不良くんの触れない優しさ

 騒がしい昼から時間は過ぎて。


 空き教室の刺すような冷たい空気に堪えつつ、凍える手に息を吹きかけた。かじかむがペンを止める気にはならない。


 明日提出の数学のプリントだ。あまり好きではない授業だからこそ完璧に仕上げねばなるまい。


 左側から差し込むオレンジの光。夕暮れに照らされた中で外から部活動のかけ声が聞こえてくる。運動が苦手な白雪には一生無縁の陸上部か何かだろう。


「あ? まだ帰らねぇの?」


 がらり。

 

 無遠慮に踏み込む侵入者が怪訝そうな顔をする。


 白雪の傍に寄ると、当然のよう空いた椅子を引っ張り、向かいあわせに座った。忌々しいプリントを見下ろしつつ、机に頬杖をつく。


 気怠そうな態度だが、居座るつもりらしい。


「ちょっと、邪魔するなら」


「ここ間違えてんぞ」


「嘘でしょ、どこ」


 むっと追い払おうとすれば、遮って間違いを指摘する。


 ぴっと細い指が示した問題を、消しゴム片手に挑む。残念ながら、お世辞にも良いとは言えない自分の頭では分からない。先ほど苦しみながら出した答え以外、見当も付かない。


 うう、と唸りつつ教科書をめくれば、侵入者である蒼汰がシャーペンを奪った。さらさらと迷いなく記されたのは式。


「これ、当てはめて」


「……分かるの?」


「一応な。そんなに得意じゃねーけど」

 教科書片手に言われるがまま解いた。出てきた答えは、先ほどとは異なる。


 賢くて顔も良くて強い。天は二物を与えず、など大嘘であるらしい。彼に二物どころではなく与えすぎている。


「他にも分かんねぇとこある? 教えようか」


「ええっと」


 教えてと頼める関係ではない、何よりそんなことも分からないのかと言われるのが怖い。


 目を逸らせば、白雪の考えを読めたのか、すぐさまに別の案を出す。しかし。


「あとセンコーに聞いてみれば?」


「……」


 それは、とてもではないが受け入れがたい提案だった。


 ぎゅうと心臓が握りつぶされるような恐怖。身体が浮くような、足が地に着いていない感覚が襲う。ぐるりと目眩がして、咄嗟に誤魔化しの言葉が出てこない。


 不自然に黙る白雪に、不良は表情を崩さない。じっと感情の読めない瞳で見つめる。


 逃げたくなる気持ちが膨れ上がり、無意識に身を引こうと。


「ま、俺が教えればいいけどな。わざわざセンコーとかに聞くのダリィよな、ベラベラ長ったらしく喋る」


「、うん」


「それ、明日提出か? 別に出さなくて良いんじゃネェの?」


「駄目、これぐらいはしないと。まぁいつも間違いばかりで怒られるけど」


 明らかさまに話を逸らしてくれた蒼汰に、ほっと安堵の息をつく。白雪も何でもない風を装った。首を横に振って、プリントに目を落とす。


 ただでさえ授業に参加しないせいで遅れている。置いて行かれないためにも頑張らなければいけない。


 それに請け負っている生徒がテストの出来や提出率が悪いのは、きっと問題があるだろう。


 以前問題を間違えたのを見て教師が「お前のせいで、他の生徒や先生からの信用が落ちる」と愚痴を呟いていた。


 授業に出ない上に成績も悪い白雪に怒っているのだろう。ならば、せめても。


 苦い過去を口に出さず呑み込んだ。ぱっと明るい仮面をかぶって、声のトーンをあげる。


「いや、本当は教室に出なきゃいけないんだけどさ。ほら私って」


「気にすんなよ。理由があんだろ」


「そんな大層な話じゃ」


「やめろ、むやみやたら自分を卑下すんな」


 怠け者だからさ。と続けようとした白雪に蒼汰は不機嫌そうに咎めた。

 ぱちりと瞬きをして、ぽかんとすれば気恥ずかしそうに顔を逸らされる。


 微かに朱色に染まっているように見えた耳に、白雪はどうしようもなく、むず痒い気持ちがむくむくと起きあがった。


 事情など話していない相手だ。それでも白雪を思って言っているのだろう。白雪が、自身の言葉の刃で傷付かないように止めてくれたのは明白だ。

 

 なにより否定ではなく、理由があると言ってくれた。


 恐ろしくてたまらない、泣かせると宣言する不良だが。今回ばかりは優しさに顔が緩む。


 どうしてここまで気を遣ってまで近づくのか、原因が不明だとしても、有り難かった。


 随分と、不良の意味不明な行動にも慣れてしまったようだ。


「完璧に仕上げて、驚かせてやろうぜ」


「うん。……頑張るね」


 蒼汰は聞かない。


 何故教室に行かないのか。何故学校が終わった後も下校せずに空き教室で時間を潰しているのか。


 それが白雪にとって、何よりも心地が良かった。

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