第32話 演劇の途中だがドラゴンだ!

「〈──むかーしむかし、ある片田舎の村に、お爺さんとお婆さんが住んでおりました。ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に――〉」


 開演を出迎える拍手が静まり、観客全員が舞台を注視する頃合いを見計らって、俺は台本を朗読し始めた。


 何度も練習はしたのだが、いざ本番となるとやはり勝手が違い、トチらないように必死に気を落ち着かせるので精一杯だ。


 こんな緊張感を味わったのは、応募原稿が初めて一次通過した時以来だろうか。まったく心臓に悪いったらありゃしないが、ここで俺がつまらないミスをするわけにはいかない。


(気張れ、俺!)


 幸い、その後も何とか大きなミスもなく朗読ができたことで余裕が生まれ、俺はチラリと観客席を盗み見る。一番舞台に近い位置にいる集団の何人かが、怪訝そうに腕を組んでいた。


 たしかに、この最初の朗読はいかにも子供向けのおとぎ話の冒頭といった感じで、客のほとんどを占める大人の観衆には、いまいちウケがよくないのだろう。


 会場全体に、期待していたほどのものではないのでは、という不信感が漂う。

 だけど……これはただの朗読じゃない。演劇なのだ。


「〈モモタロスと名付けられたその子どもは、お爺さんとお婆さんの愛情をたっぷりと注がれて、すくすくと成長していきました。そして、彼女が成人になった日の朝のこと――〉」


 俺の語りと共に、場面転換の為に閉じられていたカーテンが開かれる。

 瞬間、会場中を支配していた白けた空気が、物の見事に霧散していった。


 ステージの中央。見惚れるほどの綺麗な金髪を風になびかせ、宝石のように輝く銀燐の右腕を客席に向かって真っすぐに伸ばし、鈍色に光る銀槍を片手に颯爽と、そして厳かに佇む美しい女騎士の姿がそこにはあった。


 会場のあちらこちらから陶然とした溜息が漏れ、退屈に目を細めていた者はほぼ真円にまでその眼を見開いた。


 今、この場にいる全員が。俺でさえも。一瞬として、彼女から目を離せなかった。


「〈――お爺さん、お婆さん。こんな私を今まで育てて頂いたこと、感謝してもしきれません。今や王国全土に暗い影を落とす、邪悪で強大のオーガ退治への危険な旅路。いつ果たせるとも、いえ、もはや生きて帰って来られるとも知れないこのような旅に、これまでお二人から頂いた沢山のものへの報恩もままならぬまま向かうのは、大変心苦しく思います――〉」


 本番前の頼りない雰囲気はどこへやら。

 どこに出しても恥ずかしくない主人公然としたラヴラの演技は、「素晴らしい」の一言に尽きるばかりだった。


「……ハハッ、やっぱりあいつ、メンタルの弱さが玉に瑕だな」


 開演直後から一変、大多数の観客が食い入るように壇上を見つめる様を俯瞰して、俺は小さくそう呟いた。


 ※ ※ ※ ※


 ラヴラのインパクト抜群な登場に勢いづいたか、それからの皆の演技も申し分ない出来栄えだった。緊張どころか、むしろ誰もが演技を楽しんでいるようにすら見える。


 そうして物語はどんどんと進んでいき、騎士モモタロスが村を発ち、忠心篤い〈犬人種〉、素行は悪いが根は優しい〈猿人種〉、元気いっぱいの〈鳥人種〉のお供を伴い、一路オニガシマへと向かっていく。遂に最終決戦を前にして、観客の高揚も最高潮だ。


「〈――さぁ、観念しなさい、グラン・オーガ! 王国全土を脅かす諸悪の根源、この騎士モモタロスが必ずや打ち滅ぼして見せましょう!〉」

「〈ウフハハハハッ! よくもここまで来たものだ、騎士なにがしとやら。まさかこの吾輩に反旗を翻すとは愚かなり! これは許されざる蛮行と言えよう! かくなる上はこの『超オニガシマ級の金棒』をもって貴様らの罪に私自らが処罰を加えてやる! 光栄に思え! そして死ぬがよい!〉」


 やがて始まる敵味方入り乱れてのチャンチャンバラバラ大立ち回り。

 もはや観客席では座っている者を見つける方が難しく、みな手に汗を握り、興奮気味に頬を紅潮させ、ときには騎士モモタロスへの声援を力一杯叫んでいる。


「…………よっしゃっ!」


 会場の凄まじい熱狂、収まらない興奮、何とも言えない素晴らしい一体感は舞台袖にも充分に伝わってきており、気付けば俺も子供のようにガッツポーズをかましていた。


 大成功だ。

 はっきりと、そう確信していた。


 三日前までのどん底の状態から考えれば、これは充分大成功と言えるだろう。このまま何事も起こらなければもう『大演劇祭』は乗り切ったも同然。ラヴラも従者の皆も何の罪に問われることもない。何もかもが上手くいったのだ。


「〈――もう、勝負は決しました。無駄な足掻きは止めて、大人しく裁きを受けなさい〉」

「〈ぐ、グググ……カカッ! よもやこの吾輩に膝をつかせるとはな。モモタロスと言ったか、その名、しかと覚えておこう……だがッ! 吾輩とてそう簡単に負けてやるつもりは無い!〉」

「〈くっ……何を……!?〉」

「〈ここまで吾輩を追い詰めた事への褒美として、貴様らには吾輩の全身全霊をもった『無駄な足掻き』を見せてやろう! さあ、恐怖に慄け! 絶望に泣け! これが吾輩の最後の秘奥義! いよいよもって死ぬが――〉」


 ドゴォォォォォォンッッ!


 突如、耳をつんざくような破壊音と共に、俺が控えている方とは反対側の舞台袖が土煙をもうもうと上げて半壊した。


 何が起きたのかと考える余裕も与えられず、次には半壊した舞台袖から、何やら巨大な生物が壇上に闖入してきた。


 客席から上がる悲鳴をファンファーレ代わりに、謎の巨大生物が、煙に遮られていたその全容を露わにする。


 血液を彷彿とさせる赤黒い色の、ごつごつした鱗。大型トラックのタイヤほどもある、黄ばんだ二つの眼球。一本一本がそのまま武器としても使えそうなくらい、鋭利な爪と牙。


「…………おいおいおい。こりゃもしかして、もしかするのか? え? リアル異世界ファンタジーさんよ……?」


 ギロリと壇上の俺たちを睥睨し、巨大生物が咆哮する。


『ゴァァァァァァァッッ!』


 ほとんどゼロ距離から発せられた暴力的なまでの轟音に、全員が耳を塞いで固まる中、ジャックの驚愕に満ちた叫び声が聞こえてきた。


「――――ドラゴンだっっ!」


 この期に及んでも無意識にメモを取り始める己の体にさすがに眉根を寄せながら、俺はジャックの叫び声をどこか遠くに感じつつ、小山ほどもあるその巨大生物を見上げていた。

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