第90話 いってらっしゃい。そしてありがとう

 俺の胸の中で泣いている玲羅をなだめるように、俺は彼女の頭を撫でていた。


 本当に怖かっただろう。俺や美織のように感覚がマヒした変人と違って、玲羅はまともな一般人だ。これで全然怖くなかったと言われても、複雑な気持ちになる。


 「うぅ……翔一……」

 「大丈夫、大丈夫」


 それからほんの少しだけ経過してから、俺は玲羅を放した。


 「翔一……?」

 「また帰ってからにしよう。まだ、残党がこの学校にいる」

 「あ、ああ……そうだよな。翔一はこの学校を助けに来たんだよな……」

 「違うぞ」

 「え……?」


 俺が玲羅の言葉を否定すると、彼女は心底驚いた表情を見せた。言葉の通り、俺がこの学校のために来たと思っているのだろう。


 「俺が来たのは、ある教団が関わっているからだ。野放しにしていられない理由があった」

 「そう、か……」

 「でも、一番はこの学校に玲羅がいたからだ。玲羅がいなかったら、いの一番にこの教室には来てない。俺の大事な人―――ほかの誰でもない玲羅のことを助けに来たんだ。後はおまけだ」


 そう、俺は別にほかの奴らがどうなろうと知ったこっちゃない。死んだら、死んだなとしか思わない。お前たちを助けたのは、気まぐれでたまたまだったんだよ。


 だから、この教室にいる全員は玲羅に感謝しておけ、俺を落としておいてくれてありがとう、ってな。

 そう思いながら、クラスを見渡すと、俺を見る目が色々あった。


 俺に対する恐怖。かつて憧れたものを見るような目。まるでヒーロー番組を見ているような現実感の薄れた視線。


 様々だ。


 だが、圧倒的に恐怖が占めている。

 まあ、さすがに怖いよな。知ったこっちゃないけど


 そんな状態でも死んだふりを続けている男を起こさないとな。


 「起きろ、いつまで寝てんだ!」

 「だばしっ!?」


 俺は柊のおっさんに蹴りを入れてたたき起こした。

 彼は俺に蹴られたところを抑えながら立ち上がった。いまだに、仮面はついている。


 「なんでしょうか、翔一様」

 「なんでしょうか……じゃねえよ!なに勝手に突っ込んでんの?一歩間違えればお前が死んだんだよ」

 「それでも玲羅様をと……」

 「だとしてもだ。死んだら、あいつをどうするんだよ!二家に目をつけられてる状態なのに、あの子をお前のもとにおいてるのは、俺が進言したからなんだぞ!それなのにお前がいなくなったら庇いようがなくなるだろ!」

