第9話 忘れられない爪痕
処刑場へ向かう馬車は、なぜか大広場に向かわず真逆の海辺へと向かっていく。
「おい、どうなってるんだ」
困惑するアッシュに、私は体を寄せて囁いた。
「アッシュは逃げて。御者は『同胞』と通じている人よ」
「なっ……」
反射的にコチラを見る彼の顔を、私は目に焼き付けた。
◇◇◇
――私は捕まえられた時のため、かつて船で『同胞』を逃すときに彼らにお願いをしていた。
「私のわがままに付き合ってくれているアッシュの命が脅かされたときは、どうか救ってほしいの」
私はアッシュに切られていた、黒髪のおさげ髪を小分けにして彼らに渡していた。長い黒髪は航海の守りとして高く売れる。全員が助けてくれずとも、誰かはアッシュを助けてくれると信じていた。
アッシュは立派な死に様を遂げたご家族の生き残りと聞いている。
アッシュや亡きご家族を慕う人も、きっと向こうにはいるだろう、と。
そして私は捕まる直前、事前に捕まった場合の逃走方法について彼らから聞かされていた。処刑場までの御者は『同胞』が務めると。貴族社会が崩壊した最近では、北方民族の者が労働していても比較的馴染めるのだという。
特に貴族に蹂躙された経験のある『同胞』が、貴族の処刑で御者や執行人を勤めることはよくあるのだと。
銀髪の北方民族の彼なら生き残れる。
私が死ねば――それで全ては終わるのだ。
◇◇
馬車は海の倉庫の前に止まる。
現れた『同胞』たちが、アッシュの縄を解いて船に連れていく。
「待てよ……あんたは! キサラはどうするんだ!?」
「私は死ぬわ。だって……もう生きてはならないほど、悪いことを重ねたもの」
復讐。
それはまごうことなき加害。
「ねえどうか、アッシュ。最期に私の願いを叶えて。……全部をめちゃくちゃにしたいの。殺しにきた暗殺者を生かすなんて、めちゃくちゃにも程があるでしょ?」
「キサラ……」
規定の道から逸れた馬車を追いかけて、憲兵が馬でやってくる。
「『同胞』の皆さん、アッシュをお願い」
私の名を呼び叫び、船に押し込まれていくアッシュの声を背に。
私は一人、憲兵の前に立ちはだかる。
やってきた憲兵は意外にもたった一人だけだった。
「ああ、……お久しぶりでございます」
若い憲兵は私を前にして、馬から降りて丁寧な辞儀をした。
「あなたは……?」
「覚えていらっしゃらないのも当然でしょう。亡き王太子殿下の学友の一人、マイクです」
彼は帽子を恭しく外す。
私は記憶がフラッシュバックした。
「あの……私を逆さにして…………笑っていたあのお茶会の……」
「当時の無礼、ずっと謝りたいと思っておりました」
マイクは私に跪き、深く頭を下げる。
「……話をする時間はありません。私が時間稼ぎをしますので、キサラ様もお逃げください。どうかあの時の非礼の詫びをさせてください」
「そんな……あなたは貴族家の人だわ。きっと酷い目に遭う!」
「平民のふりをして逃げ続けていた私の死に場所です。……それでは、さようなら!」
マイクは雄叫びをあげ、元きた道を馬とともに去っていった。
「いや、いや…………!!!」
「キサラ様、逃げましょう。彼の思いを無駄にしないためにも……!」
私はそのまま、『同胞』の人々に強引に商船の一室に押し込まれた。
すでに中にいたアッシュが、私を見るなり駆け寄り、強く抱きしめる。
私はアッシュの腕の中で慟哭した。
私の中で何かが、ぽきりと折れてしまった。
「……私を……私なんかのために……死ぬなんてないわ……死なせてよ……」
「きっと貴族として……最後は何かを守って、高潔に生きたかったんだ、彼は。最後だけでも……」
「そんなのあいつのエゴだわ。私を生かすなんて……最低」
私はめちゃくちゃにした罪を背負い、そのまま死にたかった。
「まだ当分、死なないでくれよ。あんたがめちゃくちゃにしちまった、俺の心はあんたなしじゃ耐えられねえ」
水底に飛び込もうともがいても、アッシュは離してくれなかった。
船はどんどん、国から離れていく。
私がめちゃくちゃにした、復讐をし尽くした国から。
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