第7話
喫茶店を出る頃には、街灯の灯りがなければ歩けないほど辺りは暗くなっていた。喫茶店の扉を開けると、ツンと鼻に突き刺さる冷気が僕たちを襲う。思わず身震いをした後、僕はふと気になることを聞いてみた。
「今日はごちそうさまでした。ちょっと聞いてもいいかな?」
彼女は怪訝な顔をした。
「え、なに?」
「君って甘いものに恨みでもあるの? コーヒーはブラックだし、この前ケーキ屋の前で死にかけてたし」
「死にかけてないわ。……あとその事については話したくないから二度と聞かないで」
用件は伝えたとでも言いたいのか彼女は僕を置いて歩きだしてしまった。
「あ、ちょっと待ってくれよ」
商店街をどんどん突き進む彼女に置いていかれないようについていく。
しばらく歩いたところで、橘は例のケーキ屋の前で立ち止まった。何かの意思表示かと思ったが、僕はもう怒られたくないので
沈黙の後彼女が肩で息をし始めたため、僕は先日と同様橘の肩を揺すった。
「おい、大丈夫か? ケーキが嫌いならもう見るなよ……」
少し苛立ちながらも橘を落ち着かせようと声をかけた。
「好きなのよ……だけど、どうやってもダメなの!」
彼女は泣いていた。理由を語らぬ頑なな態度と情緒不安定な彼女の様子に妙なスイッチが入ってしまう。
気持ちが、一気に冷めていくのがわかった。倦怠感と嫌悪感で体が満ちていく。先程までは確かにあったはずの彼女への心配は、沸き上がる負の感情に弾き出されたのか今は欠片も存在しない。
「は?」
低く冷たい声が出た。
「しかたないじゃない……辛いことを思い出してしまうのよ……あなたに、私の気持ちなんてわからないわ!」
あぁ、僕もどうかしてるな、と思った。もう自分で自分を抑えられないことが頭できちんと理解できた。そこまで考えられるのに、感情はすでに僕のコントロールから外れていた。
「なんだよそれ? 辛いなんて他人に言える時点で大したことないんだよ」
わずかに残った理性がブレーキをかけた。しかしすぐに腹の奥底から沸き上がる熱に押されて感情が溢れ落ちる。
「……お前の気持ちなんて知るかよ。不幸自慢がしたいなら
彼女は膝から崩れるように地面にへたり込んだ。先ほどまで流れていた涙は止まり、時間が止まったように彼女は瞬きもしていない。
途中から、まるで自分の方が不幸だと駄々をこねる子供のようだと分かっていた。そう自覚しても、乱暴に吐き捨てる言葉を止めることができなかった。
小さな頃から我慢して溜め込んだものを彼女にぶつけてしまったのだ。つまりはただの八つ当たりだ。それを言葉として理解した途端、居心地の悪さに僕は再び彼女から逃げてしまう。
「悪い。言い過ぎた」
すれ違う瞬間、精一杯の言葉を絞り出し放心状態の彼女を置き去りにした。
情けない自分を責めたところで手遅れという事実がただそこにあるだけだった。皮肉にも、彼女へ投げつけた『お前何がしたいんだよ?』 という言葉が自分の心の奥深くに後悔を刻み込んだ。
[つづく]
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