第16話 犬の亜人種なのに!?

「ま、魔物だぁ?」


 さすがはおとぎ話のような世界。やっぱり魔物とかモンスターとか、そういった類の生物が存在するのね。

 つくづく本物の異世界は伊達じゃねぇな、おい。


「大変だ、助けなきゃ!」


 言うが早いか、ジャックは俊敏な動きで御者席に飛び込むと、隣に座る俺からむしり取るように手綱を受け取り、力一杯ムチを叩いた。

 カッポ、カッポ、と緩やかな速度で街道を進んでいた荷馬車が、途端に土煙を巻き上げながら爆走する。


「おい、おいおい何する気だ? 助けるって、加勢する気なのか?」

「もちろん! 見たところそこまで数も多くなさそうだし、ボクとシバケンがあの人に協力すればなんとか撃退できるよ! 何でもいいから、戦う準備をしといてね!」


 向かい風に獣耳や髪を揺らし、そんな勇敢なことを言うジャックの右手には、既に一振りのハンマーが握られていた。

 女子としてごく平均的な身長であるジャックの、つま先から胸の辺りまでの長さはある棒の先端に、黒地に碧色の線が入った重厚な鉄槌が付いている。


 戦闘から麻袋の重しまで何でもこなすジャック愛用の武器、「ジャック・ハンマー試作一号」、だそうだ。


 左手で手綱を握り右手で黒く輝くハンマーを掲げるその姿は、とても勇ましくて絵になっている。その端整な顔立ちも相まって、今まさにお姫様を助けに行く女勇者のようにすら見えた。


 だからこそ、そんな彼女にこんなことを告げるのは誠に忍びなかったのだが、黙っていて後でもっと状況が悪化するのは避けたかったので、仕方なく俺は呟いた。


「あ~……一つ言っておく。俺を戦闘要員の頭数に数えているなら、それはやめておけ。足元をすくわれるぞ。俺は全く戦えないんだからな」

「うんっ、わかった! ……って、えぇぇぇ⁉」


 当たり前だ。

 俺はただの作家志望の学生で、それはこの異世界に来たとて何ら変わりはないのだ。


 異世界ファンタジー系小説の主人公にありがちな、「人智を超えた能力」やら「異世界人の何倍も強靭な身体能力」やらを授かった、みたいな設定があるわけでもない。


 俺に授けられたものと言えば二冊の本と、本を書くのには便利な程度のスキルだけ。あとは精々このナップザックくらいのものだが、こんなもんはナイフとランプを詰め込んでしまえばそれでおしまいだ。あんな怪物相手には何の意味もない。


「そういうわけで、俺は馬車から応援してるから、お前はあの人と協力してなんとか魔物を撃退してくれ。心配するな。戦いは無理だが、自宅警備なら慣れたもんだ」

「そんな情けないことをそんな自慢げに言わないで欲しいなぁ! ちょっと待ってよ、ボクだって別にそこまで戦い慣れているわけじゃ……!」


 そうこうしている内にも、一度猛スピードで走り出した馬車はどんどんと魔物の群れに近付いていく。

 そろそろ減速しないと、このまま魔物もろとも襲われている旅人さんまでひき殺してしまう。不平の声を一旦喉元まで引っ込めて、ジャックは手綱を引っ張った。


「ふんぬぅぅぅ~!」


 疾走していた荷馬車が、やや無理矢理に減速していく。俺は振り落とされまいと馬車にしがみつくので精一杯だった。


 やがて荷馬車は魔物の群れから少し離れた手前で止まる。ハンマー片手に御者席から飛び降りたジャックが、去り際に「本当に情けないんだから!」と俺をキッと睨み、そのまま〈犬人種〉特有の俊足でもって、あっという間に駆けていった。


「いってて……そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか」


 急停止の衝撃で御者席からずり落ちてしまった体を立ち上がらせ、俺は頭を掻きながら前方に目を向けた。

 勇猛果敢に走っていったジャックは、やがてこちらに背を向けて魔物の群れと対峙する旅人さんの隣に陣取る。


 そして、二言三言交わして眼前の魔物達に視線を走らせると、


「…………はぁ?」


 ――何を考えているのか、ジャックは半べそをかきながら、猛スピードでこっちに逃げ戻り始めた。


 ※ ※ ※ ※


『たった今、助太刀に現れたと思った通りすがりの少女が、次の瞬間には何もしないまま逃げ出していってしまった。あの少女は一体何をしに出てきたのだろうか? 馬鹿なのだろうか?』


 走り去るジャックの背中を見つめ、心底困惑した様子のあの旅人さんの心境を文字に書き起こしたら、きっとこんな感じなんだろう。


 などと考えている内に、息せき切ってこっちに戻ってきたジャックは素早く荷馬車の荷台に飛び乗ると、顔だけを荷台から覗かせて、耳を丸めて縮こまってしまった。


「お、おい、どうしたんだ? あの人に加勢するんじゃなかったのかよ」

「そそ、そのつもりだったんだけど……ご、ご、ごめん! あいつは……ガルム系の魔物だけは無理! 絶対、無理! ボクは戦えない!」


 震えるジャックの声に、俺は改めて魔物の群れに視線を走らせる。


 三、四匹程度の群れを成す、茶色と緑色の体毛に覆われた、大型犬のような魔物。竦み上がるほど低い声でガルル、グルル、と唸り、血走らせた眼球の下にはギラリと凶悪な牙が光る。


「……あれが、魔物か」


 魔物、という存在自体を初めて目にするので判断できないが、少なくとも俺よりは戦い慣れているだろうジャックがここまで怯えるとは、一体どれほど厄介な存在なんだろうか?


「な、なぁ、あいつらって、そんなにヤバい魔物なのか?」


 さすがに俺も不安になり、緊張にゴクリと唾を飲み込んだ。

 ガルム、といったか。俺たちでは対処しきれないレベルのヤバさなのか、それとも出くわしたら即刻逃げるべきヤバさなのか、はたまた出くわしたが最後、潔く死を覚悟せねばならないレベルのヤバさなのか。

 せめて、三番目ではあって欲しくないのだが……。


「……ルギー…………なの」


 俺の問いに、ジャックが震えながら答えた。

 が、声が小さくてよく聞こえない。


「え? 何だって?」


 再度の問い掛けに、ジャックは荷台から少し身を乗り出して、それから何故かほんのりと頬を赤く染めながら、意を決したように声を張り上げた。


「だからっ! ――ボク、なのっ!」

「犬の亜人種なのにかっ!?」

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