第52話 本心を引き出す
俺が練習に参加してから、このキャッチャーの問題点が多く見つかった。正直、なぜこいつが野球をやっているのかわからないレベルだ。
「なんで野球やってんだ?」
「俺が弱いのなんかわかってるよ。でも、好きだからやってるんだ」
「そうか」
キャッチャーをやっている男の名は、
多少の休憩を終えてから、俺はまた双葉にボールを投げ込む。
ざっと138km/hほどで投げてはいるが、段々と取りこぼしは少なくなってきた。だが、ショーバンのブロッキングがまだまだ甘い。
始動も遅いし、金的が怖いのかそもそもボールを取る瞬間に目を瞑ってしまっている。
「なんで、キャッチャーなんだ?ほかのポジションならまだ救いようがあるんだけど」
「部停で足りなくなったポジションがキャッチャーなんだ。だから、キャッチャーの枠を埋めれば、金剛先輩は試合に出なくて済む」
「はあ……わかったよ。なら、ギア上げてどんどん行くからな。根を上げるなよ」
「わ、わかった!」
試合までのタイムリミットは、1週間もない。それまでにどれだけのことができるか。
考えるだけで頭が痛い。
その後も、145km/hにも到達する球を投げ続け、双葉はそれを取り続けた。
1時間ほど経過して、時刻が9時近くになったころに、ようやく練習もとい特訓が終了した。
「はあはあ……もう、無理……」
「大丈夫だ、これ以上は痛めつけない。強くなりたいのなら、部活が終わってもこの場で練習を続けろ。明日から変化球も織り交ぜて本格的にブロッキングの修正をする。取れないにしても、後ろに転がされたらたまったもんじゃない」
「は、はい!」
これで、今日の特訓は終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翔一のしごきを受けた双葉は制服に着替えて、幼馴染である一色と話している。
「なんなのよ、あの椎名ってやつ……偉そうに」
「楓、そんなこと言っちゃいけないよ。あいつが俺に対して野球をしている意味が分からないと言ったのと同じで、俺からしたらあいつが野球をやっていない理由がわからないよ」
「どうして?」
「楓も見たでしょ?あの球」
そう言って、双葉は左手を開いたり閉じたりする。いまだに翔一の投げた球を受けた感触が残っている。
彼が受けてきた弾の中で、段違いに早くて重かった。
「俺と同級生なのに、うちの部活の誰よりも重い球を投げてる。しかも、俺にキャッチャーのやり方を教えるくらい野球を知ってる」
「確かに、なんでうちの野球部に入らなかったんだろう?」
「単純に、うちが弱すぎるだけかもしれないけどな」
「あるかもね」
2人が言うように、希静の野球部は弱い。地区大会なんか、初戦で負けるレベルだし、今週末の練習試合は良く取れたという感じだ。
だが、双葉はそのレベルのチームですらメンバーに入れないほど弱い。本人も自覚はしているが、一番苦労しているのは翔一だ。
全国で優勝するレベルのチームにいた彼には、できない感覚が非常につかみづらい。なので、この1週間はこのことばかり考えてしまうだろう。逆に言えば、玲羅の傷を考えずに済むだが……
「雄二はさ、そんなに頑張んなくていいんだよ?」
「いや、絶対に俺が活躍して楓を守る。それができたら、幼馴染から恋人になってくれないかな?」
「ばか……守れなくても、私は雄二のものだよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は、更衣室にいる二人の会話を外から聞いていた。
「私は君のもの、か……」
「どうしたの?」
「ああ、帰ってなかったんですか?結城先輩」
「凪でいいよ」
「じゃあ凪先輩」
「先輩もいらないけどなー、キャラじゃないし。にしても、楽しそうだったね翔一君」
楽しそう、か。確かに、好きなことをやる。教える立場であっても、それは変わらないのかな?そう考えるのなら、多分楽しかったと思う。
「翔一君ってさ、なんで野球やらないの?」
「……他人には関係ないですよ」
「そう……?僕からしたら、君のその表情は誰かに助けを求めているように見えるけどね」
「そうですか?」
「うんうん……」
「いや、話さないですよ」
「えー、教えてよー。誰にも漏らさないよー」
そういう問題じゃねーよ。そう言ってやりたかったが、俺はぐっとその言葉を飲み込んだ。
歩きながら、そんな会話をしていたので、気付いたら最寄り駅に到着していた。
先輩とは方向が逆のため、ここでお別れだ。いつもなら、隣に玲羅がいて一人になることはなかったんだけどな……
ちょっと寂しいな
それから俺は電車に揺られて、帰宅した。
「ただいまー」
「お帰りお兄ちゃん。今日は遅かったね?」
「ああ、ちょっと野暮用だな。今週はちょっと帰りが遅くなるから」
「……わかった」
「悪いな、迷惑かけて」
「そんなことないよ」
帰ってきて、真っ先に結乃と話した俺は、2階の玲羅の部屋に向かった。
やはり、他のグループで会話していても、彼女は俺の恋人だ。1日に一回くらいは会話がしたい。
コンコンコン
……返事が返ってこない。寝てるのだろうか?
