第17話 火事場のバカ記憶力
「ボク、犬アレルギーなのっ!」
「犬の亜人種なのにかっ⁉」
あまりに予想の斜め上過ぎる回答に、俺は思わず声を張り上げてしまう。それが災いしたのか、旅人さんに群がっていた魔物の中で、一際でかい体つきをした奴が標的を俺に変更した。
『グルルルッ、ガァァッ!』
「あっ」
虚を突かれて叫ぶ旅人さんの脇をすり抜け、おそらくは群れのリーダー格らしい、馬ほどの大きさの一体が唾を飛ばしながら向かってきた。
走る勢いそのままに、俺の喉笛を噛み千切らんと御者席目掛けて大ジャンプ。大きく開かれた、トラバサミみたいな口が迫ってくる。
「よ、避けて! シバケン!」
「うぉぉっ!?」
咄嗟に御者席から横っ飛びに飛び降り、俺は地面にすっ転がる。
間一髪、ガルムの必殺の牙はついさっきまで俺の頭があった虚空を切り裂いた。が、運の悪いことに御者席と馬を繋いでいたロープがぶち切られてしまう。
「あっ、馬がっ!」
ガルムに飛びかかられて驚いた馬は甲高くいななき、乱暴に千切れたロープを引きずって、街道横に広がる深い森へと一目散に逃げていってしまった。
狙いを外してしまいお怒りなのか、飛びかかってきたリーダー格のそいつは走り去る馬には一瞥もくれず、尻餅をついて冷や汗を浮かべる俺の方だけを真っ直ぐに見据えた。
『ガルルルル……』
「……こ、これは…………詰んだ、か?」
「危ない!」
絶体絶命の俺の姿を見て、旅人さんがこちらに救援に来ようとする。
が、その行く手を阻むように取り巻きの魔物たちが躍り出る。こっちの助けには、すぐに来れそうにない。
『グルルアァァァ!』
「シバケン!」
もう待ちきれないとばかりに、ガルムが俺に向かって飛びかかって来た。
(ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい! 俺、もう数秒後には………………死ぬ?)
そう思った瞬間、ジャックが上げた悲鳴がひどく遠くに聞こえるような感覚を覚えると同時に、何故だか俺の脳みそが凄まじい勢いでフル稼働し始めた。
頭の中で、ありえないくらい大量の情報が、ありえないくらいの速度で取捨選択されている。
よく「火事場のバカ力」なんて言葉が使われるが、今の俺は正しくその状態なんだろう。ピンチの時に体がもの凄い力を発揮するという話だが、それは何も腕力や脚力だけではなく、記憶力や思考力なんかも、どうやら常時とは比べ物にならない力を出してくれるらしい。
魔物……ガルム系……でかい犬みたいな……大型犬……犬……犬の生態は……。
(――よし、これだ!)
さながら凄い速さでバラバラと捲っていた分厚い本のページをピタリと止めるように、俺の脳裏に、一か八かの一手が浮かび上がった。
俺は座り込んでいた腰を上げ、猛進してくるガルムに対し、両手両足を広げて相撲をとるような格好で迎え撃つ。
「『トップブリーダーに訊く! 愛犬を手懐ける四十二の方法』、第二十五項!」
『ガァァァァ!』
飛びかかって来るガルムの凶暴な牙を、すんでの所で顔の横に受け流しつつ、
「『背中の尻尾の付け根辺りを撫でてあげると喜びます』!」
目一杯伸ばした右手で、ガルムの大きな尻尾の付け根を思いっきり撫で回した。
「ヨーシ、ヨシヨシヨシ! ヨーシ、ヨシヨシヨシ!」
『ガ、ガルル……』
俺の、文字通り命懸けの全力ナデナデ攻撃を受けたガルムは、一瞬驚いて体をよじり、最初の方こそ俺を警戒心むき出しで睨みつけていたものの。
「ヨーシ、ヨシヨシ! なんだお前、いかつい見た目とは裏腹に、撫で心地は最高だな」
『ガ、ガウ? アウ……』
やがて完全に戦意を失ったらしく、むき出しにしていた警戒心と牙を納めた。それからは俺に撫でられるままで、しまいにはその場にドサッと座り込み、気持ち良さそうに目を瞑る。
唖然とするジャックと旅人さんを横目に、俺は、一匹の怪獣を懐柔した。
「う、ウソ……? ガルムを、こんなあっさり……?」
信じられない、といった顔でジャックは恐る恐る荷馬車から下りると、若干へっぴり腰になりながら俺の背後まで歩いて来る。
「ね、ねぇ? 何したのさ? さっきまであんなに凶暴だったじゃないか。ボク、絶対シバケンの首が千切れちゃうって思って、すっごく怖かったのに……」
おい、恐ろしいことを言うな。なまじそうなる可能性もあっただけに笑えないぞ。
「何か、薬でも使ったの? どんな猛獣も大人しくさせるお香、みたいなさ?」
「違う違う。ただ単に、昔読んだ本に書いてあった犬の弱点みたいなのを思い出しただけだ」
俺の顔と、完全にリラックスして寝転んでいるガルムとを交互に見やり、そこでようやく安心したらしい。
ジャックは安堵の溜息を漏らし、そのまま脱力気味に地面にへたり込んだ。
「はぁ~…………なるほどね。キミが今までどうやって一人で旅を続けてこられたのか、なんとなく、わかった気がするよ……」
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