苦悩する少年と、究極の選択

アマルテア

短編 苦悩する少年と、究極の選択

――ピピピピ……


「……」


――ピピピピ……


「ん……」


――ピピ……


「ん……!」


――ピ


けたたましい目覚ましの音を強引に止め、


俺は目覚める。


俺は一度起きたら二度寝はしない


……というか二度寝出来ない派だが、


いつも通り目覚めは最悪だ。


自分の部屋で少しボーっとしたあと、


リビングへと向かう。


リビングには


弁当におかずを詰めている最中の母親がいた。


「おはよう」と声をかけると、


その声に母親はこちらに気づき、


同じ言葉を返してくれた。


いつも通りだ。


俺が朝ご飯を食べている時に、


父親が起床してくるのも


いつも通りだ。


俺が不自由なく学校へ行き、


不自由なく生活できているのも


両親の努力の賜物だと思う。



――これは極端な話だが、


俺は必要があれば盗んだり


物を奪ったりとか可能な人間だと思っている。


そんな犯罪を犯していないのは、


やる必要がないからだ。


必要があればやる人間だろうな


と思っているだけだ。


そんな趣味はないし、


両親の努力の甲斐あって裕福に暮らせている。


仮にだ仮に。


本当に極端な話だ、全く……。



全ての準備を終えた俺は、


自転車が置いてある外へ出る前に


玄関で二人に聞こえるように言った。


「それじゃ、行ってきます」


「――いってらっしゃい」


今度は玄関近くを通った父親が


返事をしてくれた。


俺は自転車に乗り、


通学している学校へと向かって漕ぐ。


……俺はこんな家族の日常が好きだ。


母親とも父親とも親しいし、


これ以上望むものはない。


望むものはない……はずなのだが、


叶うのなら、良いのなら、


俺は――



――夢を叶えたい。




俺は通学している高校に着き、


自分の教室へと入る。


そして、


自分の席へ着くと


後ろから陽気な声が聞こえてくる。


「おはよう!陰気諸君!」


「……」


こいつは後ろの席の小島ユウキ。


「陰気は君だよ君ぃ」


俺が何もしなくても突っかかってくる、


元気過ぎるのが問題な俺の……知り合いだ。


「諸君と言いながら俺だけなのかよ」


「君は陰気だろ?」


「理不尽だ」


「でも、陰気なんだろ?」


「おう……」


「いや〜、素直でいい子だな〜。


ボクちゃん」


「おい、撫でるな!


あと、君もボクちゃんもやめろ!」



午前の授業が終わり、昼休憩。


俺とユウキは教室で


持参した弁当を食べていた。


「はーい、笑って〜」


「おい、俺を撮るな」


――パシャッ


「……撮ったな」


「うーん……」


俺をスマホのカメラで


勝手に撮ったにも関わらず、


何か気に入らなかったようだ。


彼は不満そうな顔をしている。


「なんでそんなカオしてんだ。


もっと笑えよ〜」


俺は冗談交じりに反論する。


「これでもよく笑うようになったよ」


「……。


……ああ、知ってる」


俺は予想外のユウキの反応に、


驚きで目を見開いた。


俺は驚いた顔のまま、


正面に座るユウキを見た。


だが、


ユウキの顔の前にスマホがあり、


ユウキの表情は見えなかった。


――パシャッ



「今日のあの驚いた顔は傑作だな」


「あれは消せ。絶対消せ」


「えー、嫌だよ。


驚いた表情を撮るのってレアなんだぜ」


「俺の顔ではやめろ。


他の奴やつでも良いだろ」


「うーん」


最後の授業の前の10分休憩で話をしていた。


違う話題を切り出したのは俺だ。


「……お前、『夢』に近づけてるのか?」


「――どうだろうなー。


俺は近づけてると思うけど、


結果はまだ出てないし、


なんとも言えなーい」


「……そうなのか」


俺は


ユウキが夢を追っているのを知っている。


俺もこいつのその姿に影響を受け、


ユウキとは路線が違う夢を追っている。


「だけど、やっぱり楽しいな!


夢の写真家になるための


写真を撮る練習の段階も、


夢について話し合うのも!」


「――ああ。


写真を撮るのは控えてくれると


更に良いんだけどな」


「ははは!