そう思い、俺は玲羅の部屋の扉を開けた。すると、中には誰もいないどころか荷物すらも消えていた。
「は?」
俺は部屋の状況を見て、訳が分からずに呆然とした。
「あ、お兄ちゃん、天羽先輩出て行ったから」
「え?」
「恋人もやめるって」
「……わかった。じゃあ、今日からいつも通りになるのね」
「そうなるね」
(よかった……思ったより傷ついてないや。でも、やっぱりお兄ちゃんにはみお姉のほうがお似合いだよ。天羽先輩もいい人だけどさ……)
結乃はそう考えていたが、俺は内心叫びたかった。出て行くなら、別れるなら一言ほしかった。
いや、帰ってこなかった俺が悪いか。
さようなら、玲羅。また、人に裏切られた気分だ。君はそんなことする子じゃない。そう思ってたのにな。まさか、自分の人の見る目もぶっ壊れてたんだな?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ほぼ同時刻。美織の家にて
「で?翔一の家を出たと」
「……そうだ」
「バッカじゃないの?そもそも、家主は翔一なんだから、一言相談しなさいよ」
「で、でも……翔一をあんな姿にするのは……」
「はあ……いい?あなたの言う、翔一の状態はたちの悪い発作みたいなものよ。時間経過でなおるし、記憶もなくなるわ」
「だからと言って……」
美織は、玲羅の煮え切らない態度に、ものすごくイライラしていた。
「ちっ、ムカつくわね。結乃もそんなくっつけられ方しても、私はなにもうれしくないのに……
玲羅はどうしたいの?」
「翔一とできるだけ距離を取って……」
「馬鹿なの?あなたの本心に聞いてるのよ。上っ面だけでそんなことをほざくのなら、私が本当に翔一の全てをもらうわよ」
「い、嫌だ!一緒にいたい!キスもしたい!翔一に抱きしめられたい!」
「……それでいいのよ」
玲羅の言葉を聞いて、美織は少し安心した。
建前で、己の本心を殺そうとしていた玲羅を助けたのは、本心を隠さなくても受け入れてくれる存在が近くにいたことだ。
その翔一という存在が、玲羅の本心を引き出しやすくしていたのだ。
「でも……私にはどうしたらいいか……」
「いい?今から言う話を全て受け入れて、翔一を抱きしめてあげなさい」
「……?なにを言っているんだ……」
「今から話す話は、翔一の昔の恋の話。あなたにとって、決して心地のいいものじゃないし、結末なんて最悪。あなたがすることな翔一を理解してあげること。この話をするんだから、次から翔一のことをもう知らなかっただけでは済まさないわよ」
「わかった。教えてくれ」
そうして、美織は決意に満ちた玲羅の目を見て、話を始めるのだった。
「初めに、翔一は童貞じゃないわ」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
幸先不安である……
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