第二章
第20話 ファッションモデルにスカウトされる
裕香と『すごく親密』になった少し後、桜が咲き始めるちょっと前の頃だった。今考えてみると、この時には裕香は妊娠した直後くらいだったのだが、まだ裕香も僕もそれを知らない。
裕香とデートをしていたらモデル事務所のスカウトとだという人に声を掛けたれた。どうやら僕にモデルにならないか? ということらしい。
多分、いや絶対に女の子と間違われている。人気のあるモデルさんの名前を出してきて『君もあんな風になれるよ』とそのスカウトの人は言ってきたんだけど、出てくるモデルの名前が全員女の子だった。
怪しい話もあるって聞くし『どうしたら良いんだろう?』と困っていたら『後日、友達を連れて事務所に行っても良いですか?』と横から裕香が言ってくれた。それで再度、事務所に行くことになった。
スカウトの人と別れた後で裕香に聞いたところ、その裕香のお友達と言うのは芸能界の契約に凄く詳しい人なんだとか。それは頼りになりそう。
そして今日はその芸能界の契約に凄く詳しいというお友達と待ち合わせをして三人でモデル事務所に行くことになっている。
「はじめまして。相内
そう自己紹介してきた裕香の友達はこの春から高校生になるという弱冠十五才の女の子だった。弁護士の卵の法学部の大学生でも来るのかと思っていたのにやってきたのはまだ中学生だった。大丈夫か?
三人で連れだって前回スカウトされたモデル事務所に行った。
「友達を連れてきました」
僕たち三人は応接セットに通された。
「さっそくですが契約書を見せていただけますか?」
裕香のお友達は応接セットに座った途端に事務所の人にそう切り出した。すぐに契約書が出てきた。細かい文字で難しい内容が書かれている。この子、こんなの読めるのかな?
「なるほどね、分かりました。では先ず、協会の定める標準契約書に則っていない部分からお聞きしましょうか」
何なに? 標準契約書って何?
「退職の通告が半年前なのは許容範囲ですが、退職後の同業他社への入社や活動再開までの期間が三年間なのは問題です。理想はゼロ日ですが許容出来るのはせいぜい半年までです」
へえ、そう言うものなんだ。この子、すごくハキハキしてる。
「同業他社へ移った際に請求できる育成費については大きな問題です。事務所が所属タレントに投資をするのは当然のことです。移籍時の育成費の請求権は契約書から全カットでお願いします。一切認める訳にはいきません」
相手の人が苦い顔になってきた。でも、裕香のお友達は一切お構いなし。
「休日に関する記述が見当たりません。最低限度の休日に関する記述の追加をお願いします」
「固定給ゼロは完全歩合制という解釈になりますが歩合率が三十パーセントなのは問題です。完全歩合制であるのであれば最低限五十パーセント以上でなければ事務所側が取り過ぎです」
と、こんな感じで契約書を隅から隅まで徹底的に確認していった。
「問題だらけのダメ契約書だね。止めた方がいいと思うよ。もっと条件の良いところなんて幾らでもあるから」
そのお友達はそう言い切った。
ここで事務所の人からの反撃が始まった。反撃と言うよりも脅しだった。
「お嬢さん、どこで教わったか知らないけど痛い目にはあいたくないだろ?」
怖っ。芸能事務所って怖いって思った。でも、裕香のお友達は全然怯んでいなかった。
「脅すのは自由ですけれど音楽出版協会にチクりますよ。そうすると今後この事務所は事実上CDがリリース出来なくなりますけど、それでも良いんですか?」
事務所の人が『なっ』と怯んだ。裕香のお友達が事務所の人に近づいて小声でヒソヒソと話をしている。と、突然事務所の人が『申し訳ありませんでした』とその場で土下座をした。
ビックリしたぁ。いきなり土下座なんて初めて見た。
事務所を出てきた。もちろん契約はしていない。
「カイリアの所属で良いんじゃないですか?」
帰り道でお友達は裕香にこう言っている。
「でも、バンドはいてもモデルは一人もいないんですよ」
「うちのモデル部門に話を付けますよ。カイリアの所属でうちに業務委託するのが一番無難だと思いますよ。今日のところは酷すぎですね」
「どうする?」
どうする? って裕香に聞かれても何をどうするのかサッパリ何の話だか分からない。
「どうするもこうするも訳が分からないんだけど」
「
そんな事もやっているんだ。
「芸能事務所なんて凄いじゃない」
「全部が売れないバンドだけどね。他の事務所に所属出来ないから
ふーん。
「ただ、モデルとなると売り込み方がバンドとは全然違って分からないから所属してるだけってなっちゃう」
「その売り込みをカイリアから別の事務所に業務委託するという話です」
「どうする? お願いしちゃう? エクサディアに」
エクサディア?
「エクサディアって?」
「私のタレント業務を委託してるところです。普通の人は私が所属してると思ってるかも知れませんが」
タレント? 所属?
「えっと、美有ちゃんはタレントさんなの?」
『ぷっ』と裕香が吹き出した?
「本当に伯美は芸能界に興味がないなぁ」
「もしかして有名人とか?」
「多分、その辺を歩いている人に十人聞けば九人は知ってると思うよ」
「本名じゃ分からない人も結構いると思いますよ」
「KiwMiwて知ってる?」
「『バレンタインの夜に』の?」
「また、そんなマイナーなアルバム収録曲を知っているなんて」
「もしかしてKiwMiwの美有ちゃんなの?」
「そうですよ」
「なんでKiwMiwがここにいるの?」
「お友達だから」
「裕香のお友達なの?」
「うん」
「母親同士が幼馴染みなんですよ。だから子供同士も小さい頃から知り合いなんです」
「凄い関係だった」
「エクサディアの担当者をカイリアに行かせますから話をしてみて下さい」
「よろしくお願い申し上げます」
こうして僕は男性である事を公表した上でレディースファッションを主体とするモデルのハクビとしてカイリアに所属しエクサディアにマネジメントの一切の業務を委託するモデルとして活動を始める事になった。
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ここからは『YESブランド』の始まりに繋がっていくお話です。
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