それはオレがやめない限りは無理だろうなー」


「……こいつ」


俺たちはどちらからともなく笑いだした。



今日最後の授業中、


俺は教科書を眺めながら


一人考え込んでいた。


俺の長所はよく考えることだと思う。


よく考えた上で行動するから


失敗も最小限に抑えられる。


そして、


短所もよく考えることだと思う。


考え過ぎて俺は自分を追い込むし、


追い込まれると


極端なことばかり思い浮かんでしまう。


――今日の朝、ふと思った話みたいにな。



あんなの他人に話したら


犯罪者扱いされそうだ。


こいつは犯罪者の素質があるから


捕まえとこーぜみたいな。


捕まえられるのは更に有り得ない。



……また変な話が思い浮かんだ。


人は善人か悪人かって話。


俺は――悪人かもな。


犯罪的な話を思い浮かんでる時点で


善人じゃないし。


……かといって悪人は無理か。


そこまで振り切る気はないし、


悪人にならずに生きる方が、


俺は良い。


『どちらかといえば善人ではない』


が俺らしい答えか。



「じゃあ、当てていくからなー」


その教師の声に、俺は現実へと戻る。


今は英語の授業。


外国に興味はあるが、


英語の授業は面白味がない。


英語担当の教師は、


どうやら英文を


日本語訳しろと言っているようだ。


何も問題はない。


英文と日本語訳は書いてこいと


教師から言われてきているため、


俺は全て書いてきた。


正しい日本語訳になっているかは


知らないが。


……だが、俺は書いてきても、


授業になってもまだ書いていないやつもいる。


例えばそう、後ろの――。


「……ミナト、日本語訳見せてくれー」


そう小声で後ろから言われ、


俺は顔を前にしたまま


後ろの席にノートを渡した。


英語の授業ではいつものことだ。


「今日は女子から当てていくからなー」


その教師の言葉に


女子の席からは「えー」と声が聞こえ、


男子の席からは「よしっ」と聞こえた。


……もちろん後ろの席からもそう聞こえた。



数分経つと後ろからつんつんと突かれ、


ユウキがノートを返してきた。


「ミナト、サンキュー」


「いい加減にしろ」


俺はそう言い、


頭が低いユウキの頭を


ノートの角で小突いた。


そして前を向き、


自分の名前が呼ばれるのを待つ。


「じゃあ次、桂木(かつらぎ)ー」


「はい」


そう返事をしてから、日本語訳を応える。


『桂木』は俺の苗字。


『ミナト』は俺の名前。


俺は――桂木ミナトという名前だ。


「じゃあ、小島ー」


「はーい」


ユウキはゆるく返事をし、


俺の日本語訳と寸分違わぬ回答をした。


たまに俺の日本語訳が間違えていて、


それをユウキが答え、


先生に訳が違うと言われても


ユウキは俺のせいにはしない。


――こういうところは


よく出来た友……知り合いだな。


俺とユウキは高校一年の時に知り合った。


同じクラスで同じ文系。


それは高三になっても変わらなかった。


俺とユウキは似た者同士とはいえなかった。


ユウキは色々な人と関係を結びたいという


社交的な性格だったし、


俺は社交的とはいえない性格だ。


ユウキの交友関係は『広く浅く』、


俺は『狭く深く』派だ。


だが、俺とユウキの共通点もある。


それは夢があることだ。


そして、夢を語り合うことに楽しさを覚え、


互いに知らずと仲が良くなったようだ。


おれは夢を語り合えることが嬉しかった。


違う夢だけど、


夢を追う仲間として支えあっていける。


高一の時に諦めかけていた夢を


もう一度思い出させてくれたのは


ユウキだった。


俺の背中を押してくれるのが


ユウキで本当に良かった。



――だが、それで終わるはずがない。



授業を終え、部活動へと向かった。


俺はバスケ部に所属していて、


ユウキも同じバスケ部員である。


部活を終えたあと、


途中まで一緒に自転車を漕いで、


分かれ道でそれぞれの家の方面へと別れる。


そして家に着き、自分の部屋へと向かう。


ベッドに寝転がり、再び思考の海へと潜る。



ユウキが俺の夢を再起させてくれた。


だが、また新たな問題へと直面した。


『進路』だ。


俺はもう高校三年生。


進路を決めなければならない年だ。



それを考える前に、


俺とユウキの夢について思い出しておこう。


俺の夢は、


ゲームクリエイターになること。


小学生・中学生の頃、


テレビゲームをして