 「……すいません」

 「わかったらいい。とりあえず、終わるまでここを守れ」

 「わかりました」


 そう言うと、柊はクラスの全員の前に座った。


 「私はこれより、この場の全員を守ります。翔一様は、どうぞ制圧を」

 「いや、なんでお前がそれを言うんだ……まあいいか」

 「翔一!」


 俺が教室を出るために、窓際に刺した棒を抜いて、状態を元に戻すと、玲羅に名前を呼ばれた。


 「なんだ?」

 「翔一……いってらっしゃい」

 「……ああ、行ってくる」


 玲羅の「いってらっしゃい」を聞いてから、俺は教室を飛び出した。


 ザザ―――


 「美織、聞こえるか?」

 『あ?やっと玲羅を助けたの?』

 「いや、色々話してた」

 『勘弁してよね、あれを使ったら私との通信もできないから、不安になるのよ』

 「なんて言いつつ、お前ラーメン食ってるだろ」

 『ズズ―――なんでわかったの?』

 「なんとなくだよ。まさか、マジで食ってるとは思わなかったよ」


 こういう時にラーメンを食っているのは思うところはあるが、これが美織だ。

 こういう時は完全に情報収集が終わったということだ。


 「なんか重要事項あるか?」

 『ああ、それがね―――』


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それからはことはスムーズに進んでいった。


 あんまり時間を稼ぎすぎて、生徒たちがパニックに陥って困難な状況に陥るよりも前に片づける必要があったからだ。

 まあ、それを抜きにしても美織が集めた情報でかなり早く動けていたけど。


 どの教室にも教団の人間が2人以上はいて、片方の目を盗んで教室に入るのは大変だった。

 全員、アーカーシャの剣で虚空送りなんだが


 さすがに学校を占拠したとはいえ、二家の力を求めるだけの雑兵ばかり。俺が苦労するはずがない。


 「よし、これで生徒の救出は終了、っと」

 『救出って何かしらね……』

 「なんか文句あっか?いいだろ?あとは自分たちで帰れるだろ」

 『もういいわ……あとは、職員室にいる今回の件の首謀者よ』

 「首謀者……殺せばいいのか?」

 『そうね。警察に連れてかれて余計なことを喋られても困るわ』

 「でも、どうせ気狂いの戯言ぐらいにしかとらえられないだろ?」

 『それでも疑いは出来る。上層部しか二家の存在を知らないとはいえ、そこから漏れるかもしれない。疑いを持たせて、余計なことをさせてはいけないわ』

 「血も涙もねえな」

 『それを聞いて、容赦なく斬って殺してるのは誰よ』

 「はいはい」


 俺はそんな会話をしながら、ゆっくりと職員室に近づいていった。

 扉も窓も締まってる。


 侵入はまあ、扉をぶち破ればいいか……

 そう考えた俺は職員室の扉を蹴って派手に開けた。


 そんなことをするもんだから、扉は轟音を立てて崩れ、他の全員の注目を集めた。

 もちろん、立てこもりの首謀者もだ。


 「誰だ!?……って、誰もいない?」


 男は扉の方を見るが、もう誰もいない。

 そりゃ当たり前だ。


 「後ろだ、後ろ」

 「なっ!?いつの間に……」

 「ものすごくベタだけどさ、お前はもう死んでるよ」

 「なんだてめ……かっ!?」


 なにかを言おうとした男の首筋からは血が流れ始めた。

 その異変に気付いたのか、それとも喉を斬られたから声が出ないのか、または両方なのか。


 男は静かに首だけになって地面に落ちた。

 胴体も首も血が噴き出す前に、アーカーシャの剣によって虚空へ送った。


 「大丈夫か?」

 「は、はい……あの……もしかして、椎名君?」

 「校内放送ってどこでやんの?」

 「へ?」

 『翔一、職員室の電話機から内線で校内放送流せるわよ』

 「まじ?じゃあ、それでいいか」


 いまだに驚きを隠せない教員たちを置き去りにして、俺は職員室の内線に手を伸ばした。


 「あの、番号は?」

 「はい?」

 「校内放送をするための番号は?」

 「あ、あの……」


 そこから少しひと悶着があったが、なんとか教えてもらえた番号で俺は校内放送を開始した。


 ピンポンパンポーン―――


 「なんか、この音は間が抜けるな……まあいいか。


 全校生徒に次ぐ、制圧が完了した。これ以上の危機はない。今すぐ、学校の外に出ても問題ない。ていうか、出ろ」


 そう言うと、校舎が震えるような感覚に襲われた。

 一気に解放された生徒たちが、いの一番にこの恐怖から逃れようと全員で走り出しているのだろう。


 俺も、玲羅を迎えに行かないとな。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翔一の声だった。

 校内放送で好きな人の声が流れた。


 今が立てこもりで恐怖に支配されていなかったら、もう少し聞き入っていたかった。


 だが、そんな暇もなくクラスのみんなが走り始めた。

 今の放送に信用できる要素があったのか心配になるが、みんなは正常な判断ができなくなっているのだ。助かったと聞いたら、わが身が大事だと一目散に逃げるだろう。


 「ずいぶんと玲羅様は冷静ですね」

 「私は、翔一が負けないこと、知ってるから……」

 「そうですか」


 柊さんとそんな会話をしていると、クラスのみんながいなくなったくらいの時に、その人はやってきた。


 「さあ帰ろう。お姫様」

 「翔一……いや、私を連れて行ってくれ、王子様」

 「ふふっ、乗ってくれるんだ」

 「あ、あんまり言うな。恥ずかしいだろ」

 「そうだな。恥ずかしいな。でも、俺は玲羅の王子様だから、攫っていくよ」

 「うひゃあ!?」


 翔一は自身のことを私の王子様だというと、私のことをお姫様抱っこの形で持ち上げた。

 少し恥ずかしかったが、それよりも翔一にくっついているという幸福感がとても心地よかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 突然、学校の生徒が解き放たれた。

 あまりの事態に、来ていた警察が収集がつかず、対応に困っていた。


 来ていた保護者たちは、学校から出てきた生徒たちを抱きしめながら泣いていた。


 私の娘もそのうちすぐに出てくると思っていた。

 だけど、いつまでたっても出てこない。


 「玲羅……」

 「早苗、大丈夫だ」

 「でも……」

 「翔一君がいるんだろう?」

 「でも、彼は家に帰って……」

 「それはない。彼は、必ず好きな人を守る。そういう人間だ。信じて待つんだ」


 信じて待つ。私にはとても苦しいものだった。

 先ほどまで、なんの連絡もなく、なんの状況もわからなかった。ニュースでは警察が状況を明らかにせず、使い物にならず、警察も突入するかどうかを決めあぐねていた。


 だが、突然生徒たちが出てきた。

 もしかしたら、いつの間にか制圧が完了したのかもしれない。


 でも、出てこない娘の安否を保証するものがない。


 そして、ついに娘が出てくる前に、生徒たちの波は終わってしまった。


 「あ、あ、ああ……」

 「お、落ち着くんだ!早苗、まだ玲羅が死んだと決まったわけじゃない……そうだ、まだ決まってないぞ!」


 そうやって、私を元気づけようとしてくれる夫はありがたいのだが、今の私には玲羅が死んでいるかもしれないという事実だけで、とてもじゃないがそれどころではない。


 だが、私たちのもとに光りが現れた。


 「まだ生徒がいるぞ!」


 その叫び声で、私はもしかして玲羅ではないかと思い、顔を上げた。

 校舎の窓に反射した光で見づらいが、三人の姿が見えた。


 一人は籠を被った大人。一人は、私のよく知る翔一君。


 そして、翔一君がお姫様抱っこで抱えているのは、私の娘の玲羅だった。


 「「玲羅!」」


 私たちが娘を抱えている翔一君のもとに近づくと、2人の小さい話し声が聞こえてきた。


 「翔一、恥ずかしい……」

 「いいじゃん、真っ赤な玲羅、すごくかわいいよ」

 「……ばか」


 本当、こんな時もラブラブなんだから……


 ありがとう翔一君、娘を守ってくれて……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る