第9話 美しいと思える瞬間
ランチタイムが終わり午後のデッサンが始まった。
「ねえ、瀬能くんってさ、女の子を見てドキドキしたりしないの?」
珍しく関山が手を止めて俺に聞いてきた。いつも手だけは動かし続けていたのに。
「女の子を見てねえ、ドキドキした事は無いと思うな」
「女の子の裸、例えばヌード写真とか見るとどういう気持ちになるの?」
「綺麗だなぁとは思う。女性のヌードってモノとして美しいと思うよ」
「それは同感」
「関山は男の裸、まぁ俺の裸しか見たことが無いだろうけど、この身体を見てどう思った?」
「格好良いと思った。皮膚の下にある筋肉が分かるんだよ。格好良いは頼もしいって言い換えてもいいかも知れない」
頼もしいか。それは子を産み、育てることを宿命とされた女性が自分と我が子を守るために本能的に感じ取る気持ちなのかも知れない。俺は男の裸をみても頼もしくは感じない。
「もしかしたら男はその『美しい物を手に入れたい』っていう所有欲を満たすための行動が征服欲として現れるのが生殖活動の原点なのかもしれないね」
所有欲を満たすための行動が征服欲か。そうだな。そうかも知れない。
「瀬能くんだって美しいモノが欲しいっていう所有欲はあるでしょ?」
それはある。
「ある。美しいものは欲しい」
「男が持つ普遍的な感情なのかもね」
なるほどな。
ただ、ここで疑問もある。はたして同性愛者でもそうなのだろうか? でも、美しさへの興味に性的指向は関係ないな。
「何かそう言われるとそんな気がしてきた」
「男だけじゃなくて女も同じなのかもよ」
「女も同じ?」
「女が男を頼もしく感じるのは自分と我が子の命を守ってもらえるから。でも、男を頼もしく思えるだけで女は男を選んでいるわけじゃない」
それはそう思う。
人間だけではなくて野生の動物でもメスを巡って死闘を繰り広げた勝者のオスが常にメスに受け入れてもらえる訳ではない。頼もしいだけではない別の何かでメスはオスを選んでいるんだ。
「美しいと思えるから男が欲しくなり、それが生殖につながる。どのタイミングなのかは分からないけど、きっと女にも男が美しいと思える瞬間があるんだよ。その感情に性の違いはない」
男が美しいか。その関山の言葉を聞いたその時に俺は中学生の頃のことを思い出した。
中学に入学してすぐに見掛けたお洒落で格好良い先輩に憧れた。いや、好きになり胸がときめいた。中三の時には新入生のビジュアル系男子が気になるようになった。
そうだ! 二人とも美しかった。女に限らず男だって男が美しいと思える瞬間があるんだ。
「その通りだと思うよ」
「ただ、本能的にあると言っても私にも男が美しいと思える瞬間が来るのかなぁ? とは思っちゃうんだけどね」
「来ると思うよ。きっと」
関山にもきっと来る。
「瀬能くんにはあるのかな? 女をそのぉ、性的に美しいと思える瞬間が」
「さっきも言ったけど俺は女の子を見ても綺麗だとは思うけど、それはどちらかと言えば同じ側から見てなんだよ。だから同じ側にいる女の子を性的に美しいって思える瞬間は俺には無さそうだな」
「そっか」
関山はちょっと残念そうに下を向いた。
「でも、関山って普段から結構凄いことを考えているんだな」
「その凄いはエッチなことって言うこと?」
「違うよ。言い方を変えればエッチな内容かも知れないけど話の中身が学術的だという意味だよ」
「ありがと。褒め言葉として受け取っておくよ」
ここで関山が思い出したように話題を変えてきた。
「ところでさ、ミスミスコンの『彼女役』のことなんだけど」
あぁ、そっちの話があったな。ヌードモデルの事で頭が一杯になっててすっかり忘れてた。
「ステージで何するか決めた?」
「痛いところを突いてくるな。実はノーアイデアだ」
「いや、もう本番はさ来週末だからね。二人してステージの上で何もせずにただ立ってたら可笑しいだけだからね」
「分かってるって」
「ちゃんと次回までにアイデアは考えて来てよね」
「何か考えてくるよ」
「それからもう一つ提案がある」
「何?」
「呼び方」
「呼び方?」
「うん。『関山』、『瀬能くん』って言い方を変えたい。私は瀬能くんの彼女役をする。つまり私たちは
なるほど。それは結構大事なことかもしれないな。呼び方一つで雰囲気はガラリと変わる。
「良いぞ。俺の方は問題ない」
「じゃぁ、私のことは『裕香』って呼んで。私は『伯美』って呼ぶから」
「オーケー裕香」
「今日はありがとう、伯美」
俺たちはこの時からお互いを下の名前で呼び始めることにした。
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