ゲームのストーリーに感動し、


俺はゲームを作る側に興味を持った。


一方ユウキは、


フォトグラファー……


つまり写真家になることだ。


その夢のきっかけは俺も知らない。


夢を追うことが


早かったのもあるかもしれないが、


あいつは俺よりも自分の夢に近づいている。


その決め手は


戦略的に事を進めていることだ。


どうやってかは知らないが、


まずネットで有名になり、


そのフォロワーに


写真を宣伝することにより、


顧客が増えるといった戦法だ。



ここで進路について俺は考えてみたのだが、


なかなか決められない。


夢を追えばいい……だけであるはずがない。



ユウキとは反対に、


俺の両親は


一般的な正社員になることを望んでいた。


俺はそれが冷たい応えだと分かっている。


俺はその応えが


突き放していないことを知っている。


俺の夢を両親に話した時、


両親は俺に話してくれた。


『お父さんは正社員。


今はパートだけど、


お母さんも正社員として働いてた。


だからね、


私たちは普通の働き方しかしないの』


俺はそれを聞いて泣きそうになった。


夢を諦めなければならない辛さと、


夢を否定した訳ではない優しさに。


俺はその場をゆっくりと離れた。



ユウキは夢を叶えるために行動していて、


両親は


一般的な正社員になることを望んでいる。


ゲームクリエイターの


専門学校へ行くことも考えたが、


それは東京や都会にしかなかった。


入学金もかかるし、


通学だけでもお金がかかりそうだ。


そうは言っても、


普通の行きたい大学はないしな……。



俺は選べなかった。



どちらも譲れなかった。



どうしたらいいのか分からず、苦しかった。



苦しさから逃れようと、


家族の日常に入り浸り、


高校という決められた時間に甘えた。



『死』という選択肢も頭の片隅にあったが、


俺に……



その選択肢を実行する気はなかった。



それは、


家族や友だちとの日常、


そして何よりも『夢』が


『死』よりも価値の高いものだったからだ。



「ミナトー、夜ご飯よー」


俺を呼ぶ母親の声に俺は起き上がり、


「今行くー」と返事をした。


―― 滲んだ涙を拭ってから。



次の日になり、


俺は昨日と同じように自分の席に着いた。


スクールバッグから


教科書やノートを取り出し、


授業の準備を進めていく。


バッグから筆箱を取り出した瞬間、


俺の背中がバシッと叩かれた。


俺は目を見開き、


背中の方へと目を向ける。


そこには一人の男子生徒が立っていて、


視線を上に向けると――


楽しそうに笑うユウキの顔があった。


「……お前か、ユウキ」


「また珍しい顔!


昨日みたいに写真撮っておきたかったなー」


こいつ……味を占めやがった。


何か言い返してやろうと思い、


口を開いたものの


先に喋ったユウキに遮られた。


「それに……


お前にちょっかいかけるのは


俺しかいないだろ?」


「……ちょっかいかけてる


自覚はあるんだな」


「ははははー」


俺は恨めしそうにユウキを睨む。


ユウキは席につくと同時にこう切り出す。


「昨日テレビでやってた2時間スペシャルの


宇宙人特集の番組見たか?」


「ああ、俺も見た。


ちょうど夜ご飯の時に流れてたな」


「そうそう。


それでさー、


ミナトは宇宙人とか信じる派?」


それを聞きたかったのか。


それは決まっている。


「俺は信じる派だ。


お前のことだ。


俺と同じなんだろ?」


ユウキは少し間を開けて、


顔をニヤリとしてから応える。


「もちろん、俺も信じる派だ。


まあ、ミナトとは違う理由だろうけどなー」


そう、俺たちは似た者同士ではない。


同じ派閥であっても、理由は違う。


「俺は宇宙人とか宇宙とか、


ロマンを感じるわー!


宇宙人とか幽霊とかがいれば


見てみたいもんな!


そういうのがある方が面白い!」


「まあ、お前ならそう考えるよな」


俺は呆れたようにそう漏らす。


興奮気味のユウキを落ち着かせ、


今度は俺の理由を述べる。


「俺は宇宙人とか幽霊が


いてもおかしくないと思う。


俺たちの知ってる世界って


誰かが証明したものを見てるだけだろ?


――例えば、エジソン。


エジソンが発明するまでは


電球なんてものはなかった。


だけど、今ではどうだ?


電球なんて


そこら中にあって見慣れたもんだろ?


