不良くんは約束するけど、絶対好きじゃない

 学校に来て、授業を受けないのは初めてだった。あっても体調不良で保健室で休んだときぐらいだ。


 朝の冷えた空気、カーテンが閉め切られた空き教室は肌を刺すように寒い。


 開けた後、ぶるりと身を震わせつつ中へと滑り込む。かじかむ手は片方だけ。繋いだ指先は熱が灯る。


「さっむ、暖房つけようぜ」


「駄目だよ、電気代がもったいない」


「風邪ひくぞ」


「慣れてるから、あと」


 彼から離れて定位置の机に近づき、椅子二つ並べてから一緒に座った。


 冷え切った座面がむき出しの太股を殺しにかかる。タイツを履いてくれば良かった。


 引き出しから忍ばせていた膝掛けを取り出した。桃色をした安物の生地、ないよりマシである。


 大きめなので身を寄せ合えば、ぎりぎり二人で使える。肩にかけて。


「せまいね」


「……」


「まぁ凍えたくないし、我慢してね」


「……」


 細身とはいえ、身長百八十センチ越えの男と分け合うのは、厳しかった。


 誰かと時間を共にする予定がなかったので、予備など用意しているはずもなく。妥協すべきだろう。


 それに蒼汰は白雪より基礎体温が高いのか、湯たんぽの役割を担っている。


 が、蒼汰は冷たい身体を押しつけられて寒い可能性があった。


 黙り込む彼は、何故か俯いたまま身動き一つしない。


 ……机に両肘をついて手を組み、項垂れていた。


 表情が見えないので不安になる、まさか寒さで動けなくなっているのか。


「ごめん。膝掛け一つしかなくて」


「……」


 無視である。


 心配から顔を覗き込もうと。


「ぎゃん!」


 ぱしんと大きな手のひらが、顔面を鷲掴みにした。


 反射的に目を瞑り暗くなった視界で、可愛げの欠片もない悲鳴を上げた。


 痛みはなくとも驚くのでやめていただきたい。


 わたわたと腕をばたつかせる。滑稽な姿なのだろうが、蒼汰は無言を貫き通す。


 沈黙数秒。やがて、わざとらしく溜息をついて、呆れたように呟く。


「他の男にすんなよ、こんなの」


 苦さと苛立ちを含んだ声を復唱したが、理解出来ずに黙る。


 返事がなかったのが不満だったらしく、ぎりりと締め付ける力が強まった。理不尽にもほどがある。


「いたたたた」


「お前って馬鹿だよな。よく今まで生きてこれたな」


 鼻で笑い飛ばす男の嫌みったらしさ。何故こんなやつを。


「ここに呼んじゃったのかな……」


「それが答えなんじゃねぇの」


 どういう意味だ。


 手が離れ、視界が開ける。無表情の蒼汰を訝しく観察したが、真意は読み取れない。黙考したが、どうにも答えにはたどり着けなかった。むむむ、と唸る。


「いつか分かるといいな」


 苦笑を浮かべて蒼汰は他人事のような口ぶりのくせに、寄り添うような態度と声音。こてん、とあざとく白雪の肩に頭を預ける。


 ふわりと香水の匂いがした。


 彼の示唆した内容を横に置くのは気持ちが悪く、突き止めようと必死になる。


 ぎゅうと眉根を寄せていれば、蒼汰が欠伸をひとつこぼした。


「そういや。あの山本百都子っていう女と、嫌みな教師嫌いなのか?」


 直球がすぎる。


 世間話にしては鋭利で、油断した白雪にクリーンヒットした。


 げほりと咳き込んでから、落ち着けと深呼吸。さらりと流せるように、上手く誘導して別の話題を。


「シメる?」


「やめて」


 物騒。スルー出来ない発言は控えていただきたい。


「嘘だよ」


「嘘に聞こえない」


「俺は暴力振るわない男」


「喧嘩してませんでしたか?」


「売られたら買わなきゃ損だろ」


「こわいこわいこわい」


 ひょいと片眉をあげる蒼汰にイラッとする。

 

