第68話 武装

 昼休みから数時間、俺は金剛に呼びだされて、体育館のボクシング部が使用している区画に来ていた。

 そこには、リングがあり、その真ん中で金剛が挑発するように、指を立てていた。


 「安い挑発だな……」

 「うるせえよ!てめえはここのマットに這いつくばるだけなんだからしゃべるな!」


 ちっ、相変わらず会話にならないな。


 と、なんでもない小さなやり取りがあった後、双方の陣営に設けられている控室に入っていった。

 その中には、玲羅もついてきている。


 なんと彼女は、俺のセコンドに入ろうとしているのだ。

 危ないから、観客席から見てほしいものだな。


 そんなことを考えていると、彼女から心配するような声をかけられた。


 「大丈夫なのか?」

 「ん?玲羅は、俺があんな奴に負けると思ってるのか?」

 「そんなことない!だ、だけどな……お前、今ものすごく怖い目をしてるんだぞ」

 「……まじ?」

 「ああ、本当に怖い目をしている。相手を殺してしまいそうだ」


 無意識だ。まさか、玲羅に目が怖いだなんて言われると思ってなかった。


 「これで大丈夫か?」

 「……全然ダメだ!翔一、ちょっとこっちに来い」

 「……?―――ん!?」


 くいくいと、こちらに来るように指を動かす玲羅に従って、彼女の懐に入ると、おもむろにキスをされた。

 今回のキスはいつもより激しめで、ものすごく長かった。というか、キスをしている間に耳を揉んできたりと、工夫を凝らしてくるようになっている。


 いつの間にか、玲羅のキスのスキルが上がっている。


 「んちゅ……うむ、いい目つきになった。私好みの、私以外が目に入っていない顔だ」

 「なんだよ、その顔。―――まあ、さっきより目つきがよくなったのは確かだろうな。だって、こんなに幸せな気分なんだから!」

 「うひゃあ!?」


 キスのお返しに、俺は玲羅を抱きしめた。キスのお返しにキスをしたら、お互いに止まれなくなりそうだったからだ。本当はキスをして、玲羅の目尻がトロトロになるまで攻め倒したいのだが、さすがに学校でそこまでやると、問題が出てきてしまう。


 俺はそんな理由で欲求を押し殺しながら、抱擁を解き、体育着に着替え始めた。

 すると、玲羅があからさまに慌て始めた。


 「ちょ、ちょっと待て翔一!」

 「どうした?」

 「き、急に脱ぐな!」

 「人を露出魔みたいに言うなよ。さすがに制服でやるのは嫌だぞ」

 「だ、だからと言って、女の前で素肌を―――カッコいい……」


 なんやかんや文句を言っていた玲羅だったが、俺の半裸の姿を見て、恍惚とした表情になった。

 この間も俺の半裸は見ているはずなのだが?


