第8話

 電車に揺られて2時間ほどで、目的地へと着いた。


「おい、起きろ千石。着いたぞ」


「⋯⋯ん」


 右肩に乗っている千石の頭を揺さぶると、時間もかからずすぐに目は空いた。 


「寝ていたのね。ごめんなさい」


「何で謝るんだよ。早く行くぞ」


 起きたことを確認した俺は、立ち上がって電車から出た。

 駅のホームは誰もいないガラガラの状態で、改札を通ればすぐに潮風が俺らを迎えてくれた。


「あれが⋯⋯海なのね」


「そうだ。感動したか?」


「わからない⋯⋯でも⋯⋯多分感動してるんだと思うわ」


 坂道になっている住宅街から見えた海を一望した後、俺と千石はそのまま海へと足を進めた。

 千石は今までにない早歩きで足を進めて、遊園地を楽しみにしている子供のようだった。


 砂浜に着くと、千石は砂浜を深く踏み込んだりして、砂浜の感触を楽しんでいた。

 やはり冬なので、海に近づいただけでとても寒かった。


「海には入るなよ? 着替えとかないし、冬だから風邪ひくぞ」


「⋯⋯じゃあ足だけでも入っていいかしら」


「まあそれぐらいなら⋯⋯いや、そもそも俺が許可することではないしな」


 それに、千石がずぶ濡れになろうと風邪をひこうと、殺すのだから関係ないではないか。

 波打ち際へと行く千石の後を追い、俺は足だけ海に浸かっている千石をただ眺めていた。


 そして俺は、制服の内ポケットに入っている拳銃を握りしめた。


「⋯⋯?」


 しかし、俺に沸いた殺意は千石によってかき消された。

 こちらに振り返って、ブルブル震えながら必死に手招きしている彼女を見て、俺は握っていた拳銃を離した。


 俺は靴と靴下をその場に置いて、ゆっくりと千石の方へと近づいた。


「⋯⋯やっぱり、あなたがいないと物足りないわ」


 水平線の向こうを見つめる彼女の瞳は、どこか儚げで。

 想いに耽っている彼女を今殺すことなんて出来ない。


「⋯⋯そうか」


「ええ、私が行くところには必ずあなたがいたわ。だから、学校や家以外のところに行く時、あなたがいないと寂しいわ」


「なら、一緒に死んでやろうか?」


「⋯⋯もし、それが叶うならそれも良いわね」


「冗談だ。それに、俺は間違いなく地獄行きだ」


 今までたくさんの人を殺してきた。

 それを仕事だからとか依頼されたからとか、閻魔様に言い訳するつもりもない。


 千石だって、こんなに辛い環境で生きてきたのだ。

 せめて、死んだら天国に行って幸せに暮らしてほしいものだ。

 もちろん、そこに俺はいない。殺した側と殺された側が一緒にいるはずがないのだから。


「それなら、私も地獄行きがいいわね。1人で天国へ行っても、それは私にとっての天国になり得ないわ」


「何言ってんだか⋯⋯」


「湊音くん、私⋯⋯」


 こちらに体を向けて、千石が俺に近づこうとした瞬間⋯⋯


「あら⋯⋯?」


 右足をズルッと滑らせた千石は、大きな水飛沫を上げながら尻餅をついた。

 それを目の前で唖然と見ていて俺は、一瞬沈黙してから爆笑してしまった。


「ぷっ、はははっ! 何してんだよ千石!」


「すごく寒いわ⋯⋯」


 波に打たれながらも、尻餅をついたままの千石は体を震わせてこちらを見上げていた。それでも仏頂面のままだったが。


「何やってんだよお前」


 涙が出るほど笑ってしまい、そんな俺を見て千石は立ち上がってフッと微笑んだ。

 ポーカーフェイスが崩れた瞬間だった。


「⋯⋯あなたと海が見れて良かったわ。それに、あなたの笑顔も」


「千石⋯⋯」


「私はあなたが笑うところを見てみたかったの。⋯⋯もう本当に思い残すことはないわ。ありがとう」


 そう言って、千石は再び笑った。

 しかし、その笑顔は先程の微笑と違ってとても不恰好で、千石が作り笑いしているということがすぐにわかった。

 愛想笑いに慣れてないのがよく分かった。


「ここで殺してほしいわ。私、ここで死にたいわ」


「⋯⋯じゃあ」


 目を瞑り、腕を広げて無抵抗の意思を示す千石。

 殺してほしいというのが嘘だということは、俺でもすぐに分かった。


「じゃあ、なんで泣いてるんだよ」


「⋯⋯うぅ」


 いつもの無機質な声ではない。たしかにそこには千石の感情が詰まっていた。

 涙の粒は次第に大きくなり、頬を伝っていくそれは、先程濡れた海水なのかわからなくなっていた。


「わからないの⋯⋯前まで死んでもいいと思っていたのに⋯⋯私⋯⋯うぅ⋯⋯死にたくないわ⋯⋯」


 顔もくしゃくしゃにして泣きじゃくるその姿は、千石本人とは思えない。

 今まで生に執着が無かった千石が生きたいと願っている。

 千石の生活や言動を知っている俺からすると、彼女のその言葉は俺の胸に響いた。


「私、もっと湊音くんと色んな場所に行きたいわ⋯⋯もっと知らない場所に連れて行ってもらいたいわ⋯⋯ひっぐ⋯⋯あなたの笑顔をもっと見たいわ⋯⋯」


「千石⋯⋯!」


 気付けば、俺は千石のことを抱きしめていた。

 制服がびしょびしょに濡れており、とても冷たい体温が伝わってきた。

 体は柔らかくてしっかりと女の子なんだということを思い知らされた。


「俺だって、殺せない⋯⋯! 殺したくない⋯⋯お前ともっと、一緒にいたい⋯⋯」


 自分の中にずっと残っていたわだかまりを、ようやく吐けてスッキリした気がする。

 ずっと⋯⋯屋上で千石を見た時から、俺はずっと彼女を殺したいとは思えなかった。

 幸せを知らない千石を殺したくなかった。


 だから、一瞬でも幸せを味合わせてから殺そうと思ったのに、それが逆効果だった。

 千石の顔が少しピクついただけでも、俺は喜べるようになってしまったのだ。

 千石の死んだ顔なんて俺は見たくない。


 俺と千石は、そのまま海の真ん中で抱き合いながらひたすら泣きじゃくっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る