第4話 いざ、異世界へ!

「な、なんで!? なんで嫌なの!?」


 半泣きになって詰め寄ってくるミネルヴァ。

 もはや第一印象のミステリアスな雰囲気はすっかり鳴りを潜めていた。


「だって、異世界を旅するってことはアレだろ? 電車もバスもないから、移動は基本的に徒歩か馬で、夜は野宿が当たり前。サービスエリアや道の駅とかがあるわけも無いから、町や村に滞在する時以外はロクに飯も食えなかったりするんだろ? 超アウトドアじゃん。そんなの、インドア代表みたいな人種であるワナビには厳し過ぎるっての」


 何よりパソコンも使えないんじゃ、小説も満足に投稿できないじゃないか。

 うん、そうだ。実際に異世界に行けるチャンスをみすみす逃すのはちと惜しいが、そんな自衛隊の訓練みたいな生活を送るくらいなら、俺は別に異世界モノの主人公でなくてもいい。

 これからも変わらず、悠々自適なワナビ生活を送るのだ。

 俺は椅子から立ち上がり、俯くミネルヴァに声を掛けた。


「ってわけで、折角スカウトしてくれたのに悪いとは思うけど、俺じゃあ力にはなれなさそうだ。調査は誰か他の奴に頼んでくれ。じゃ、俺はそろそろ帰らせて貰うとするよ」


 って、そういえばここから俺の部屋にはどうやって帰ればいいんだ?

 ここに来た時のこともよく覚えていないし、やっぱりミネルヴァに何かして貰う必要があるのだろうか?

 と、そんなことを考えながら俺が顎に手を当てていると。


「…………印税、出ますよ?」


 ぽつり、と。


 ミネルヴァの口から言葉が漏れる。

 思わず反応して、俺はピクリと眉を動かしてしまった。

 それを勝機と見たのか、何やら虚ろな目をしたミネルヴァが続ける。


「……ここって、私の許可が無いと入るのは勿論、出ることもできない空間なのよね」

「な、なぜ今それを言う?」

「異世界での体験や知識があれば、さぞ面白い小説が書けるでしょうねぇ?」

「うっ……そ、それは確かにそうだけど………」

「そもそも、あのメールのアイコンをクリックしちゃった時点で、あなたの異世界行きは決定しているのよ。断ればアレがアレして死ぬことになるでしょう」

「し、死ぬ!?」

「一冊書いてくれるなら、それなりの報酬も約束するわ」

「り、リアクションで疲れる! 物で釣るか脅迫するかどっちかにしろ!」


 狼狽ろうばいする俺から視線を外さないまま、ミネルヴァが不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。


「フフフ、さぁどうするの、真柴先生? 少し我慢して旅をして、得難い経験と知識を持ち帰り、印税と報酬をその手に現実世界に帰還する? それとも、睡眠と運動不足でバッキバキのその体で私と勝負してみるかね?」


 ち、畜生! この女、脅迫を選びやがった!


「…………はぁ~」


 しばしの間、異世界に行かないことを選んだ時のメリットとデメリットを天秤にかけて。


「わかったよ。行けば良いんだろ、行けば」


 深く、深く溜息を吐き、俺は半ば吹っ切れたようにそう言った。


 ※ ※ ※ ※


「これは?」

「見ての通り、本よ」

「知ってるわ。何の本なのか訊いてるんだ」


 ミネルヴァから手渡された二冊の本を掲げ、俺は尋ねた。

 一冊は緑色の表紙に金色の装飾が施されたもの。もう一冊は赤い無地の表紙で、小口の真ん中辺りに留め金のあるもの。

 緑の本の背表紙に書いてある金色の文字は初めて見る文字だったが、さっきミネルヴァが施した「言語の波長合わせ」のお陰か難なく読めた。【ハザマ文庫】と書かれているようだ。


「その緑の本に、あなたがこれからの旅で見聞きしたことを書いていって頂戴ね」

「そう言われても……結構な厚さだぜ? 親指くらいはある」


 表紙に手を掛けて、ざっとページを捲ってみる。文字が書いてあるページは一ページもない。

 これ、全部埋めるのにどれくらい掛かるんだろうか? 早くも先が思いやられるな。


「それじゃ、こっちの赤い本は?」

「そっちの本は少し特殊でね。いくらページを埋めても破っても尽きることはない、っていう便利な本よ。使い方は色々あるけれど……まぁ、そっちはおいおい使いこなしていけばいいわ」


 へぇ、それは確かに便利そうだ。さすがは異世界、こんな魔法みたいな本もあるなんてな。

 そういうことならありがたく……差し当たってはメモ帳にでも使わせて貰うか。


「ああ、それからこれと、これも渡しておくわね。私からのささやかな餞別よ」


 ミネルヴァが、今度は何かが入っているらしいナップザックと、左右にブックホルスターが付いた革製の腰ベルトのようなものを手渡してきた。

 ナップザックを背負い、ホルスターを装着して左右それぞれに一冊ずつ本を装備してみる。サイズは丁度ピッタリだった。


「うんうん! なかなか似合っているじゃない。くたびれたパーカーとそのクセっ毛も相まって、どこから見ても立派な放浪作家って感じね。そのクセっ毛も相まって」

「それ、二回言うほど大事なことじゃないからね? 好きでクセ毛なわけじゃないからね?」


 俺が溜息を吐くと、ミネルヴァが居住まいを正してコホンと咳払いをした。


「さて、これで旅の準備は整ったわね。まぁ、とはいえあんまり気を張らなくても大丈夫よ。諸々の違いはあるだろうけれど、少なくとも地球出身のあなたでも普通に生きていくのには不自由がない程度の世界ではあるはずよ。そこは安心して頂戴」


 だといいけどなぁ。


「フフフ。それじゃあ真柴先生。あなたが無事、その紀行文を完成させられることを祈って、これから〈アイベル大陸〉へと送り出します。しばらくは地球にもここにも戻って来られないけれど……心の準備は、良いかしら?」

「さんざっぱら脅迫しといて今更だろ? それに考えてみれば、どうせ毎日が夏休みみたいな寂しい一人暮らしの身だ。しばらく音信不通になったところで、だれも不思議には思わないだろ」


 皮肉っぽい俺の答えを聞いて満足そうに頷くと、ミネルヴァが再び俺に手を向けた。

 さっきよりも強い光が、彼女の手から発せられる。

 いよいよ異世界転移ってわけか。

 正直不安だらけだが……ま、腹をくくるしかないか。


「――さぁ、真柴健人! 世界を救う英雄でも、世界を導く王でもない。世界を歩き、り、そして記す一人の物書きとして、今、旅立つのです! ……なんてね?」


 高らかに言い放つミネルヴァの声に呼応するように、辺りが眩い光に包まれていった。

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