 「はわわ……翔一、すごい筋肉だ……」

 「はいはい、あとでいくらでも見ていいから、着替えさせてくれ」

 「……しゅきぃ……翔一の……翔一がカッコいいのお」

 「あれ?聞こえてないのかな?」


 すでに玲羅は正気を失っているようだ。だが、試合の開始時間は刻一刻と近づいてきて、ついにリング状に立たなきゃならない時間となった。


 その時間になると、観客も多く集まってきた。まあ、大半が金剛信者の女どもだ。

 出れば出てる時間だけ、ボロカスに罵詈雑言が飛んできている。


 「へっ、逃げずに来たことを褒めてやるぜ陰キャ!」

 「提案したの俺だし……まあいいか」

 「おいおい、なんとか言い返せよ!それとも怖くなったか?なら、土下座しやがれ!」


 その怒声と同時に、周りから『土下座コール』が巻き起こるが、俺は特に何も反応しない。

 そんな口上の喧嘩は終了したとみたのか、ついに試合開始のゴングが鳴った。


 開始と同時に、ペース無視で金剛は拳のラッシュをお見舞いしてきた。


 「おらおら!どうだ!見えねえだろ!」


 正直、あくびが出そうです。俺が今までに相手取ってきたやつらより圧倒的に弱い。

 パンチの速度も、重さも力もだ。


 俺はそんなパンチの応酬を、俺はすべて右手でカットした。なんなら、その場から動いてすらない。


 「なんだ、その程度か?粋がる割には、大したことないな」

 「ぶっ殺す!」

 「そういう短絡的なところも、お前の弱さの原因だ」


 ボコッ


 「ぐえ……」


 俺はがら空きの腹部に掌底を叩き込んだ。それだけでも悶絶するのには十分だったようで、少し倒れ込んでゲホゲホ言っている。


 まあ、本気の拳じゃなかっただけマシだと思ってほしいけどな。

 本当に怪我じゃすまなくなるから出すわけにもいかないけどさ。


 なんかんだすぐに復活した金剛は、懲りずに殴りかかってくる。

 それでも、俺はすべての攻撃をさばき続けた。こういう輩は絶対に頭を狙ってくる。プライドの高い馬鹿は自分の目線の位置にあるものしか視界に入らないからな。

 それに、俺とこいつじゃレベルが違う。研鑽してきた技術の差だ。


 「はあ……はあ……クソ、仕方ないな。おい、お前ら!」

 「今度はなにするつもりだよ」

 「これを見ろ!」


 示された方向を見ると、そこにはボコボコにされて傷だらけになっている双葉の姿があった。

 そう来たか……


 「今から俺の攻撃をガードしてみろ。あいつをもっとボコボコにするからな!」

 「動かなければ、あいつに攻撃はしないのか?」

 「物分かりが……いいなっ!」


 そこから、俺はノーガードで金剛の攻撃を受け続けた。はたから見ても―――というか、当事者から見てもボクシングとはなにかと思わざるを得ない構図だ。―――最初からか


 まあ、ノーガードでも効いてるかと聞かれたら、答えはノーだ。


 この間のように、弾丸を受け止める瞬間に法力を固めて、一瞬防御力を上げる手段を使えば、一般人程度のパンチなら余裕だ。


 だけど、その慢心がいけなかったんだと思う。


 「お、お前たち!なにをするんだ!」

 「うるせえ!てめえを剥いたらあいつもごたごた言えなくなるだろ!」

 「や、やめろ!」


 玲羅に手を出されただけ。簡単に助けられる。そのはずだった。

 取るに足らない連中が、玲羅に触れただけ。


 たったそれだけのことで、頭に血が上った。だが、そこまでは良かった。それだけなら、ただの愛情の重いだけの一般人で済んだ。


 使ってしまったんだ。玲羅にくっついた虫を殺すほどの勢いで殴るためだけに『武装』を


 無意識で使ってしまったがために、使ったことに気付いて後悔しても遅かった。

 もうすでに、玲羅という花を汚す害虫は、俺の拳で体育館の壁に叩きつけられて、血まみれになっていた。


 「し、翔一……?」

 「ごめん、玲羅。止まれない」


 そこからもう、記憶がない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 「グルアアアアアアアアア!」

 「な、なんだ……てか、おい!田島になにしてくれてんだてめえ!」

 「グルアアアアアアアアア!」


 翔一は、金剛の恫喝に対して、雄たけびでしか返事をしなかった。

 そんな態度にムカついたのか、金剛は翔一に拳を振り抜いた。


 だが、その拳は翔一を捉えなかった。


 ほんの一瞬。目にもとまらぬ速さで、至近距離に近づいた翔一にはじかれたのだ。しかし、それだけなら体勢を立て直せばいいだけ。


 そうわかっていても、それができなかった。


 なぜなら、はじかれた金剛の腕は、前腕部のど真ん中から90度外側にへし折れていたから。


 「ぎゃあああああああああああああああああああ!」

 「グアアアアアアアア!」


 体育館に、男の悲鳴と雄たけびが響いた。

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