 価値観の違いは多少あるのは当然だが、ここまで違うといっそ笑えてくる。不良って怖いな。喧嘩の何が楽しいか、白雪には一生謎のままだろう。危険な道を歩みたくない。


 ふうと白い息を吐く。ふわふわと空中に漂って霧散するのを眺めてから、蒼汰は言葉を探すように目線を彷徨わせて。やがて。


「なんであいつが怖いの?」


 あいつ。


 おそらく山本百都子の方だろうか。


 その理由を言いたくない、というより声に出せないのだ。身体は凍り付き、喉の奥が詰まる感覚。フラッシュバックする過去が白雪を支配して、行動不能にする。


 こわいのは。

 探るような目に、突き動かされて。ようやく出てきたのは。核心から一番遠い、答えにもならない意味のない返事だった。


「そ、んなの。あの人だけじゃ」


 なんで怖いか。


 また強要されるから? いじめられるから? それから――裏切られる、から。


「言うすら怖ぇの」


「……っ」


 見抜かれて息を呑む。ぎしりと固まって。


「……そうだなぁお前、全員嫌いだもんな。生徒も教師も」


 宥めるように、するりと頭を撫でる手を振り払えず、ぐっと唇を噛み締めた。情けない顔を見られたくない一心で俯いて。


「……何を知ってるの」


 最近知り合ったばかりだ。白雪の過去など関知していないはず。なのに口ぶりが、真相を把握しているかのようで。酷く、居心地が悪い。


「こわい理由は、言いたくない」


 踏み込まれぬように、きっぱりと線を引く。


 彼は気にした風もなく、ぐしゃぐしゃと頭を撫で回した。おどけた仕草で、重苦しい空気が一瞬で消失する。


「しゃーねぇな。話したくなったら聞いてやるよ」


 上から目線だというのに、不思議と嫌ではなく。顔を上げて蒼汰の顔色をうかがう。 


 蒼汰は目を細めて、穏やかに微笑んで、言い聞かせるように。


「俺はお前の話を否定しねぇ。嘘もつかねぇ。これだけは覚えとけ」


 痛いほどの、優しさが伝わる。白雪は、文句も出てこなかった。


「……うん」


 たった一言。それだけなのに、彼は嬉しそうに「約束な」と今度は髪を梳かすように撫でた。





 卯之木蒼汰に絆されている。


 酔っ払いから救われたことぐらいしか接点がないヤンキーに、何故構われるのか。


 理由が見えてこず、いつか救助代とかで金銭を強請られるのではないかと不安になっていたが、その気配はない。


 むしろ白雪の思いを尊重する態度だ。


 避けている事柄や嫌悪感を抱くものから、さりげなく庇う。事情も話さない白雪の無愛想さにも許容する。


 間違いなく白雪の周りで一番優しく対応した。


 言葉通り白雪を否定せず、嘘もつかず、待ってくれている。


 そんな相手を拒絶するほど白雪は恩知らずではない。

 

