第6話 変化

 そして一年後。

 ついに平民の成金と平民魔術師たちの怒りは頂点に達し、彼らは議会を襲撃し、実質的に貴族議会が崩壊した。


 襲撃に巻き込まれジェスク公爵家は国外逃亡。国王夫妻と王太子は投獄されてその後の話は聞かず、平民たちは新たな王としてまだ五歳の第四王子を国王として指名、強引に貴族議会に認めさせた。


 私の実家は――襲撃以前に没落して中央から追放されていた。おそらく生きてはいないだろう。生きていても、それは生き地獄と呼ばれるものだろう。


「王太子ってば、本当は投獄されたのではなく、もっと酷い目にあったんだってな」

「ふうん」


 駅に打ち捨てられた新聞を拾い上げ、読みながらアッシュがマフラーに埋もれた口元で笑う。

 私と一緒にいる間に彼はあっという間に読み書きができるようになっていた。地頭が良い男だからこそ、暗殺者にもなれていたのだと思う。


「興味ねえの? とんでもない写真が載ってるぜ」


 鼻先に突きつけられた新聞を払い除け、私はやってくる魔導機関車に目を向ける。季節は秋。今のうちに少しでも北に行かなければ、じきに身動きが取れない雪の季節がやってくる。


「顔も忘れたわ、忘れたままでいたいの。お人形遊びしか脳のない、つまらない男なんて」

「はは、冷たいもんだな」


 笑うアッシュの息は白い。

 私たちは形だけ夫婦として過ごすのが当たり前になっていた。


 ――王都はめちゃくちゃだった。

 暴動と鎮圧、革命と反乱。

 平民魔術師は遠慮のない憎しみのこもった魔力で貴族の街を焼き、王都は灰燼に帰し、政治はぐちゃぐちゃで。

 それでも電車が動くのは、資本を握るのが平民だからだろう。


「来たわ。乗るわよ。新聞は捨てて」

「はいはい」


 その頃には、私とアッシュは身を隠しながら、少しずつ北方へと向かっていた。

 金髪、黒髪、巻毛。いくつものウィッグを付け替えて、目立つ黒髪と銀髪を宝物みたいにしまい込んで。

 もはや街の誰も『悪役令嬢』キサラ・アーネストのことなど忘れていたし、北方民族に向かっていた負の感情も王宮や王族への怒りに移り変わっていた。


 寝台列車の個室をとった私たちは、向かい合わせに座り、過ぎゆく車窓を眺める。長い足を組んだアッシュが窓枠に肘をついたまま呟く。


「しっかし、冷たいといやあ周りの連中もそうだな。あれだけ儲けさせてやったキサラを、持て余した途端に切り捨てるんだからよ」

「ここまで織り込み済みよ。私は死ぬまでにめちゃくちゃなことをしたいだけだから」


 アッシュの言う通り、私たちは出版社と港町を追われていた。

 貴族社会の崩壊と革命に伴い、アドシェル侯爵も次第に私を庇う余裕がなくなってきたからだ。私はあっさりと筆を折り、ありったけの金銭を得てアッシュと共に逃げることにした。


「あんたは」

「ん?」

「あんたは今や自由だ。まだ死ぬことを考えてんのか」

「自由も何も、ただの死ぬまでの猶予期間だとわかっているわ。私が『悪役令嬢』とわかったなら、みんなすぐに恨みを思い出す。貴族のいけすかない娘を真冬の空の下、裸にして陵辱のかぎりを尽くして、四肢を裂いて殺すでしょうね。そうなる前に、少しでも楽しいことをしたいだけよ」


 機関車が止まる。駅で売られるあたたかなホットサンドとココアを、私は窓を開けて買い求めて受け取る。


「はい、アッシュ」


 アッシュは渋い顔をしている。


「そんなことよりも。ねえアッシュ、アッシュはどんなめちゃくちゃなことをしたい?」

「俺は……」

「私はある程度、好き勝手にめちゃくちゃにしたわ。次はアッシュのやりたいこと、聞きたいわ」


 開いた窓から雪がひらり、と入ってくる。

 それを眺めてホットサンドを食らい、アッシュは呟く。


「そうだな。……馬鹿みてぇに、美味い飯が食いたい」

「いただきましょう」

「海を見たい」

「いいわね、行きましょう」

「女を抱きたい」

「私を抱かないくせに?」

「後腐れない女を抱きてえ」

「私だって後腐れないわよ、どうせ死ぬのだし」

「……変更。墓参りがしたい。殺された同胞たちの墓を」

「私もついていくわ」

「あんたは来るな。あんたが『悪役令嬢』と知ったら、同胞たちはあんたを殺す」


 あまりに真剣に言うものだから、私は思わず笑った。


「何がおかしい」

「暗殺者のあなたに、命を心配されるとは思わなかったわ」

「今更だろ」


 列車は次第に動き出す。

 私たちは温かなカップを傾けながら、二人で心地の良い沈黙の時間を過ごした。


 それから二年。

 私たちは穏やかに、時に浮かれて笑い、時に路銀を苦労して稼ぎながら、ささやかにアッシュの言う「めちゃくちゃ」を楽しんだ。

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