不良くんは彼女だけを信じている

 一抹の不安に唇をかみしめた。震える拳を握って、呼吸を整える。こうなれば状況を説明すべきだ。蒼汰だけには勘違いされたくない。


 あの髪飾りは白雪にとって道しるべであり、勇気を与えてくれる大切な――それこそ宝物なのだ。壊れようとした自分を引き止めてくれるお守り。


 凍り付きそうな喉を叱咤して、否定を飛ばそうとして。


「見くびるなよ」


「……え」


 淡藤の髪が揺れて、合間から鋭い眼光が白雪に届く。獰猛で肉食獣のような威圧感。電車で垣間見た片鱗が、そこにあった。


 へばりつく百都子が怯えたように小さく声を上げる。だが蒼汰の意識は向かず、白雪だけに注がれていた。


「信頼したいなら、お前も信頼しろ。自分にできないことを他人に強いるな、だろ」


 宿った怒りは白雪に対してではない。含まれた思いに、強ばった体から力が抜けて、ほぼ無意識に頷いていた。


「俺は、お前を信じてんだよ」


 それは、唯一無二で、白雪がずっと求めていたもの。


 幼いときから欲しくてたまらなくて、いつしか期待も欲するのも諦めていた。それを彼は、何の躊躇いもなく簡単に、至極当然のように与えてくれた。


 ふ、と。ゆるく笑う彼に白雪は、今度こそ全てを委ねた。落ち着いていく自身の呼吸音に耳を澄ます。彼は白雪の穏やかな表情を見て満足そうに鼻を鳴らすと、瞬きをひとつ。


「離れろ」


 次に目を開けたとき優しさは死に、獣を彷彿とさせる威嚇と敵意をむき出しにした。熾烈で肌をびりびりと電気を走らせる激情を惜しみなく隣の百都子へと刺した。


 百都子は、はじかれたように飛び退った。ぶるりと身を震わせて自らを抱く。かちかちと歯を鳴らして、意味がわからないと混乱したかのように取り乱した。彼女はいつだって誰かを怒る立場であった。


「それな、あいつが渡すわけねぇんだよ」


「な、なんでよ! 証拠もないのに!」


「いらねえよ、んなもん」


 虚勢で張り上げた声は、蒼汰の静かな否定により勢いは消えた。ぽかんと口を開けて、間抜け面を晒す百都子に今までの雰囲気は形無しであった。さきほど完璧であったが故に、今がひどく張りぼてだったのだと惨めに見える。


 それが少しだけ、白雪の胸を刺した。


「あいつとお前、信じられんのはどっちだって言われたら即答で白雪ってだけ。それ、あいつ気に入ってくれてたからな」


 語らずとも信頼される心地よさ。目に薄い水の膜ができる。こぼれぬよう、瞬きせず彼らを見つめた。


 みるみるうちに百都子の顔は赤くなり醜く崩れて、乱暴に髪留めを掴み取った。その腕を振り上げて。


「――こんなものいらない!」 


 風を切る音と友に、投げられる。軌道は白雪へまっすぐに伸びて。


 ぶつかる寸前。細くも逞しい腕に抱きすくめられる。髪飾りが眼前で誰かの手で受け止められた。呼吸する暇すらなく起きた出来事に白雪も香奈恵、投げた本人の百都子も固まっていた。


 蒼汰のみ、ゆっくりと時間が進む。手のひらに収まった髪飾りが壊れていないか確認してから百都子へとぞんざいに目をやった。


「こいつに怪我させんなら、俺が相手してやる」


 膨らんだ怒気。逆鱗に触れたと察知した百都子がぐっと呻いて数秒。ぶわりと涙をあふれさせた。ぼろぼろと泣いて内にためていた感情を幼子のように吐き出す。


「私はッ蒼汰が好きなの! なんで付き合ってくれないのッ私が好きなのに!」


「そうか。俺は白雪が好きだ」


 間髪なく、すげなく切り返されて、百都子は地団駄を踏む。整えられた髪が乱れ、短いスカートの裾が翻った。彼女の、ここまで余裕をなくした姿は初めて見た。蒼汰の腕の中で、白雪は豹変した彼女に言葉を失う。


 百都子は涙に濡れた瞳で白雪を睨み付ける。憎悪と妬みが容赦なく牙をむいた。


「なんでよ、私が先に好きになったのに! 横取りとかありえない! 私が好きなんだから、蒼汰は私と付き合ってよ!」


「知らねぇよ」


 彼は悪意から庇うように、白雪の頭を胸に押しつけた。上を見上げられないが、声音はひどく冷たく痛い。自分に対してではないと理解しても、ぞくりと寒気がする。


「女王さまか何か知らねぇけど。お前のことは嫌いだ」


「ひど、い」


「イジメやってた奴が何いってんだ」


 情けなどない。反論も彼からすれば紙くず同然であり、完膚なきまでに叩きのめしていく。


「それよりいいのか?」


「……えっ」


 白雪が顔を上げれば、蒼汰が心底愉しそうに笑う。加虐的な表情、悪役である。助けられた事実がなければ、可憐なヒロインをイジメている現場と勘違いするだろう。

 圧倒される百都子に、蒼汰は顎で後ろを示す。なんだと全員の目線がそちらへと向いて。


「あ」


 間抜けな声を出したのは白雪だ。百都子は絶句しているのか、ぎしりと固まって動かない。

 白雪たちは言い合いに白熱して周りが見えていなかった。だが、百都子のヒステリックな叫びは校舎によく響き渡っていた。当然休み時間の今、目立たないはずもなく。


「なにあれ、怖すぎじゃない?」

「私が好きなんだからって、どんだけなの。やば」

「蒼汰くんに庇われてるのいいなぁー」

「そういえばあの子さ、人のものすぐ欲しがってさ」

「あー私もしつこくねだられてさ、うざかったぁ」

「ねぇそういえばこの前、ペン欲しいって言われたんだけど、断ったらね。その後なくなっちゃったの」

「えっそれってマジ?」


 ギャラリーが好き勝手喋り出して、見物している。白雪は悲鳴を上げて蒼汰を突き飛ばそうとしたが、びくともしなかった。悪どい笑みも変わらない、この人どれだけ力強いの。本当に同じ人間か。


「あ、いや、ちが、ちがうの」


 百都子のふるえる声で、否定する。よたよたとギャラリーに手を伸ばした。


 中には百都子に気がある男の子や、仲良い女の子もいたが、誰もが化け物を前にしたように後退る。


 蔑みの目。向けられていない白雪の胸が痛み、顔をしかめる。確かに百都子には嫌なことをされた。だが、これはあまりにも酷い気がする。けっして百都子に同情などはないが、見ていて気持ちの良いものではない。

 

 咄嗟に口を開いた、が。


「ちょっと黙ってろ。どうせ、この騒ぎも次第に収まる」


 大きな手のひらで塞がれてしまう。耳に唇をよせ、どこか嬉しそうに囁かれた言葉を理解する前に、ギャラリーから悲鳴があがった。やめてくれ目立ちたくない。


「……っわたしは悪くない!」


 地団駄を踏むが誰も賛同しない。


 居た堪れない空気に耐えきれなくなったのだろう百都子は一歩下がり、そのまま走りだす。身を翻して逃亡する背に、蒼汰はやはり刃を忍ばせた声を投げた。


「なぁ」

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