第2話 私が「悪役令嬢」と呼ばれるまで
私――キサラ・アーネストは王太子殿下の婚約者だった。
宰相として権勢を誇るアーネスト公爵の娘として生まれた時から、私は王太子殿下の婚約者として決まっていて、おむつが取れた頃にはすでに王宮で育てられる存在となっていた。
私は私を産んだ母のことも、父のことも思い出せない。
実家はさっさと政略結婚という役目を終えた私のことは忘れ、すぐに生まれた弟たちを溺愛した。
王宮で婚約者として育てられた私だが、周りは敵しかいなかった。妃教育が苛烈を極めたことだけが苦しみではない。私の命を狙う者や王家への不満を私に対する虐待で晴らす者もいた。
何より――王太子は生まれながらに、私のことを好きに弄んでいいおもちゃだと思っていた。
王太子殿下は金髪に青い瞳の、美しい王子だった。
柔和な笑顔と優しい物腰、慈善事業にも積極的に参加する慈愛に、国民は皆うっとりと王太子殿下に夢中になっていた。
そんな彼に私が軟禁され、ずっと虐待されているなど誰も信じないだろう。
黒髪を手綱がわりに引っ張られ、3歳も年上の王太子に四つん這いで馬をさせられたり。
気に入らないことがあれば表に見えない場所を殴られ、食事を頭に浴びせられ。
突然、ご友人の子息たちの歓談に招かれたと思えば、
「この子は僕の言いなりになるんだ。みていて」
との言葉に次いで、笑顔で逆さになるように命じられた。
「スカートだから恥ずかしい? 自分の恥辱の方が、未来の夫の命令より価値があるのかい?」
笑われながら捲り上がるスカートを覗き込まれても、私はもはや、涙さえこぼれることはなかった。
◇◇◇
私への屈辱的な扱いを否定する者は誰もいなかった。
生まれ持って加虐的な思考を持つ王太子の「ガス抜き役」として、王宮に飼われた婚約者の私は誰にとっても都合の良い存在だった。
私が黙って弄ばれている間に、父はますます権威を強め、弟たちは名門の学園に入学し、めざましい成績を残した。なぜそれを知っているのか――
「君の弟君はとても優秀だね。王太子である僕を立てるつもりもないようだ」
「っ……申し訳、ございません……」
「いいんだ。君の父上のおかげで国は豊かだし、また北方の蛮族狩りも捗った。僕も王太子として、優秀な手駒が育つことは喜ばなくてはならない、ねっ!」
彼は思い切り私の腹を蹴る。椅子から転げ落ちて吐く私の前に座って私の黒髪を引っ張り、うっとりとした顔で私をみて笑った。
「大丈夫だよ。君は王宮の外では、苛烈な政策を進める父君と王宮の庇護のもとに、社交界にも出ずに高慢に振る舞う『悪役令嬢』として大人気さ。……君がこんなに、ゲロまみれで倒れているなんて、一部の人しか知らないからね」
◇◇◇
父は北方民族の支配併合のため、平民から魔力保持者を強制的に魔術師兵団に徴兵する法律を定めた。北方民族は見目麗しく奴隷として高値で売れるため、彼らを支配し、生きた輸出品にしようとしているのだ。
平民は10歳で強制的に能力検査をさせられ、能力者は平民魔術師修練校に収容され、貴族の編成する高等魔術師の手足となり捨て身で戦う。
そのようなことをしていれば当然、国民からの反発は強くなる。
しかし父はその国民の怒りが王家や貴族に向かないよう、北方民族のネガティブな情報を散らし、反発する勢力への差別、弾圧をおこなった。
国じたいは仮初の繁栄を迎えていた。
虐げられる人々の、怒りが地下で轟くのを忘れたまま。
――そして去年、ついに父は失脚する。
使い捨てにされていた平民魔術師の遺族が各地で反乱を起こし始めたのだ。
風向きに敏感な貴族たちは皆父を批判し、人道的な政策をするべきだと訴え始めた。そこで頭角を現してきたのは元平民の成り上がり貴族たちを支持基盤に持つ、ジェスク公爵家の勢力だった。
ジェスク公爵家は成金の資金力と国民の支持を背に受け、父を批判し糾弾した。そしてついに宰相の地位から父を引き摺り下ろしたのだ。
そうなると、王家にとって私はどのような意味を持つか。
――国民に嫌われた父に甘やかされた、高慢な『悪役令嬢』。
王太子は私と会うことをピタリとやめ、唐突に妃教育も終了した。私室に軟禁され、食事もろくに与えられない日々を過ごして半年。
久しぶりに公の場に出されたパーティにて、豪奢に飾り立てられた私は、王太子によって婚約破棄と、新たな婚約者の発表をされた。
新たな婚約者はもちろんジェスク公爵家の女。
彼女は長い亜麻色の髪を艶々に飾り立て、婚約発表の場で王太子に腰を抱かれて勝ち誇った顔をしていた。
だから。
あの夜に銀髪の暗殺者がやってきても、おかしくなかったのだ。
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