 好感を持たないほど鋼の心ではない。すっかりと懐に入り込む猫のような扱いで傍にいるのを受け入れていた。


 ただ。


「どうかしたの?」


 いつも通り。


 香奈恵ではない女の子が、空き教室で本を読んでいた。


 愁いを帯びた溜息をついた白雪に気が付いたようで、目線をあげて不思議そうに問いかける。


 お互い机を挟んで向かい合わせに座るが、話題もなく黙っていた。


 気まずかったらしい女の子は白雪の隙を、すかさず突いた。


 昼食を終えて休憩時間。


 先ほどまで同じく囲っていた蒼汰と彩音は、何やら不穏な輩に呼び出されて凶悪な微笑みと共に出て行った。


 考えたくもない、平和的内容ではないだろう。 


 彩音は変わらずのほほんと笑ったが、最後の横顔はヤンキーに相応しい、あくどい光が宿っていた。


「何か悩んでいるの?」


 今はいない彼ら。香奈恵とは違う女の子を、視界に入れた瞬間。蒼汰は顔を顰めて、彩音は複雑そうに苦笑していた。


 校内でも有名な不良に良い感情を抱かれていないのは明白。


 蛇に睨まれた蛙の少女は、は随分と居心地が悪そうにしていた。いなくなった今は、楽そうだ。


「……ちょっと噂がね」


 懸念。蒼汰と白雪の噂。


 ――蒼汰が白雪に恋心を向けている。


 お互いに困る、根も葉もない噂。これが蒼汰との関係にも影響している、特に白雪の方に。


 蒼汰からすれば友達として接している相手に疑われて不愉快であろう。バレていないのを願うばかりだ。


「それって――」


「蒼汰がシロちゃんがすきってやつ?」

 突如割り込んだ声に、びくりと身体が揺れて勢いよく立ち上がった。


 がたんと音をたてて椅子が倒れて、白雪は目を白黒させて硬直する。


 いつの間にか現れた彩音が、悪戯が成功したと嬉しそうに笑って白雪に近づいた。


「で? シロちゃんは噂知ってたんだ?」


「い、や、特には」


 こてんと首を傾げる彩音の姿は、先刻とは変わって少々汚れていた。


 砂埃と、赤い染みが付着した制服。触れれば、底なし沼に足を突っ込んでしまうかのような不安感から、見て見ぬふりをした。


 そっと目を逸らしてから、頷く。そもそも


「嘘の噂だから知ったところで……」


「えっ」


「え?」


 彩音が目を見開いて、間抜けな声を出す。


 思わず見返せば、にっこりと誤魔化していた。嫌な沈黙が流れる。あからさまな態度に顔が引き攣った。


「嘘ですよね? そうですよね?」


「えっウン」


「目を逸らして片言になるの止めて」


「ウン」


「だってあんな、泣かすとか。好きな人には言わないでしょう! 絶対嫌われてる、そうだよね!」


「ウン」


「そんな風に思われること何もしてない」


「ウン」


「機械にならないで」

 遠い目をする彩音の肩を掴み揺さぶるが、一向に白雪を視界に入れない。


 それだけで事実を語っているのだが、到底信じられない。否定する権利はないが、どうにもきっかけが見当たらない。


 優しくはあるが――そういうのとは無関係のはず。

 

 経験のない白雪だが、蒼汰に限っては、あり得ないと断言できる。


 黙って立っているだけで女子が寄ってくるのだ。わざわざ面倒な白雪を選ぶ意味が分からない。


 ぎっと睨み付けたが、彩音は外を眺めて無反応である。いい加減、諦めるべきか。いやまだだ、とりあえず。


「とりあえず! 外じゃなくて私を見て!」


「――は? なに、お前、こいつ好きなの?」


「……突然現れて背後から圧かけるのやめてもらっても?」


 ぬるりと忍び寄った蒼汰の声と共に、肩にぽんと手が置かれる。


 背後の男に、白雪は真顔になる。


 気配を消すのはヤンキーになる必須条件なのだろうか。


 とんでもない威圧感が身体にのし掛かり、情けなく涙がにじむ。


 勝手に口角が上がると、蒼汰が舌打ちをした。白雪は、そっと斜め後ろに目を向ける。が、すぐに前へ戻した。


 人を殺せる顔だ。


 眉根を寄せて責める目で白雪を射貫いた。綺麗な顔立ちをした人間の怒りほど恐ろしいものはない。


 彩音とは違い服が一切汚れていないのも恐怖を煽る。


 一気に部屋の温度が下がった。


 視界の端に女の子がカタカタと震えて怯える様がうつった。


 彩音が慰めるように笑いかけていたが逆効果らしい。彩音も見た目はおっとりと穏やかだが、何分制服に血がこびりついている。


「よそ見すんな」


「ひぃ」


「はは、情けねー声」


 むっとした顔だったが、白雪の怯えると目を三日月にして愉しげに喉を鳴らした。


 機嫌の上がり下がりがジェットコースターのような男である。


 猫がネズミと遊んでいるつもりで嬲るのと、今の蒼汰が重なる。当然、白雪がネズミだ。


 やはり。絶対、こいつは私のこと好きじゃない!


 獲物に爪を立てて弄ぶ蒼汰に、白雪は確信する。再度大きな溜息をついた。




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