彼の宝物

 がさこそと、首からかけたネックレスを引っ張る。


 死んだ親父が残した形見。母親は一銭にもならないと捨てた代物は、蒼汰にとっては特別である。


 母親は、親父が死ぬ前から多数の男と関係を持っていた。

 親父に魅力を感じないが、金はあるから共にある。

 そんなクソみたいな理由だった。


 親父はそんな母親を見限った。決別して、蒼汰を引き取るつもりでいたようだった。


 蒼汰は親父を慕っていた、腐った女を捨てる格好良さも、責任は取ると蒼汰を見捨てなかった心も。


 幸せだった――離婚する三日前に、父親が交通事故で死ぬまで。


 財産は母親と蒼汰のもの。母親は蒼汰の顔を気に入ったから、侍らしていたいという下心で縛り付けた。

 

 金も欲しいから。全てが不愉快で、心底卑しい思惑。


 親の私物で、金になるのは全て売り払われた。残ったのは、蒼汰が五歳の頃、父親にねだったネックレスだ。


 おそらく百円程度の安いそれ。女がつけるような玩具だったが、当時キラキラと輝いて魅了された。


 ――それは普段構ってくれない母親の気を引きたくて、プレゼントしたかったものだ。


 親父は笑顔で購入してくれたものの、母親には「いらないわよ、そんなゴミ」と捨てられた。


 かたいフローリングに投げられたそれは、急に色褪せて霞んでいった。

 

 母親の機嫌取りという役目を果たさなくなったそれを、いらなくなるのは必然だった。子供ならではの残酷さで、見向きもしなくなった。


 それなのに。


 親父は、大切に取っておいていた。初めて蒼汰が欲しいと思ったものだからと、記念に残していた。懐かしむ横顔に気恥ずかしさが勝り「捨てりゃいいのに」と心にもない言葉を吐いた。


 女児が好みそうな見た目。ハート型にカットされたピンクの石。白い真珠に模したビーズ。何故欲しかったのか、当時の蒼汰はもう覚えていなかったというののに、親父は鮮明に。


「ばぁか」


 しょうもない女に引っかかるなよ。


 悪態に目をつぶる。瞼の裏に親父の笑顔が浮かんだ。


 へにゃりと情けない顔。気の弱そうな、蒼汰とは似ても似つかぬ穏やかさ。分厚いレンズがはめ込んだ眼鏡の向こう。ただでさえ細い目は、笑うと閉じてしまう。


 平凡な男に、蒼汰は語りかける。


「今日も揶揄われたよ」


 喧嘩最中に、胸元から出てきたそれに、相手は嘲笑った。


 確かに蒼汰には似合わないだろう、そこは納得できる。

 

 ――しかし、その後父親を馬鹿にされたのなら話は別だ。


 何処で聞いたのか親父の形見であると知り「お前のオヤジ、女装趣味か? あ、もしかしてロリコンか?」と小馬鹿にしたのだ。


 ならば相応の報いを与えねばなるまい。歯が抜けるのは覚悟の上だろう。ここで怒るのが、おそらく人間という生物だ。


「テメェらより、よっぽど正しい人だったよ」


 息子が女の子ものを欲しがっても気にしない大らかさ。

 離婚後の母親に対する、ある程度の援助。

 不良息子を引き取る懐の大きさ。

 こんな壊れた人形息子を導いてくれる正しさ。


 蒼汰にとっては道標だ。人として外れないようにしてくれる。あの人がいなければ。


 ――自分のような欠けた人間は、一瞬で転げ落ちる。


 半分、あの化け物の血を受け継いでいるだけある。己が、世間と決定的にズレているのは自覚している。奥底に隠した残虐性と倫理観が欠如したそれ。自分や他人の痛みに鈍いこと。喧嘩する理由。全部全部、間違っている。正しくない。


 人間として何かが壊れた部分を隠すために、取り繕い方を教えてくれたのは親父だ。そして嫌悪感、同族嫌悪を教えてくれたのは、母親である。


 俺は――あの化け物によく似ている。親父より、よっぽど。


 蒼汰は息を吐き、ただ親父だけを辿る。忘れないように、欠けた部分を埋めるように。自分が、あの人の子であると復唱する。


 親父が死んだとき涙も流さなかったくせに、その親父の姿に未だ頼るしか、蒼汰には生き方がわからなかった。


 大らかで真っ当で正しい親父。ただその姿を描いた。


「……まぁ、女の趣味は悪すぎるけどな」


 酷いなぁ。


 親父が記憶の中で笑った。


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