不良くんは嘘をつかない

 それから。


 早く家に帰れとも勧めるわけでもなく。彼は肩で息をしながら駆けつけてくれた。余裕のなさそうな表情で、ブランコに座る白雪を見下ろしてから隣に腰掛ける。耳障りな、ぎぃぎぃと鳴くのを無視してゆらゆらと小さくこいだ。


 彼は群青色のマフラーをほどいて、ぶっきらぼうに白雪の首へ巻く。その上で羽織っていたコートまで白雪にかぶせた。薄着になった彼に押し返そうとしたが睨まれて断念する。


 動物も虫も人も、全てが寝静まり冬の冷たさで満たされた外。痛いほどの静けさに、二人分の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。


 鼓動すら届いてしまいそうで、白雪は誤魔化すように喋った。苛む出来事を喜劇のように。


「馬鹿だよね。言っても無駄なのに。迷惑かけるだけなのに」


 おちゃらけて、平然を装って。笑って。仮面は皮膚と癒着して外れない。ただ道化を演じた。口は勝手に動いて、自分自身に言葉の切っ先を向ける。血が滴り、足下に赤い絨毯を広げる。


 そんな白雪を蒼汰は眺め続けた。冬のような物静かな感情が静まった瞳が瞬く。


 しばしの沈黙。


 彼は星空を見上げた。夜空はいつも通り憎たらしいほど美しい。星が煌めき、月が地上を照らしていた。夜だというのに、白雪の不格好な顔を隠してはくれないほど明るい。


「言わなきゃ、わからねぇよ」


 至極真っ当で、正論だ。他人の心を読める魔法使いなどいない。どれだけ血の繋がりがあろうと、言葉という形を与えなければ相手は理解できない。けれど、形すら拒絶されたら、どうすれば良いのだろうか。


「言ったって無駄じゃない。怒られるだけ」


 いじめられているの。助けてほしい。


 それすら伝わらない。


 幼い頃は通じると信じてきたが、返ってきたのは突き放す怒りだ。教室に行けない理由も、いじめの内容も、本当は朝が苦しくて死にたくなるのも。口に出してみたら、結局は怒られるのだ。


 自分でなんとかしなさい。


 それも正論なのだろう。だがどうにも出来なくて。物語のように全てが解決するハッピーエンドなど、ほど遠い結末しか迎えられない。

 

 わたしは、どうすれば。どうしたいのか。もう、よくわからない。息苦しさで目眩がして、思考が、頭が、視界がかすんで。


「なら、伝わるやつだけでも、言え」


 ぼぅと呆けたように俯いて、地面を見る白雪に、蒼汰が語気を強めて言った。芯のある、しかし優しさのある声が辺りに広がる。


 白雪の心に侵入する響きに恐怖を覚えて、幼子のように首を横にふって、いやいやと拒絶した。受け入れてしまったら、今のままで、いられないような気がした。かわるのは――とても怖い。


「誰にも伝わらないよ。怒られて終わり」


「俺は怒らねぇよ」


 腕が伸びてきて白雪の冷え切った手を包む。じわりと体温が溶け合うのを感じて、のろのろと目線を彼へとやる。真っ直ぐで逃げるそぶりすら見せない彼が眩しくてたまらなくなった。


「そんなの、わからないじゃない」


 卑屈に歪んだ白雪に、蒼汰は「わかってんだろ」と断言した。彼の淡藤色の髪が満月に輝く。


 冷たい風に撫ぜられ、爽やかな香りが鼻に届いた。落ち着く温度と匂いに、胸が締め付けられる。目頭が熱くなるのを必死に堪えた。凝固したのを解されていくのが、恐ろしくてたまらなくて、必死に自分を守ろうとする。


「俺は嘘をつかない」


「信じられない」


「信じたくない、だろ。裏切られて傷付きたくない」


 彼の瞳が真っ直ぐに射貫いた。全て見通されているのだ、白雪が何を怖がり、何か逃げようとしているのか。


 白雪は、裏切られるのが怖い。信用できる者が現れるのから逃げる。


 大切な誰かに裏切られるのも、裏切るのも――身を裂くような痛みを伴う。何度と味わいたくない。そんな臆病者であると見透かされているのだ。


「そ、う。だからもう」


 疲れた。


 期待するのも、されるのも。今度こそ伝わると信じても結末は同じだ。これ以上はたえられない。


「俺は何があっても味方であり続ける」


 いつの間にか蒼汰は白雪の正面に移動し、腕を引っ張って立ち上がらせた。色素の薄い瞳が星屑を閉じ込めたように、きらきらと瞬く。迷いなど見当たらない。


 ふと吐息すら触れるほど近づいた。宝石のような瞳にうつった白雪が、泣き出しそうな歪な笑いを浮かべている。必死に隠そうと取り繕う不細工な顔だ。


 そのまま白雪を腕の中に抱き寄せると体温を分け合う。最近、彼はこうして迎え入れてくれる。正常な友達の距離感ではないと流石の白雪も分かっていたが、拒絶ができない。


「うそつき」


「俺が嘘つくわけねぇだろ」


「――なんでそこまで私のこと気に掛けるの? もう、面倒でしょ?」


 頭を胸に押しつけられて、遠慮がちに服を掴んだ。寒さすら忘れて彼の言葉を待つ。


 人間は一人では生きられない、浅ましい生き物だ。


 諦めたと期待する奴が愚かだと知っているのに。今、このとき。白雪は確かに、目の前の男に思いを寄せていた。


 身体の器官全てを彼に集中させて、応えを待つ。自分の中で身勝手に作り上げた蒼汰という形が崩れる恐怖と、高揚感をふたつ抱えて。


「……壊れてほしくないからだよ。大切で誰よりも特別だから」






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