だから、


宇宙人を見つけられないだけで


いるんじゃないかと思ってる」


「理論的だなー。ミナトらしい」


俺たちは互いに意見を交換し、


相手の意見を尊重し合う。


これはいつものことだ。


「なんでそんなに理論派なのに


頭は俺よりも悪いんだろうなー」


「……」


こいつ……わざとすっとぼけてやがる。


「お前みたいに


頭のネジがぶっ飛んでないんだよ」


「いや、


お前の方がネジが足りてないんだよ!」


「くっ……」


ユウキは俺よりも賢い。


テストの点数も順位も高い。


順位は、常に1桁と2桁を行き来する。


俺がどれだけ勉強しても追いつけない域だ。


その賢さ故に


戦略的な考え方が出来るんだろうな。


……今回は負けを認めてやろう。


俺はニヤニヤとした顔のユウキに、


ぐぬぬと歯噛みをした。



午前の4つの授業を終え、昼休憩の時間。


今日もまた目の前のカメラマンが鬱陶しい。


「はいはーい、笑顔ー」


「なんで食べてる最中に撮るんだ」


「食べてない時ならいいのか?」


「いや、そっちもダメだ」


「結局そうなるだろ?


だから、今撮っておかないと」


――パシャッ


スマホのカメラとともに


このシャッター音も気に食わない。


「またしかめっ面だぞ。


ほら、口角を上げる!」


「おひっ(おい)!


にゃにすんだ(なにすんだ)!」


俺の口角を強引に上げやがった!


ユウキの手で!


「離せ……!」


「俺も写ろ〜!


