幕間

彼女と彼女以外

「昨日まで友達だって言ってたやつイジメて恥ずかしくねぇのかよ。んなの友達でもなんでもねぇ」


 霜が降り、厳しい冬の寒さが身を切り裂く。

 雲の隙間から覗く淡い太陽では氷の結晶はとけず、宝石のように輝かせるだけでとどまった。


 眩しい光景を、教室の窓から一瞥くれて目を中に戻す。



 群れてしか生きられない蒼汰とは異なる彼女らは、そっと身体を寄せ集めて震えていた。


 青白い顔は一様に俯き、老朽化が進んだ床を眺める。肉食動物に遭遇し追い詰められた小動物を彷彿とさせ、死を待つ姿は哀れだ。


 とはいえ元凶の蒼汰にとっては面倒以外の感想はない。

 そもそも白雪以外の女に心砕く優しさは持ち合わせておらず、それも虐めていた女ならば尚更である。


「だっだって百都子ちゃんが言ったから。いじめないと」


「ちょっと!」


 早すぎる時刻は蒼汰とイジメに加担した少女六名以外、登校していない。


 彩音の口車に乗せられて呼び出された彼女らは、初め頬を紅葉のように染めて、そわそわと窺っていたが、集まった人間と現れた蒼汰を見比べて気が付いたように怯え始めた。


 言い訳がましく一人の女が甲高い声で叫べば、誰かが非難の色を見せた。


 慌てた様子で口を噤む者、我関せずを貫く者。


 それらを蒼汰は酷く冷めた目で射貫いた。侮蔑と呆れが混じり、威圧感が膨れ上がる。嫌悪が明瞭で、確かな輪郭を持ち責めた。


「言われたからイジメる? そんなもん、ただの百都子の奴隷じゃねぇか」


「……っ」


 抑揚のない声がひやりと周りの温度を下げ、響く。たじろいだ彼女らは、我が身を守るように互いの腕や手を握る。


 仲間意識ではなく、いつでも身代わりを捧げられるようにと動いているのだと察し、怒りを通り越してぐつぐつ煮えたぎった感情が急速に冷めていく。赤かった視界は透明に、女たちが黒い靄へと変貌した。


 自分の人生において排除すべき悪だと断罪した。


「あいつは、誰かをイジメたのかよ」


 思いの外、静かな声音に女は大袈裟なほど大きく肩をびくりとふるわせて、じわりと涙をにじませた。重たそうに唇を痙攣させながら。


「それ、は」



「……たすけて、くれた」


 見覚えのある女が、眉根を寄せて何かを堪えるかのように呟いた。喉元を掴んで喘ぐように、ぽつりぽつりと奥につっかえたものを吐き出す。荒い呼吸音が次第に嗚咽へと、瞳から涙を溢れさせた。頬を滑り、地面へ。

 

 それを見ていた周りの奴らが「かなえちゃん」と名前を呼ぶ。どこか咎めるような響きで、かなえとやらの肩を揺する。だが彼女は止まらなかった。


「いつも参加しなくて。だから白雪ちゃんイジメ当番が回ってくるの、早くて。途中から彼女ばかりで。今だって、イジメられてる子を、昼間だけでもって匿って」


「っあの子が逃げたから、わたしたちにも当番回ってくるんだよっ! あの子だって」


「そんなの! ……そんなのおかしいじゃない。白雪ちゃんを責める権利は私達にはないし、そもそも責めるのだって間違ってる!」


 かなえ、と呼ばれた女の反論に、理解不能な言い分をほざいた女が押し黙る。しばしの沈黙のすえ、かなえとやらが息を吐いた。


 手の甲で乱暴に拭い、睫を濡らして。それでも蒼汰を真っ直ぐに見つめた。怯えと罪悪感にまみれたながらも、決して逸らさない。こくん、と喉を動かして。


「……わたし、白雪ちゃんに謝りたい」


 一人の懺悔に、全員が黙る。


 蒼汰は返事せずに、女たちの顔を観察した。


 平凡な彼女たちは姿だけではなく表情までも同じだった。厄介ごとは素知らぬふり――醜い人間の本質である。


 一人を除き、全員があらぬほうへと視線を投げる。都合が悪いのから逃げる防衛本能は至極当然だが、蒼汰は失望を抱いた。


 蒼汰は善人ではない。全てに置いて自分と白雪を優先する。だから逃亡自体が悪とは言い切らなくとも、白雪を傷つける行為ならば看過できない。


 白雪の敵は、蒼汰にとって悪そのものだ。


「謝りてぇなら、すればいい」


 瞼をおろす。闇に、ふわりと現れるのは白雪だ。


 髪飾りに触れて、宝石より美しい瞳を輝かせた顔。黒髪を揺らして、蒼汰を受け入れた瞬間。花が綻ぶように微笑んだ。寒い夜、ぬくもりを決して忘れないだろう。


 白雪は認めないだろうが、お人好しだ。一言謝れば許すだろう。同時に何も言わなくても憎まない。恐れるだけで仕返しがしたいという心は生まれない。


 だから謝罪も関わる気もない奴らを白雪は責めない。それは。


 蒼汰が目を開ける。無意識に嘲りの笑みを浮かべれば、女が引き攣った悲鳴を上げた。後退り、背後の壁にぶつかってへたり込む。


 唯一謝ると向き合った女だけ、一瞬だけ怯むように息を呑んだが、歯を食いしばり蒼汰から逸らさなかった。


「なぁ、百都子の言いなりになり続けるつもりの奴ら」


 瞬きせず睥睨する。こてんと首を傾げて、唇を三日月に歪めた。


「白雪に手を出したら、俺が直々に」


 ――アレ百都子がマシだと思うような目にあわせてやる。


 たとえ、それがアレと同類の行動であろうと。


 嗤いを含んだ声は、冷徹に。無数の氷の針を彼女らに突き立てた。脅しは通用したらしく、いっそ不憫とも取れるほど力を失い崩れ落ちていた。


 無様だと一瞥する。ふっと興味を失せて蒼汰は静かに歩き出した。


 白雪に会いたい。柄にもない呟きは、誰もいない校内に吸い込まれて消えた。

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