第三章 これからの旅の話
第49話 これが温泉回ってやつですか?
「――づあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
我ながら「あ、これ本気で疲れてる時に出るやつ」と感じるほどの長い呻き声のあと、大人四人ぐらいは楽に寛げるほどの広さの天然温泉で、俺は一人、めいっぱい体を伸ばした。
「あ~、効く。これ効いてる。絶対何かに利いてるわ~、効いてる感じするわ~」
既に陽は完全に沈み、明かりと呼べるものは星明りくらいしかない静まり返った夜の露天風呂。
他には誰もいない貸し切り状態なのをいいことに、俺はやたらと大きい独り言を漏らしていた。疲れている時というのは、俺はどうにも独り言が増える癖があるらしい。
昼間シビルに温泉の存在を知らされたあと、すぐにひとっ風呂浴びてこようとも考えたのだが、何しろ久しぶりの温泉だ。
できれば誰にも邪魔されず、自由で、なんというかすくわれてなきゃあダメだと思い、一人ゆっくり堪能するべくこうして夜遅くにこそこそやってきたのだが、やはりこれは英断だったな。
「は~、なんだかこの旅が始まった時からの疲れごと抜けていく気がするな。今までこんなにゆっくりと湯船に浸かる機会なんてなかったからなぁ」
高原の澄み切った空気と、ビルの明かりや街灯など全くない絶好のロケーションのお陰ではっきりと見える星空の下、絶妙な湯加減の温泉にゆったりと浸かる。
なんて贅沢なんだ。色々と大変な旅だったが、ひとまずここまで頑張ってきて本当に良かった。
気持ちよさと眠気でトロンとした頭で、俺は今までの旅路をしみじみと振り返っていた。
自分にとっても大きなメリットがあるとはいえ、半ば強制的に旅を始めさせられたり、いきなり高所からの命綱無しスカイダイビングをさせられたり、運よく助かったと思えば今度は盗賊に追われたり、かと思えばグリズリーみたいな犬に襲われたり、果てはドラゴンと戦うハメになったり……。
「……改めて冷静に振り返ると、よく無事だったな、俺」
結構危ない橋を渡っていたんだなという事実に、今更ながらに変な汗が出てきた。これほど波乱万丈な体験をしたワナビが、果たして世界に何人いることやら。
「い、いかんいかん! こんな暗いことばっかり考えてちゃ、折角の温泉が台無しだ」
頭の中を過った邪念を振り払うように、俺はバシャバシャと湯で顔を洗った。
ここまで無事に旅を続けてこられた。今は取り敢えず、それで良しとしようじゃないか。
ザフッ、ザフッ。
「…………え?」
突如として、何者かが雪道を踏みしめる音が聞こえて来た。
咄嗟に息をひそめ、水音もなるべく出さないようにじっと身を固めていると、足音はなおも消える気配はなく、それどころかどんどんとこっちに近付いて来る。
数は、一人のようだ。
な、なんだ、誰だ? こんな時間にこんな場所に来るなんて、そんな物好きがいるのか?
盛大なブーメランを放ちつつ、俺は逸る鼓動を必死に抑えて息を殺し続ける。
足音が、雪道を踏みしめる音から、ひた、ひた、という濡れた岩場を歩く音に変わった。暗い上に湯煙が立ち込めていてよく見えないが、足音の主は、もう俺の入っている温泉のすぐ水際まで来ているようだ。
俺は細心の注意を払い、タオル代わりの布と着替えを置いている近くの岩にそ~っと手を伸ばす。相手が人だったらまだしも魔物だったら一大事だが、逃げるにしてもせめて腰に布くらいは巻かせて欲しい。
着替えに手を伸ばしている間、しばらく足音が消えたかと思うと次には何やら衣擦れのような音がして、そしてとうとう、パシャッ、と何者かが湯船に入って来る音が聞こえた。
「だ、誰だ!?」
いつでも逃げられるように着替えに手を掛けながら、俺は腹を決めて問い掛けた。
「ひゃっ!? え、何、誰かそこに――って、わわっ!」
果たして、突然声を掛けられたことに驚いて足を滑らせてしまったのか、短く悲鳴を上げながら前のめりにつんのめって湯煙の向こうから倒れてきたのは――
「じゃ、ジャック!? おわっ!」
「し、シバケン!? きゃあっ!」
受け止める体制など微塵も整えていなかった俺は、そのまま倒れて来たジャックの下敷きになるようにしてあえなく湯の中へ。
全ての空気が口から吐き出され、俺は苦しさにジタバタともがく。急いで顔を出さねばととっかかりを求めて腕を伸ばした瞬間、何やら柔らかいモノを鷲掴みにした。
な、なんだこれ? あったかくて、柔らかくて、まるでお湯を入れた水風船みたいな……。
息ができずに軽くパニックに陥っていた俺は、まずは湯から出ようとその柔らかいとっかかりに掛ける両手に二度、三度と力を込めて、どうにか水面に浮上する。
「…………ぶはぁ!」
「…………かはっ!」
俺が飛び出すと同時、ジャックも俺のすぐ目の前で水面から顔を出した。
そして……。
「ジャック! お前こんな所にな……にを…………」
「どうしてシバケンがこんな所に…………へ?」
二人同時に、俺の手元に視線が向く。
俺の両の手のひらがしっかりと鷲掴みしていた「とっかかり」は、体に巻かれた布越しに膨らみを見せる――ジャックの胸だった。
「…………そのバストは豊満であった」
「わぁぁぁぁぁぁっ!?」
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