第8話
翌日僕は学校を休みたかったが、朝食を食べているとテーブルの写真立てで微笑む母親にその思考を咎められているような気がして思い直した。
玄関を出ると、ある女生徒が僕を待っていた。ただし彼女は僕がいた中学の制服を着ている。
「おはよー。兄ちゃんから聞いたよー。昨日デートしたんだって?」
彼女は現在教室で僕の席の前に居座る男、田中洋平の妹田中美姫だ。
「おはよう。いきなり何? そんないいもんじゃなかったよ。アイツの差し金か、変な情報流さないでよ」
分かりやすく嫌な顔をして答えると彼女は楽しそうに笑った。
「えー何があったの? 兄ちゃんには言わないから教えてよー」
「
立ち話をしてもなんの得もないので彼女の背中を押して無理やり歩行を促した。
兄さながらのうざい追求を全て回避した僕は教室についた頃には既に僅かな疲労が滲んでいた。
「おはよー。なんだかお疲れだね」
ニヤニヤしながら前の田中が話しかけてきた。
「おう。誰のせいで疲れたと思ってんだ。妹を使うのはやめろ」
睨み付けても田中はヘラヘラしたままだった。
「美姫からもダメだったって報告がきたよ。で、どうだったんだよ?」
「もう勘弁してくれよ。思い出したくもないんだよ」
そう言って僕は机に伏せて寝た振りをした。
2限目を終えたあとの休憩時間になってもまだ田中は諦めていなかった。寝た振りをする僕の頭や背中を指でつついてくる。それをひたすら無視していると、廊下から女子の声が聞こえた。
「田中君いる?」
問いかけた女子に教室に居た誰かが答えた。
「2人ともいるよーどっちの? 呼んでこようか?」
なんだか嫌な予感がした。体を起こし廊下の方を見ると知らない女子だった。彼女と目が合うと少し睨まれたような気がした。
「落ち着いてる方だけど見つけたからいいや」
そう言って彼女は教室に入ってきた。
僕の前まで歩いてくると彼女は僕をやっぱり睨んできた。
「アンタ、玲になんかした?」
「いや別に……」
「ちゃんと答えて」
彼女は周囲を気にするように声のトーンを落としてはいるが、そこにはたしかな苛立ちが伝わる。
「ちょっといいかな? 外で話そう」
周囲の視線も気になり、僕らは廊下に出ると少し離れた階段の踊り場へ移動した。
「もう少し説明してくれないかな?」
僕には彼女が怒っている理由がわからなかった。
「アンタ昨日玲と放課後一緒に居たんでしょ? あの子今日学校休んでるのよ」
今度は少し泣き出しそうな気配があった。
「だからってそれが僕のせいってことになるのはおかしくない?」
再び彼女の目がつり上がった。
「あの子が学校を休んだのは母親が亡くなったときだけなのよ!」
「え?」
しばらく彼女の言葉をきちんと理解できなかった。言葉を咀嚼していくと鈍い痛みが疼き始めた。
「ごめん、僕のせいかも……」
「アンタなにしたのよ!」
僕は彼女に胸ぐらを掴まれた。彼女の感情をむき出しにした表情に胸の奥が痛む。そして、少しだけ橘玲を羨ましく思った。
「ちょっとなにしてんだよ! 暴力はダメでしょ!」
空気を読まない男、もう一人の田中が姿を表した。どうやら近くで覗いていたようだ。
「アンタには関係ない」
それ以上何も言うことはないと、彼女は田中洋平を睨み付けた。その目は消えろと訴えていた。
「いーやあるね。アンタが橘さんを庇うんなら俺はタカを庇わせてもらうね」
頼んでもないのにしゃしゃり出てくるのはいつものことだが、今回は少しだけ救われた気がしていた。
「ムカつく」
そう言って彼女は歩きだした。
「
洋平の悲鳴に僕は驚いた。
彼女は洋平の横を通り過ぎた瞬間くるりと回転し、その回転を利用して力一杯洋平の尻を蹴ったのだ。洋平が振り返ると彼女はグッドサインを逆さにして振り下ろし走り去っていった。
「また首を突っ込むから……」
僕は憎まれ口を叩くことしかできなかった。
「好きでやってるからいーんだよ。お前だって素直になれよ。で、何があったんだよ」
馴れ馴れしく肩を組み聞いてくる洋平に、心の中だけで感謝した。
[つづく]
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