第34話 「私がいます!」
凍りついていた空気が切り裂かれ、我に返ったように皆が俺の方を向く。
「つ、続ける、って言ったって……」
「一体、どうすれば……」
──ゴァァァァァァッッ!
ドラゴンが再び咆哮し、とうとうその巨躯を揺り動かしながら、じりじりと舞台上に近寄ってくる。
迫りくる巨大なモンスターの威容に、従者たちが一人、また一人と全身を強張らせた。
このままでは、会場を支配する恐怖が「本物」になってしまうのも時間の問題だ。
俺は大急ぎで舞台袖にあった拡声器を引っ掴むと、手に持っていた台本を放り投げ、ありったけの力を込めて、拡声器に向かってまくしたてた。
「〈――なんということでしょう! もはや勝敗は明白! 我らが騎士モモタロスの誇り高き白銀の槍が、遂にグラン・オーガの悪しき魂を打ち貫く! 輝かしい勝利の二文字へと至る、まさにその一歩手前でっ! 最後の最後になって、グラン・オーガの最大最悪の隠し玉──恐ろしいドラゴンが、その異形を現しました!〉」
ジャックも、ラヴラも、壇上にいる全員が呆気に取られて舞台袖に視線を走らせる。
対照的に、観客席からは半ば安心したような、同時に消えかけていた熱狂が再燃したかのような騒めきが伝播していった。
「な、なんだなんだ?」
「これも、やっぱり何かの演出なのかしら?」
「ま、マジか? だとしたら、すげぇ迫力だな……!」
騒めきはやがて会場全体に広がっていき、唖然とする壇上のラヴラたちをよそに、遂には再び堰を切ったように歓声が沸き上がった。
「いいぞ~、ドラゴン! 暴れろ~!」
「モモタロス様~! 頑張って~!」
あちこちから聞こえて来る揺れるほどの声援に負けじと、俺も地面に叩きつける勢いで拡声器を振りかざした。
「〈さぁ! 絶体絶命だぁ! 我らが英雄、騎士モモタロスはここで朽ち果ててしまうのかぁ! 王国の明るい未来への希望は、ここで潰えてしまうのかぁ!〉」
何というか、とても不思議な気分だった。
気が付けば、「大演劇祭」を無事乗り切ろうとか、ラヴラや従者の皆が助かるように頑張ろうとか、そんなことは綺麗さっぱり頭の中から消え失せていた。
これ以上ないくらいの盛り上がりを見せる観客席を見据えながら、俺は何よりも今、俺の、俺たちの「創作」を見てくれている彼らの期待に応えたかった。
「……わかるだろ? 皆、この『大演劇祭』を凄く楽しみにしていたはずなんだ。この非日常を、凄く楽しみにしていたはずなんだよ」
俺は拡声器から口を離し、いまだ呆然と立ち尽くす仲間たちにも訴えかける。
「心が締め付けられるような悲劇でもいい。身の毛もよだつような怪談でもいい。見ているだけでドキドキする恋物語でも、胸躍るような冒険譚でも何でもいい。辛い仕事とか、面倒臭い人付き合いとか、上手くいかない現実とか、普段のそういう大変な日常との戦いを一時忘れて入り込むことができる、そんな物語を楽しみにして、皆は今、俺たちを見てるんだよ」
「シバケン……」
「シバケンさん……」
それでも、何事もそうであるように、物語にも終わりがある。
物語が終わってしまえば、非日常が終わってしまえば、俺たちはまた退屈で辛い現実に戻らなくてはならない。
でも、だからこそ。
「小説だろうと演劇だろうと、物語の作り手には、読者や観客を一瞬たりとも現実に戻すことなく、物語の最後の最後の最後まで連れて行ってやらなきゃいけない義務があると、俺は思う!」
我ながらクサいセリフを吐いているな、とどこか他人事のように感じながらも、俺は最後まで言い切った。途端に、全身にどっと疲れが押し寄せる。
まったく。キャラじゃないんだから、あんまり熱血やらせるんじゃない。
「……フフッ」
肩で息をする俺を、しばらくは何も言わずに黙って見降ろしていたラヴラが、唐突に口元を押さえて微笑んだ。
な、なんだ? やっぱり今のセリフは、ちょっと痛々しかったか!?
「シバケンさんは本当に……物語がお好きなんですね」
俺の心配とは裏腹に、ラヴラは穏やかな口調でそう言うと、次には力強く頷いた。
「わかりました。シバケンさんの言う通り、このまま演劇を続けましょう」
傍らではジャックも、いつものあの馬鹿みたいに明るい笑顔を取り戻す。
「はぁ……キミって奴は本当に、物書きのこと以外はダメダメのくせにさ」
やかましいわ。余計なお世話だ、ほっとけ。
ラヴラとジャックがやる気を見せたのを皮切りに、舞台上の皆も半ば吹っ切れた様に立ち上がる。どうやらまだ、諦めずには済みそうだ。
視線だけで言葉を交わし、全員で頷き合う。
蹲っていたオーガ役のシェパードが立ち上がり、一際豪快に高笑いし始めた。
「〈グワハハハハハッ! さぁ、どうする? 騎士モモタロスとその一行よ! この絶望を、貴様らは見事打ち払うことができるかな?〉」
「〈くっ……さすがにこんな相手、アタシたちではどうにも……〉」
猛練習の賜物か、咄嗟のアドリブながらも皆の演技は上出来だ。
「あとは……あのドラゴンをどうにかして撃退しないとな」
当然、こちらは演劇のつもりでも、あちらさんは間違いなく本気で襲い掛かって来るだろう。この世界のドラゴンがどれほど厄介な存在なのかは知らないが、少なくとも生半なことでは歯が立たないことぐらいは俺でもわかる。
皆に発破をかけた所まではいいとしても、ここからはガチで完全にノープランだ。
はてさて、一体どうしたものか。
「〈――諦めてはいけません!〉」
と、真っ向からドラゴンと対峙したラヴラが鋭く叫ぶ。
騎士モモタロスとドラゴンとの最終決戦を今か今かと待ちわびて、固唾を呑んで成り行きを見守る観客たちの視線を一身に浴び、ラヴラは続ける。
「〈私たちの前にいるのは、倒すべき悪! 私たちの後ろにいるのは、平和を待ち望む王国、ひいては護るべき民衆です! ならば私たちはけして、ここで退くわけにはいかないのです!〉」
いっそ神々しいとすら言えるほどに凛としたラヴラのその勇姿に、観客の目は釘付けだ。
「〈それに、恐れることはありません! あなた方の前には……〉」
ラヴラが勇ましい笑顔を浮かべ、天まで届かんばかりに高々と槍を掲げた。
そして……。
「〈――――私が、いますっっ!〉」
そのまま右手に携えていた銀の槍を、やにわに舞台に突き立てた。
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