はい、ちーず」


――パシャッ


ユウキは俺の口角から手を離し、


俺は口元を抑えながらユウキに問いかける。


「無理やり口角を上げる必要はないだろ」


「ごめんごめん!」


「……お前はやっぱり脳筋だ」


「俺、賢い脳筋なのかな」


「矛盾してないか、それ」


ケタケタと笑うユウキの顔を見ながら、


俺は呆れてそう返す。


すると突然、


ユウキのたるんだ顔が引き締まった。


「……」


ユウキはしばらく何も言わず固まっていた。


「お、おい、どうした」


「あー……いや、


この近隣に不審者だってよ」


「不審者?」


「スマホの通知で来てたぞ」


俺も自分のスマホに視線を落とし、


通知欄を見る。


ユウキの言う通り、


確かにそれらしき通知が速報で来ていた。


「……確かに近いな。


俺たちの最寄り駅から


すぐ隣の駅に出没したってことだよな」


「そうっぽい。


何か学校側から連絡があるかもなー」


ユウキはそう言い、


自分のスマホに目を向ける。


俺はその様子を見ていた途中、


手に持ったスマホがブブッと震えた。


チラッとスマホを見ると、


母親から通知が来ていた。


俺たちが昼休憩している間、


母親の方もちょうど休憩時間中である。


そして、案の定母親も


不審者出没のニュースを見ていたようで、


『気をつけて帰ってくるのよ』


と俺を心配して連絡してくれていたのだ。


俺はそれを見て、


ユウキに聞こえる声で一人呟いた。


「ああ、ありそうだな」



俺たちの予想通り、


6限目の授業が終わり、


担任教師から不審者出没の連絡があった。


そして、


ひとまず今日の部活動は


全部活中止にするという話になった。



「まあ、そうなるよなー」


ユウキがそう言いながら自転車を押す。


俺も帰路に着くため、


自転車を押して言う。


「ああ。


バスケ部はちょうど大会がない時期で


良かったな」


「はは、ホントに」


俺たちが自転車に乗った時には


すでに違う話題へと話を変えていた。


帰路の途中にある分かれ道で


俺たちはバラバラに帰るのだが、


今日は分かれ道の手前で、


お互いに


『気をつけて帰れよ』


と告げてから帰っていく。



道中何も起こることなく、自宅に着いた。


「ただいま」


「おかえり、ミナト」


仕事を終え、


先に家にいた母親が出迎えてくれた。


俺は家についさっき帰ったままの足で


自分の部屋へと向かった。


部屋に入り、スクールバッグを置き、


制服姿のまま自分の机へとつく。


そして、


スクールバッグからノートを取り出し、


課題を終わらせるべくペンをとる。


着慣れた制服は


三年経っても窮屈なことに変わりはない。


俺は制服姿のまま課題をし、


課題を終えたら制服を脱ぐことができる。


かつ、課題も早く終わらせることができる。


という一石二鳥の課題の終わらせ方を


俺はいつも自分に課している。


この方法はいい、とてもいい。


今まで課題を後回しにしていた俺に


ピッタリな方法だ。



あっという間に課題を終わらせ、


制服を脱ぐことが可能になった。


だがその前に、


課題を終わらせて疲れたのか、


はたまたただ夏で暑いからなのか、


喉が渇いたため、リビングへと向かう。



リビングに着き、お茶を飲んでいると、


母親が俺のことを呼んできた。


「ミナト」


「?」


「メイン料理で使う予定だった


お肉を買ってくるの忘れちゃったのよー」


「ええ……


そういうところあるよな、母さん」


「そういうところ?」


「そういう忘れっぽいところ。


じゃあ、俺が買ってくるよ」


ちょうど良かった。


俺は制服を脱いだあとは、


パジャマという名の部屋着へと


着替えてしまうため、


外出が不可能になってしまう。


だから、着替える前でよかった。


制服で買い物に行くことになるが、


部屋着で外出するよりはマシだろう。


母親にどんな肉か聞き、すぐさま出発する。


「エコバッグは持った?


お財布も持ったわね」


「ああ、行ってくるよ」


そう言って、俺は玄関から出た。



徒歩で近くのスーパーへ買い物に行き、


指定された肉を買い、


レジでは


「あら、桂木さん家のボクくんじゃない!」


とレジのおばちゃんに言われ、


母親がスーパーの常連であることを


少しばかり恨み、


なんとかスーパーの外へと出た。



「母さんがスーパーの常連だから、


レジのおばちゃんにも


『ボクくん』って呼ばれるんだぞ」


母さんに訴えてやると心の中で思い、


俺は民家の曲がり角を曲が――ろうとした。



だが、曲がることは出来ず、


代わりにすごいスピードで女の子が


曲がり角の奥から飛び出してきた。


「うおっ!」


脳が危険信号を出し、


歩を進める足が止まる。


その女の子は俺に驚き、


躓いて転んでしまった。


女の子は制服を着ていて、


俺はその制服に見覚えがあった。


――俺の高校の制服だ。


俺は斜め後ろですっ転んだ女の子に


駆け寄ろうとした。


だがその瞬間、


後ろから来たもう一人と運悪く衝突し、


俺も、ぶつかった人も、


地面に転がることになった。



――カツン



ぶつかった人の持ち物が地面に落下し、


音を立てた。


盛大に倒れた体を持ち上げながら、


ぶつかった人に声をかける。


「いって……大丈夫です――」


無事か問おうとしてかけた言葉は


最後まで言い終えることはなかった。



そして、


俺の視線はぶつかった人の


持ち物に注がれている。


カツンと音を立てて落ちていた


その持ち物は――



――拳銃だった。



俺は何が起こっているのか


理解不能だったが、


それが拳銃であるという事実だけは


揺るがなかった。



俺は視線をゆっくりと上げ、


拳銃の持ち主の姿を見る。



俺とぶつかったその人は、


俺よりも高い身長で、


あまり清潔とはいえない状態の服を着ている。



ジーンズを履き、黒いパーカーを着用。


深くフードを被っていて顔は見えない。



男は地面に倒れた際に


当たり所が悪かったのか、


頭を抑えて横になっている。




俺はその男の姿を見て、


一つの単語を思い浮かんだ。



――『不審者』



隣の駅に出没したという不審者。


姿の特徴などは聞いていなかったものの、


どう考えてもそうとしか言いようがない。



俺は目の前に転がっている拳銃を見た。


拳銃の奥には男が、


俺の真横には女子生徒が。


これからどう行動をするか。



――女子生徒を連れ、俺も逃げる。


これが一番正しい案だ。


だが、逃げている間に男が起き上がったら?


拳銃で射撃される危険性があり、


それがどちらかに当たったらおしまいだ。


――バァン



――女子生徒を連れ、


拳銃を持った俺も逃げる。


拳銃を持って逃げれば、


後ろから撃たれることはない。


だが、男はナイフを隠し持っていて、


結局は俺たちを追いかけるかもしれない。


……でも、拳銃って所持しているだけでも


捕まるんじゃなかったか?


この案も却下だ。



くそっ。


逃げることはどう足掻いても


出来ないようだ。


死ぬかもしれないという


リスクを負って逃げようとは思わない。



……死ぬ?



