第69話 烏の仮面

 「グルアアアアアアアアア!」


 体育館にいた観客の生徒たちは戦慄していた。

 翔一のセコンドにいた女生徒に手を出された瞬間に、人が変わったように雄たけびを上げて、1人を血まみれにしてしまったから。


 だが、一番驚いていたは、それを目の前で見ていた玲羅本人だ。

 彼女の目の前で、翔一は「止まれない」と言った。それを意味するものが暴走だということは、彼女にはわかってしまった。


 思えば翔一はいつでも、迅速に勝負を終わらせていた。

 立てこもりの時も、死んだふりをして油断を誘い、早々に終わらせていた。もしかしたら、自身がこうなるのを恐れていたのかもしれない。


 だが、同時に玲羅はうれしくもあった。

 こんな恐れている力を自分のために使ってくれたこと。不謹慎かもしれないが、恐怖の奥に翔一の愛情を感じたのだ。

 しかし、今の状況は看過できるものでもなかった。


 「ひ、ひいいい!助けて……助けてくれ!」

 「グアアアアアアアア!」


 暴走した翔一は、金剛の頭を鷲掴みにしてコーナーに何度も何度も叩きつけている。

 あたりにゴンゴンと鈍い音が響き、金剛の頭が赤く染まっていく。それよって、意識もなくなってきたのか、金剛の呻き声も小さくなってきている。


 そんな様子に、その場にいた生徒の3分の1程度の生徒が、その悲惨さに耐え切れずに失神してしまった。

 ほとんどの生徒が金剛の勝ちを信じてたので、期待を裏切られるどころか、金剛が勝ったほうがマシだったと思えるくらいグロテスクな映像が目の前で起こっている。


 「フアアアアアアア……」

 (翔一の呼吸のリズムが変わった……?なにを……)


 玲羅の勘づいたように、呼吸リズムが変わった翔一は金剛をリングの真ん中に投げた。投げられた金剛は、ろくに受け身も取れずに、全身をマットに打ち付けた。幸いなのは、ほとんど失神していたので痛みを感じないことだろう。


 だが、それを翔一は許さなかった。

 彼は、コーナーポストにのぼり、その上から金剛の喉元に向かって、エルボードロップを落とした。


 「ぐえ……」

 「ギヤアアアアアアアアア!」


 ―――殺す


 そんな声が、会場中に聞こえた気がした。


 全員がそう思ったつかの間、翔一がマウントを取る形で金剛に乗っかり、グラウンドパンチのラッシュを開始した。金剛はそれをノーガードで受け続け、さらに血塗れになっていた。


 それだけならよかったが、殴った時の衝撃で出血した血が、四方八方に飛んでいった。


 その光景を目にした生徒たちは、あるものは失神。あるものは勝負の行方を見ずに、体育館から逃亡していった。


 「―――めろっ!もういい!やめろっ!……やめてくれ!―――翔一!」

 「グアアアアアアアア!」

 「やめろっ!それ以上は、相手が死んでしまう!もういい!私は大丈夫だ!」


 先ほどまでに起きていたことに、完全に目を奪われていた玲羅は、今の事態をようやくちゃんと見ることができたのか、金剛の置ける状況の、椎名がこれからなにをしようとしているのかを理解し、どうにか止まるように声をかけるが、恋人の声すらも翔一には届かない。


