不良くんと放課後……?

 部活動の元気な声が途切れ、空が赤から夜色に変化して教室を暗くする。時刻は六時過ぎ。


 蛍光ペンのインクが切れてしまったため、帰り道に雑貨店に寄らねばいけない。この時間ならばクラスメイトとすれ違う確率も下がる。


 特に会いたくない人は部活に所属していない。お喋りが好きなので居残るのが多いが、余程のことがなければ、帰宅しているだろう。


「帰るか?」


 当然のように帰りを待っていた蒼汰は、携帯電話から顔を上げる。


「うん。宿題も終わったしね」


 重たい鞄を肩にかけて椅子から立ち上がれば、慣れたように彼も隣に並ぶ。


 一緒に歩くのも当たり前になった。


 友達など不要だと睨んでいた頃から、随分と気を許してしまっている。それも蒼汰が深くは聞かず、否定をしないからだ。居心地が良くて、つい傍にいるのを受け入れてしまっていた。


「今日は寄り道するんだけど、蒼汰くんは」


「どこにいくんだ?」


「駅前の雑貨店だけど」


「ん、了解」

 やはり付いてくるらしい。


 持ち物一つない彼は身軽に前へと進む。勉強道具を一切持ち歩かない彼が、予習や復習する姿を一度も目撃していない。


 なのに白雪より出来るとは信じたくないが現実だ。提出したプリントは別室担当の教師から返却されたが、彼のおかげでミスはなかった。


「蒼汰くんは家で勉強しているの?」


「は? んな怠いことするかよ」


 胡乱げな顔だ。心底理解できないという様子に白雪は目を逸らして、空笑いを返した。


 彼と二人で歩く道。


 たわいもない会話だが、動物が好きな蒼汰の話題は近所に出没する野良猫か喧嘩である。盛り上がるのは猫の方なので、血生臭い話は避けて欲しい。


 白雪の家にも錦鯉が泳いでいる。そういった動物などの平凡な内容ばかりだ。学校について触れない優しさは有り難い。


 しばらくして雑貨店に辿り着く。こそりと影から店内を覗けば蒼汰が吹き出す。


「お前、この中に敵でもいんの?」


「同級生が彷徨いてるか確認してる」


「ウケる。俺がいれば避けられるだろ」


「あぁ、自分の人相の悪さ自覚あったんだ」


「殴んぞ」


「ごめんなさい」


 にこやかに拳を、ブンと振るう仕草に間髪なく謝る。空気を裂く音が恐ろしい。流石に冗談だろう。多分。


 店内の明るく、雑多に置かれた雰囲気。特に見知った人はいない。ほっと安堵の息をついてから、ドアを押した。ちりんと鈴が鳴ると、店員の元気な「いらっしゃいませ」という声がする。


「何買うんだ?」


「ペンだよ。インク切れして」


「ほーん。なら俺は」


 ふらふらと他の場所へ行くのを見送る。


 白雪はペン一つ、買うのは決まっている。文房具コーナーで、今使っているのと同じものと、気に入った可愛いシャーペンを手に取って終わった。レジで会計をすれば帰れるのだが。


