹はファイルを閉じた。
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