第3話
その日は、とても寒かったことを今でも覚えている──
クリスマスをひと月先に控えた町は、早すぎではないかと思わせるイルミネーションの飾りつけ作業や、クリスマス用のケーキの注文が開始されたことを知らせるポスターによって、秋から一気に冬に変わったように思えた。
「お母さん、ケーキ!」
「今年はお店のケーキにする?」
「嫌だ! お母さんのケーキがいい!」
「よーし! 今年のはいっぱいイチゴ乗せて豪華にしよう!」
「ゴウカってなに?」
「んー、まぁすごいって感じかなー」
まだ僕が小さかった頃の遠い記憶。温かな母との会話が、呪いのように刻み込まれている。その呪いは、消して僕を許しはしない。
「だってケンタ君が!」
「[だって]と[でも]は使っちゃダメって言ったでしょ! 喧嘩はしちゃダメ! 明日ごめんなさいして仲直りできる?」
「嫌だ! だって僕悪くないもん!」
「あ、コラ待ちなさい!」
その日は帰宅した後、母は夕食をキッチンで作っていた。火をかけていたため離れられず、母はその場で外へ出ていく僕に何かを叫んでいた。玄関まで届いていた良い匂いも、扉を開けるとその先の冬空に霧散した。母親から遠ざかっていく感覚が、五感に刻み込まれていた。
作りかけの夕食の匂い、母の声、玄関ドアの冷たいドアノブ。小さな子供には少し重い扉を開けると驚くほどに寒かったことを、今も鮮明に覚えている。
そして、いつものように呪いが記憶に施錠を開始した。
五感の残る断片的でリアルな記憶がスライドショーのように流れ終幕へ向かい始めた。
そしてついに、
嫌だ……やめて……助けて……
「もうやめてくれよ!」
ハッとして目を開けると、周囲の乗客は僕の叫びに驚いていた。
僕はどうやら電車で眠っていたらしい。
「すみません」
赤面しながらも周囲に頭を下げて謝罪をした。
学校が終わると、僕は制服のまま電車である場所へ向かった。
目的の駅に着き、そこから20分程度歩くとそれなりに大きな墓地がある。そこに、僕の母の遺骨は埋められている。
線香と花を供え、僕は目を瞑り手を合わせた。
ゆっくりと目を開け、立ち上る煙と、その向こうに刻まれた母の名を見つめる。
「母さん、高校生になってもう半年が過ぎちゃったよ。お盆のときも私服だったけど、今日は制服を見せに来たんだ。高校はすごく楽しいよ。今までで1番時間が経つのが早く感じるんだ。たぶん、友達もたくさん増えたし、毎日楽しいからだと思う……まだ色々と思い出せないこともあるけどね」
僕はポケットからシュークリームの包装袋を取り出した。
「でもなんとなく思い出してきたこともあってさ。あの日、家を飛び出した後僕は誰かと会ってたみたいなんだ。その子が持ってたシュークリームを元気がない僕に分けてくれて、一緒に食べたんだよ。ただその子がなんで[11/25]って日付を書いたのか、僕がそれを大事にとっていたのかを思い出せないんだよね……」
それに、その子が誰かもわかってないしわからないことだらけで、いったい何を報告に来たのだろうと自分でも呆れてしまった。
「またそのうち来るよ。じゃあね母さん」
僕は包装袋を制服のポケットに入れてその日は帰ることにした。
翌日の昼休みのことだ。
ご飯の前に手を洗った際にハンカチを取り出そうとしたとき、シュークリームの包装袋を昨日入れたまま出し忘れていたことを思い出した。しかし、あるはずの包装袋はなくポケットの中にはハンカチしか入っていなかった。午前中に何度かハンカチを使ったことを思い出し、血の気が引いた。
動揺を顔に出さないように堪えるが、
[つづく]
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