 白雪はキョロキョロと、蒼汰を探す。特段広くない店内、すぐに淡藤色の髪が揺れるのを見つけられた。相も変わらず目立つ。


 女性の店員は頬を赤くして、見蕩れるように感嘆の息をついている。少々悪い男の方がモテるというのは本当らしい。蒼汰の顔面は整っているのも理由なのだろうが。


 白雪はつつ、と近づき彼の横に並ぶ。


「ねぇ、その髪って染めているの?」


「そりゃな。紫だぞ」


 急な問いかけも動じない。並べられたシルバーアクセサリーを、つまらなさそうに眺めている。長い睫が揺れて欠伸をこぼした。


 白雪は淡藤から耳に視線を滑らせる。耳の至る所にまでつけられたシルバー色。慣れていない白雪からすれば痛々しい。


「ピアスも大量」


「そーだな」


「痛い?」


「あけてぇの?」


 ちらりと向けられた目線。何を考えているか読み取れない瞳に白雪は迷った末に、素直な言葉を口にした。


「……まぁ気にはなる」


「開けんな」


 即答だった。


 眉を顰めて軽く睨む蒼汰に、ぱちりと瞬きをした。


「うぅん。でもなぁ。気になるよね。ピアスって可愛いの多いし」


 彼のつける高そうなアクセサリーはゴツすぎて、重たそうだし趣味ではないが。目の前のリボンや雫、星などキラキラ綺麗なのは興味があった。


「やめとけ、優等生」


 は、と馬鹿にしたように鼻で笑う蒼汰に、白雪は半目になる。そうなんだ、と引き下がるのは何となく悔しい。


「……開けてやる」


「なんでだよ。穴、開けれんの?」


 ばちんと針を刺す動作にくわえて、ゆるく耳朶を触れる。彼の指が滑ると擽ったくて身をよじった。


 確かに。針を、それも恐らく注射より太いそれを刺すのは勇気がいる。到底自分に出来るとは思えない、白雪は自他共に認める小心者である。


「……開けてくれない? 勇気でないし」


「やだ。んな度胸もねぇならやめとけ」


 何故だろうか。ここまで来たら引き返せない。負けた気持ちになるではないか。


 白雪は子供のように拗ねてそっぽを向いた。


「なら彩音くんにあけてもらう」


「よーし喧嘩売る度胸はあったんだな褒めてやるよ」


「こわいこわいこわい」


 青筋を立てて、朗らかに笑う。耳から頭に移った手は鷲掴みにして締め上げる。みしみしと鳴った。


「他の男に開けてもらおうとしてんじゃねえよ」


「えっ……!」


 ぎろりと鋭い目、しかし声音に宿った甘さと言葉の意味に、どきりとする。じわりと頬に熱が広がって。


「ぎゃあぎゃあ騒いだら男がかわいそうだろ」


 ……こいつやっぱりわたしのこと嫌いだろう!







