不良くんの問いかけ

 別室での登校。


 白雪にとっては有り難い話で、実際登校する率は上がっていた。


 それでも朝は憂鬱で身体が重くて仕方ない。


 もしイジメの主犯格とすれ違ったら、もしあの教師に鉢合わせしたら。


 もしも話が脳内で繰り広げられ逃げたくなるのだ。


 毎日襲いかかる不安と戦って、勝利してようやく起き上がって準備する。今日は特に、嫌な予感がして負けそうになる。


 いつだって寸前のところで踏みとどまるだけ。この寝る場所に至って変わらないのだから。


 最近、唯一自分が自分でいられる居場所である空き教室も変化している。それも白雪にとっては負担であった。


 行きたくない。


 制服を着ると姿見で己を確認して息を吐く。皮肉につり上がった口の端、規則正しい檻に入れられた証の服。


 何も似合っていない、うまく生きられない人間の成れの果てに白雪は目を逸らした。


 もう、顔はいつもの『愛想の良い笑顔』の仮面をつけているだろう。


 全部、醜い。


 自室から出ると慌ただしく動く母親が眉を吊り上げて。


「何してるの! 早く行きなさい」


 かん高い、耳障りな叫び。


 白雪は頷いて「行ってきます」と伝えた。呆れた様子の母も見なかったことにして。


 家から追い出されて、一度振り返る。閉じられた玄関の向こうに戻りたいか、と考えてから頭を振る。


 家も外も学校も。白雪にとっては全部同じだ。居場所ではなく、敵に囲まれた地獄でしかない。

 教科書を詰め込んだ鞄を抱え直して歩き始めた。


 進むと近付く忌々しい場所に、このまま逃げ出してやろうかと考える。


 そんな度胸もなく結局、駅に辿り着いた。


 同じ制服を着る人間を眺めてから、適当なコンビニに逃げ込もうとしたとき。


「辛気臭えな」


「朝から随分な挨拶だね、蒼汰くん」


 監視カメラでもつけているのか、心が読めるのか。


 蒼汰が昨日と同じように駅内のコンビニで待ち構えていた。立ち読みをせず、隅により携帯電話を弄る姿は、変わらない。


「いつも以上にしんどそうだな」


「……そうかな」


 今日は恐怖や不安、負の感情に勝つまで時間がかかったせいだろう。


 見抜かれたのには驚くが。


 存外分かりやすい――いやそんなわけ。今まで誰一人指摘されたことはない。「今日も元気だな、白雪は」「ずる休みは駄目だよ」なんて言われるほど、辛くても平気そうに見えるのが特技だというのに。


「で? 今日も一本遅らすのか?」


「うん、蒼汰くんは先に行って良いよ」


「お前がいなきゃ意味ねぇ。何のために朝っぱらから駅に来てると思ってんだ」


「嘘でも学校に通うためってことにしなよ」


 同級生たちと同じ電車に乗るリスクを減らす目的で時間を潰す。


 店の迷惑にならないよう買い物を済ませたら、別の場所に移動しなければ。



「いっそサボっちまうか?」

 ふと、いつもの気怠げな様子ではなく、真剣味を帯びた声音で甘い誘惑を囁いた。


 無意識に俯いていた顔を上げれば、じっと瞬きもせず返事を待つ目と合う。


「別に一日くらい、遊んだって問題ねぇよ」


「……サボって何したらいいか分からない」


「どっか適当に連れて行ってやるよ」


 言葉通り、縋り付けば、すぐさま頷いて連れ去ってくれるだろう。


 冗談ではないと伝わってしまうからこそ、白雪は堪えるように唇を噛み締めた。


 やはり気が合わない、彼は度胸と自由に生きられる強さがある。


「……行く、学校に。サボリはよくない、から。それに数学プリントを渡さないと」


 吐き出した答えは自然だった。


 嘘にまみれた、明るい声で正論を言い聞かせる。蒼汰にではなく、自分に。


 たった一枚。風に吹かれれば容易く飛んでいくプリントが入った鞄が、やけに重く感じられ、ずしりと肩に食い込んだ気がした。


「お前は強いよな」


「――は、」


 ぞっするほど心の底から冷え切る声音は、白雪の思考を凍らせた。


 無表情に微かな色が乗る、暗く底の見えない黒は写ったものを捕らえて放さない。閉じ込められた白雪は全てを見透かされる恐怖に戦き、無意識に半歩後ろに。


 強い、という言葉が褒める意味で使われたのではないことぐらい、察知できた。だがしかし、彼の感情が急降下した理由は見当がつかない。


「お前さ」


 疲れねぇの?


 ――聞くな。


 防衛本能が警鐘を鳴らす。


 言い当てられたら最後、ずっと頭の隅に追いやって逃げてきたものが鮮明になる。もう見過ごせなくなる、だから。


「疲れない」


 心を軋ませて、またひとつ黒いシミを落として嘘を吐いた。


 しばらくの沈黙。先に折れたのは蒼汰だった。そうかよ、と肩を竦めて歩き始めた。


「行くぞ」


「うん」


 拒絶できたらいいのに。


 他人の目など気にも止めない進んでいく蒼汰が眩しく、そっとまた、現実から逃避した。

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