 それどころか、翔一は金剛の髪を掴んで、無理やり自身の目の前に直立するように持ち上げた。


 「ぐ……はあ……く……」


 いまだ、わずかに意識の残っている金剛は、最後の抵抗とばかりに髪を掴んでいる手に爪を立てたりと傷をつけようと試みるが、不自然に皮膚に爪が食い込まない。


 「な、なにをしようと……翔一!」

 「は、はあ……いやだ……やめてくれ」


 そんな金剛の悲鳴には聞く耳を持たないとばかりに、翔一の目はうつろだった。

 そして、金剛が感じたのは、拳による衝撃でも、恐怖による視界の暗転でもなかった。


 掴まれた髪の毛からなにか得体のしれないものが流れてくる感覚だった。

 そして、それに気づいたとき―――


 「かっ!?」


 ―――全身の健が切れるような感覚に襲われ、微弱ながらにも力が入っていた四肢に全く力が入らなくなってしまった。

 その瞬間に、翔一は手を放し、金剛を解放した。


 ―――ように見えたが、金剛が倒れ切る前に、間髪入れずに、胸元に向かって


 「やめろ!翔一!それ以上はダメだ!」

 「……」


 危機を察した玲羅が、翔一を止めるためにリングに入ったが間に合わない。

 もう、全力の蹴りが金剛の胸板に入ってしまった。


 その衝撃は凄まじかった。


 金剛の後方にある観覧用に設けられたパイプ椅子や失神した生徒を、すべて吹き飛ばした。

 蹴りのエネルギーが、金剛で止まらずに貫通して、後方にあるものにぶつかったのだ。


 そのすさまじさに、玲羅は驚いた。


 「これが、翔一の……いや、椎名家の武術『白亜幻竜拳』……」


 すごい武術なのは知っていた。翔一に助けてもらった。だからこそ、知っているつもりだった。

 だが、翔一は自分の力の底など、自身には見せてくれていないのだと、改めて知った。


 (本当に翔一は秘密主義なのだな……ううん、私が怖がらないように見せなかっただけだ。なのに、私のためだけにこんなことに……)

 「グアアアアアアアア!」


 あまりのすさまじさに呆然としていると、突如玲羅の方に翔一の視線が向いた。


 「し、翔一?」

 「グアアアアアアアア!」


 その雄たけびに、玲羅は一歩、また一歩と後ずさるが、彼女の反応も許さないほどの速度で近づいてき、翔一の右手に、首を掴まれ持ち上げられてしまった。


 「ぐ……う、しょう、いち……」

 「ギヤアアアアアアアアア!!!」


 玲羅を掴む手は、少しずつ強くなっていき、ついには玲羅が息苦しさを感じるようになってしまった。

 だが、玲羅は、抵抗する様子を見せずに、自身を掴む手をそっと包み込んだ。


 「もう、大丈夫。翔一……愛してるよ」

 「グアアアアアアアア!」

 「そこまでよ!」


 突然、翔一が横に吹き飛んだ。


 その勢いで、玲羅は翔一から解放されて、マットの上に倒れ込んだ。


 「こほっ、こほっ」

 「大丈夫かしら?」

 「ああ、大丈夫だ。それよりも翔一を……」

 「わかってるわよ。まさか、昔よりも暴走の状態がひどくなっていたとは思わなかったわよ」


 翔一を飛ばしたのは、条華院美織だった。

 彼女の手には、黒色の仮面があり、それを強く握っていた。


 「はあ……さあ、来なさい。私が止めてあげるわ!」

 「グアアアアアアアア!」


 その宣言にこたえるかのように、翔一は美織にとびかかった。

 だが、その行動は呼んでるとばかりに、美織は体を横にずらし攻撃を避けた。そのすれ違いざまに、彼女は、持っていた仮面を翔一の顔に叩きつけた。


 すると、その仮面は右目の部分が赤く光り始めた。


 「グアアアアアアアア!……が!?ガアアアアアアア!」

 「み、美織!」

 「大丈夫よ。そろそろ、戻ってくるわよ。あなたの恋人が」


 翔一の雄たけびに似た悲鳴が、収まると彼はゆっくりと前方に倒れた。

 それを、美織は受け止めて、玲羅の方に顔を向けた。


 「し、翔一……」

 「れ、玲羅?」

 「翔一!」








あとがき

今回の話で、文字数が20万を突破しました。

ここまでついてきた読者の皆様には感謝しかございません。

今後とも、お付き合いお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る