第26話 私だけの料理人

 「ただいまー」

 「ん、おかえり玲羅」


 玲羅が仕事から帰宅すると、家で待っていた翔一が出迎えた。

 翔一は、帰ってきた玲羅の荷物を受け取り、真っ先にキスをした。


 「ん……翔一……」

 「んむ……玲羅、風呂に入ってきな。もうご飯できてるから」

 「そうか。毎日すまないな、料理を任せてしまって」

 「いいって、好きだからさ」


 翔一と玲羅が付き合ってから7年と少しが経って、2人は入籍した。中学3年から付き合い始め、痴話喧嘩など紆余曲折はあったが、やはりお互い好き同士。―――いや、愛し合う者同士。

 結婚はすぐにした。


 大学や高校時代の友人からは、祝福の言葉ばかりで、新居に引っ越してから数日で近所からラブラブ夫婦の異名を授かった。


 そんな二人は、今や社会人。

 玲羅はIT関連の会社に就職し、出世街道まっしぐらだ。逆に翔一は、スマホなどのアプリ制作関連。特にゲーム系のアプリなどを作る会社に就職したが、在宅ワークが多く、家事のほとんどは翔一がこなしている。


 前に何度か玲羅が、「翔一だけに負担を強いたくない」とのことで家事の分担を提案したのだが、翔一は「仕事で一杯一杯の体を鞭うたせたくない」といって、頑なに玲羅が家事をやることを渋っている。


 まあ、以前玲羅が働き始めの頃、優秀さから多くの仕事を任され、キャパシティーオーバーで自宅で半失神状態になっている。

 だから翔一は玲羅には仕事だけに専念してもらうようにしている。幸い、翔一は家事を苦だと思っていないし、むしろ玲羅が笑顔で家にいてくれることが何よりの幸せだった。


 そこらへんに関しても少しだけ言い合いがあったが、結局は玲羅が折れた。倒れたことを引き合いに出されるとなにも言えなかったからだ。


 帰宅してから十数分、風呂から出てきた玲羅は真っ先にリビングに向かい翔一の向かいの席に座る。


 現在、2人の前には料理が並べられている。


 「今日の料理は、少し研究段階で味は保証できないけど、ムール貝見つけたからパエリア作ってみた。もしかしたら水分量とか間違ってるかもしれないから許して」

 「翔一、私が翔一の料理をおいしい以外言ったことがあるか?」

 「至福の顔で『幸せ……』って言ってたぞ」

 「そ、それはそうだが……とにかく、私が翔一の料理を否定したことはない。なぜなら、お前の料理はいつだっておいしいからだ。今日もおいしいに決まってるさ」

 「そう言ってくれると嬉しいな」


 玲羅の言葉通り、今まで翔一が作ってきた料理は、玲羅が幸せな気分になるほどおいしいものばかり。それは中学の頃から変わらない。試作といって持ってくるものも頬が落ちそうなほどおいしいものばかりだ。


 「はむ……うむ、美味しいぞ。さすが翔一だ。本当に私だけの料理人になってくれたのを実感する」

 「はは……プロポーズされたからな。俺は一生、玲羅に尽くすって決めてるからな」

 「私は、幸せ者だ……」

 「そんなしみじみと」


 そういう翔一も少しだけ口角が上がっている。やはり、愛している人にそう言われるのは悪い気はしないのだ。


 ちなみにプロポーズは翔一ではなく、玲羅がした。


 大学在学中に一生懸命バイトで働いて、手にした金でプロポーズ用の指輪を買った玲羅は、大学卒業の日に、指輪と婚姻届けを渡した。

 返事はもちろんOKで、婚姻届けは翌日に出した。


 2人とも、プロポーズの日は盛り上がって、その日の夜はとても熱いものだったのだ。

 玲羅がプロポーズしている姿はあまりにも凛としていて、目撃した多くの人が見入ったくらいだ。翔一にとってもとんでもない爆発力だっただろう。


 食事を終えた2人は、歯磨きを終えた後はいつもテレビを見ながらイチャイチャしている。

 今日は、バラエティー番組で猫の特集がされていた。


 「猫、かわいいなあ……」

 「む……」


 テレビを見ていた翔一の何気ない一言が不服だったのか、玲羅は不満そうな顔をして、奥の部屋―――2人の寝室に消えていった。

 翔一がどうしたんだ?と、思う暇もなく玲羅が戻ってきたのだが、彼女の頭には猫耳のカチューシャが装着されていた。


 「にゃ、にゃー」

 「ふわあ……おいで!おいで!」

 「にゃー」


 猫耳を付けた玲羅は、可愛さ満点のセリフで翔一を魅了した。魅了された翔一はなにも迷うことなく玲羅を膝に誘導している。目的など一つだ。

 それに対して玲羅は、恥ずかしくなって動きが止まったりすることはなく、翔一のところまで小走りでかけていき、夫に膝枕をしてもらう形に落ち着いた。


 この数年で、玲羅は翔一への甘え方がうまくなった。

 最初の方は―――というか、結婚する前くらいまでは、恥ずかしくてできないと考えることが多かったが、結婚してからというものの、ストレスからかはわからないが、デレデレに甘えることが多くなった。

 大学時代はお酒の力を借りないとデレ切れなかった頃が嘘みたいだ。


 今はシラフで翔一とラブラブなディープキスができる。大いなる進歩だ。


 翔一はというと、膝枕で寝ている玲羅のことを撫でまわしている。

 右手で頬を、左手で頭を撫でている。撫でられている玲羅はとても気持ちよさそうにしている。この時間は玲羅にとっては大事な時間だ。


 仕事での嫌なこと、嫌いな同僚、セクハラばかりしてくる上司。いやなことはたくさんあるが、翔一とともにいる時間だけはそれらを忘れられる。


 「翔一」

 「ん?」

 「私は明日休みだ」

 「そうだな。明日は土曜日。俺も休みだ」

 「だから、今日はシないか?」

 「わかった。覚悟はいい?」

 「ああ」


 2人はそんなやり取りをすると、玲羅は翔一にお姫様抱っこで寝室に連れていかれ、丁寧にベッドに連れていかれた。だが、翔一が優しかったのはそこまでで、そのあと玲羅は全身の力が入らなくなるまで―――


 「わひゃあああああああ!?」

 「わっ!?どうしたの天羽さん」

 「はあ、はあ、なんでもない……ちょっとトイレ……」

 「いってらっしゃーい」


 玲羅が突然叫びだしたのは、ホテルの布団の上。外はすっかり明るくなっている。

 修学旅行の2日目の朝を迎えたのだ。


 だが、玲羅にそんなことを考えている暇はない。


 ただいま、個室トイレ内で悶絶中だ。


 「な、なんであんな夢を……」


 理由は単純。あれが玲羅の理想だからだ。


 「ああ……ああなれたら幸せなんだろうな……」


 夢の中での2人の生活。とても幸せで楽しかった。夜の方も少しだけ玲羅の癖が出てしまったが、それを自認するのはもう少し先だ。


 「翔一、私だけの料理人になってくれ、か……」

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