第3話

「で〜んかっ♡」


 お決まりの台詞。

 いつもの可愛らし最愛の君の呼びかけにエドゥアルトが振り返ると……婚約者のシャルロッテがニコニコと笑顔で立っていた。


 彼女の姿を目視すると、途端にエドゥアルトは凍り付く。


「で〜んかっ♡ こんにちはっ!」


 シャルロッテはちょこんと首を傾げて王子に異様に明るい声音で挨拶をする。そこには普段の高貴な姿など微塵も映っていなくて、ただ年相応の可憐な少女が存在していた。


 いつもは濃いめの化粧も隙なくセットされた髪も今日は正反対で、薄化粧に軽く巻いただけの髪。香水も微かに香る程度で、棘のある薔薇ではなく野に咲くタンポポのような、ほんわかとした優しい雰囲気になっていた。


(かっ……可愛いな……)


 エドゥアルトは思わず息を呑む。

 

 令嬢として、そして王子の婚約者として完璧なシャルロッテだったが、その完成された淑女像故に一緒にいて酷く疲れる子だった。比較的自由な学園でも彼女の隣にいるだけで窮屈な王宮の延長のようで、彼は辟易としていたのだ。


 そんな婚約者が、今日は様子がおかしい。

 正直言うと驚きを隠せないが……悪い印象はしなかった。


「どっ……どうしたんだい、今日は? いつもと雰囲気が違うじゃないか」と、エドゥアルトは念のため警戒しながら恐る恐る尋ねる。


 するとシャルロッテはしおらしい様子で、


「実は……わたくし、反省いたしましたの」


「えっ? 反省?」


 予想外の言葉に、エドゥアルトは目を丸くした。


「えぇ。わたくしは殿下の婚約者として立派に務めなければと意気込んでいたのですけど、結局は自分のことしか見えていなかったのですわ。規律ばかりを重んじて、殿下のお気持ちなど微塵も考えておりませんでした。ローゼ様のお姿を拝見して猛省したのです」


「シャルロッテ……!」


 日頃の気品の高い姿とは打って変わってうら悲しい様子の婚約者は、エドゥアルトの閉ざされた心の扉を叩いた。

 まさかプライドの塊のような彼女の口からこのような殊勝な言葉が出てくるとは思わなくて、彼は驚愕を超えて感動に打ち震えていた。


「それで……その……」


 シャルロッテは令嬢らしからぬ上目遣いで婚約者をチラリと見やる。


「なんだい?」


 瞬く間に婚約者に絆されたエドゥアルトは、懐かしい気持ちを覚えながら幼少の頃と同じ優しい視線を彼女に向けた。


「あの、あのね……」シャルロッテはもじもじと身体を動かす。「お詫びの印に……クッキー、作ってきたの」


「クッキー!?」


 エドゥアルトは目を剥く。まさか侯爵令嬢が菓子なんぞを手作りするなんて……。


 貴族の令嬢は基本的には料理など自ら作らない。男爵家のローゼでさえ使用人に作ってもらっている。

 それを、王子の婚約者である、高位貴族の、気高い、シャルロッテが……!


 彼の胸にバチリと電撃が走った。


(俺のために……わざわざ……あのシャルロッテが!)


「殿下……」シャルロッテが瞳を潤ませながらコツンと首を傾げて言う。「迷惑……だった?」


「迷惑なわけないだろうっ!!」


「きゃっ!」


 エドゥアルトは急激な気分の高揚のあまり、勢いよくシャルロッテを抱き抱える。そして二人並んでベンチに座って、彼は生まれて初めての令嬢の手作りの菓子を口にした。


「旨い……!」


 婚約者の手作りクッキーは流石に王宮で出されるプロが作った菓子には程遠かったが、ほのかに甘くて優しい味がした。まるでシャルロッテの愛情が深く詰まっているような。


「本当?」シャルロッテは頬を染める。「喜んでくれて良かった! 殿下のために早起きして作ったんだよ?」


(俺のために……!)


 エドゥアルトは猛烈に感激していた。あんなに疎んじていた婚約者が今では愛おしくて仕方がなかった。

 自分はこんな健気な子をどうしてこれまで放っていたのだろうか……と、愚かな己を酷く呪った。


「シャルロッテ……。俺のほうこそ済まなかった。なにやら思い違いをしていたようだ。これからは、また婚約者として君の側にいてもいいか?」


「殿下……」シャルロッテのほんのり赤い頬がますます上気した。「もちろんですわ! その、これからも……よろしく、ね?」


「もちろんだ、シャルロッテ!」


 ついに愛情が弾けて身体から溢れ出たエドゥアルトは、がばりと情熱的にシャルロッテを抱き締める。

 彼女ははにかみながら微笑んだ。その屈託のない笑顔は侯爵令嬢の顔ではなく……純粋な恋する一人の少女そのものだった。


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