俺は拳銃を再び見た。


そして、



――拳銃を手に取った。



俺は『死』を選ばなかった。


どれだけ悩みを抱えても、


誰にも相談できない苦しみを抱えても、


俺は生きることにした。


俺の『夢』は『死』よりも


価値の高いものだと――



――言い訳をして。



目を逸らしていた。


何度も「死にたい」と唱える自分が憎くて、


信じたくなくて、情けなくて、


頭の中がうるさくて、


そんな自分が嫌だった。


夢のために生きていたいのに、


どうすべきか悩んで苦しかった。


でも、その勇気はなかった。



そんな俺の前に


一瞬で『死』に辿り着く術があったら、


どうする?


俺は手に取った拳銃の重みを感じていた。


これに銃弾が入っているかは分からない。


それでも、俺は迷っていた。



俺を撃つか、男を撃つか。



俺は拳銃の銃口を恐る恐る


俺から見える方に向けた。



このまま撃てば


鼻を貫通するだろうという角度で


俺は拳銃を見た。



右の人差し指で引き金に力を入れる。



「ああ……やっぱりな」



俺は渇ききった喉でそう呟く。



力を入れた指は


引き金を引くどころか、


むしろ力が抜けていった。



俺……死ぬことが怖いんだな。


両親との日常、友だちとの日常、


俺の夢、俺の未来。


俺という全ての人生が、


今この瞬間の『死』よりも


価値の高いものだったんだ。


ただ俺が臆病なだけかもしれない。


だけど、


『死』よりも価値の高いものだ


ってことにしておく。


俺が少しでもそう思ったのなら、


そうに違いないさ。



――俺は銃口を男に向けた。



俺は男を改心させようとする気も、


男を逃がす気もなかった。



……俺は善人じゃないからな。



――でも、悪人でもない。



俺の行動で全てが決まる。



俺は、銃口を男の右太ももへと向けた。



有り得ねぇ。



俺が拳銃で人(の足)を撃つなんて。



男は頭を抑えながらも、


顔を俺の方へと向ける。



正面に座る俺からは、


フードの中の顔を見ることが出来た。



俺はその顔を見て、しばらく思考停止した。



「――ほんと……有り得ねぇ」



俺は男の顔を見て、自分の顔を強ばらせた。



――全て分かってしまった。



俺は吸い寄せられるように


男の『顔面』へと銃口を向けた。



今の自分には、


お得意の何でもかんでもな


思考をすることが出来なかった。



思考を放棄したのは、


目の前の男の顔を見てからだ。



男は、拳銃を持つ俺が


憎くて睨んでいるのだろうか。


しくじったという自責の念を抱いて


悔しがった顔をしているだけなのだろうか。



今の俺にはそれが精一杯の思考だった。



かく言う俺は、


強ばった顔のまま拳銃を握っている。



拳銃の引き金に指を添える。



そして俺は、不器用に笑顔を浮かべる。



見方によっては少し歪にも見えた。



「なんでそんな『カオ』してるんだ。


……もっと笑えよ」



俺は独りでにそう話しかけ、


引き金を引いた。



――バァン



ジリジリと夕日が照りつけ、


ジージーとセミが鳴く。



煙を吐く銃を持ったままの腕を下ろし、


俺は――



――疲れ切ったように、少しだけ口角をあげた。



胸元に付いている


桂木と入った名札に、


顔から滴り落ちた透明な雫が付着した。




何処かの民家の前を


制服を着た2人の男子が


噂話をしながら通っている。


「なあ、あの不審者事件終わったらしいぜ」


「あー。


昨日突然、


全部活が活動中止になったやつな」


「そうそう、それそれ」


「まさかこんな早くとは


思ってなかったよなー」


「分かるー。


でも今日から部活出来るから助かるわー」


男子生徒たちは民家の前を通り過ぎる。


その民家の中のテレビからは、


ニュースが流れていた。


『昨日、駅に不審者が現れました。


その不審者は逃走を重ねたあと、


その日の夕方、


隣の駅の民家に現れました』


その民家に住む還暦を超えた女性が


テレビの前を忙しなく動き回る。


『しかし、事件は急変し、


民家の道路で血を流した状態で


倒れているのを発見されました』


女性は外出の準備を終え、


テレビのリモコンを持ち上げた。


『死亡した男性は、



――桂木ミナト氏、推定24歳。



死因は――』


女性は、リモコンでテレビの電源を切り、


玄関へと向かっていった。

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