 昼食のため空き教室への道すがら、昨日の夜に調べたピアスについて思い出す。


 痛みは少なく冷やし痛覚を鈍らせ行うなど、様々な情報が記されており、意見は分かれていた。


 痛みはない、あった。異なる記事に白雪はどちらを信じるべきかと頭を悩ませる。


 今まで興味がなかったのだが、蒼汰の小馬鹿にしたような顔に火が付いた。


 ここで引くのは癪に障る。どうせ出来ないだろう、と言われるとやりたくなるのが天邪鬼というべきか。


「ねぇ、白雪ちゃん!」


 つらつらと考えて、後ろから声をかけられる。


 聞き覚えがありすぎる忌まわしさに、ぎくりと身をこわばらせた。


 白雪の様子など気にも留めずに声の主は、軽快な足取りで回り込む。


 正面に対峙したのは、かの主犯である百都子である。ウェーブした黒髪を揺らして、くりくりとした可愛らしい黒目が細める。


 にこりと笑う姿は拒絶されるなど欠片も思っていない。美しい目は怯える白雪を、己より格下だと見なしているのを物語っていた。


「それ、可愛いね!」


 白い指が白雪が両腕で抱える荷物を示す。食後、復習に使う教科書と最低限の筆記用具。


 筆箱ではなく、シャーペンと消しゴムのみにしたのが仇となったらしい。


 百都子は目敏い。誰かが新しいのを持っていれば必ず気が付き、そして。


「いいなー、ほしい!」


 ねだる。


 断られるなど夢にも思わない無邪気な笑顔と明るい声で、幸せそうに相手の心を踏みにじる。


 冷え切った指先に力を込めて逡巡した。天秤がぐらぐらと揺れて、すぐさま傾く。面倒事も彼女と話すのも、シャーペン一つでやり過ごせるならば安い。


 それに。


 ――今までもそうしてきたではないか。全部あげてきた。


 自嘲の笑みがこぼれ、白雪は昨日買った猫の模様が描かれたシャーペンをつまむ。


 どうせ、変わらず彼女はすぐに飽きて捨てられるのだろう。


「……あげ」


「んじゃねぇよ」


 差しだそうとすれば横から伸びた手に掴まれた。


 ぐっと引き寄せられ、たたらを踏む。ぎょっと見上げれば、いつもの無表情の奥から苛立ちの覗かせた蒼汰がいた。


 おそらく蒼汰も空き教室に向かう途中だったのだろう。空いた手には、炊き込みご飯とラベルの貼られたパックが握られている。


 刺すような怒りを浴びて白雪は、いたたまれない気持ちで俯く。自分の上履きが逃げたそうに揃って後退った。


「あっ蒼汰。あのね、今」


「俺はこいつに用があんだよ、どっか消えてくれね?」


 氷のように冷たい声音が降らせ、牽制するかのように遮り圧をかける。


 歯に衣着せない物言いと隠す気など毛頭無い嫌悪感に、流石の百都子もたじろぐ。両手を合わせて、でもと言い募る声は微かに震えていた。


「……っ私も一緒にいく!」


「あのさ、噂は知ってんだろ?」


 至極面倒そうな思い溜息と共に吐き出された言葉に、白雪は思わず顔を上げた。


 ほんの一瞬、彼も白雪に意識を向けていたが不自然に百都子へと戻した。真っ直ぐ見つめる目は射貫くように鋭い。


 百都子はびくりと大袈裟なほどに肩を揺らして、狼狽える。せわしなくキョロキョロと目線を彷徨わせて、嘘だと呟く。


「うそ。それって。あの、この子が――」


「そうそれ。だから気ィ遣って離れてくれ。悪いけど邪魔だから」


「――っ!」


 野暮なことを言うな、と睨まれれば百都子は言葉に詰まった。憎々しげに歯噛みして今にもヒステリックに叫びそうだ。


 白雪は嫌な予感に、口を挟もうとしたが、蒼汰に掴まれた手を軽く引かれて阻止される。黙れということか。


「じゃあな」


 未練などなく、呆気ないほど興味を失った蒼汰は白雪を引き連れて歩き出す。


 痛いほどの敵意が背後から刺してくるが、今更どうしようもない。白雪は静かに付いていった。


 しばらくして。百都子の姿が消えた頃、蒼汰が呆れたように口を開いた。


「簡単に渡そうとすんな。それ、新しいシャーペンだろ」


 当然の指摘。頷きつつも、ぽそりと言い訳をこぼす。


「……面倒だから」


「言いなりになんな。ナメられんぞ。どうしても無理なら俺を呼べ」


 既に百都子は白雪を下に見ているので手遅れなのだが。彼の申し出は有り難かった。優しさを噛み締めて、もう一度神妙に頷く。


 本当に分かっているのかと怪しむのを受け流しつつ、未だ握られた手を盗み見た。じわりと彼の体温を分けられ、熱が広がる。


 思い出すは先ほどの会話。百都子のインパクトが強烈すぎてスルーしそうになる。しかし聞き間違いではない。


 噂。二人の様子が、リフレインする。何度も。今まで虚言であると一蹴していたが。


 先ほどの噂って。まさか。


 どくどく忙しない心臓に、息が苦しい。どうにか逃げようとする心を叱咤して、思い切って。


「あの、蒼汰くんはさ、さっきの噂さ」


「あっやべ、飲み物忘れた」


「まじで人の話聞かないよねほんとにどうかとおもう」


 一気に削られた緊張感に、すんと真顔になる。


 買いに行くのが怠いなと舌打ちをうつ不良を睨む勇気などない。


 絶対、この人、私のこと、好きじゃない。


 何回目かの結論に、白雪はふっと笑みをこぼし、遠い目をした。窓から見える外。今日も空は青い。


 

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