第9話 視点

 翌朝。宗介の知らぬ間に陽世は早起きし、朝食の用意をしっかりと整えていた。いつも固形の栄養食で済ます宗介にとって、色合いの楽しい和食は有り難いものだっただろう。洗い物を終えた二人は、リビングのソファに並んで座った。


「それで、宗介さん? 話って、何ですか?」

「うん、これなんだけど」


 宗介はスマートフォンの画面を見せた。ニュース記事のようだ。英語で書かれていて、すぐには内容が分からない。一番上には、大きめのフォントでタイトルが書かれている。その中の見慣れない単語を、陽世はなんとか読み上げた。


BELベルROUSEラウズ……?」


 人の名前だろうか? 陽世は首をかしげた。


「これはね、海外のニュースサイトなんだけど……この記事は、半年ぐらい前にアップされたものだね」

「えっと、この記事には、どんなコトが書かれているんですか?」


 学校の成績から見て、英語の得意な陽世ではあったが、知らない単語が多く、慣れない文法のため、上手く内容を把握できない。えてして学校の授業とはそういうものだが、それを知らない陽世は悔しく思った。


「イギリスの方でね、連続殺人事件があったんだ」

「え、そうなんですか?」


 思わぬ内容に、陽世は宗介の顔を見た。


「場所はロンドン。ジャック・ザ・リッパーの再来とも呼ばれてね。だけど、被害者の数は五人なんかじゃ済まされない。このときには、既に十九人の犠牲者が出ていたんだ。そして、遺体のそばには、いつも謎のメッセージが残されていた」

「もしかして……それが、ベル=ラウズ?」

「そう。まるで、これは自分がやったんだぞっていう風にね。犯人は自分の名前……ペンネームみたいなものかな。それをいつも書き残して、やがてベルという名の怪物は、ロンドンの街をまたたく間に恐怖に陥れた」


 そんな事件があったとは……。陽世にとっては、まさに寝耳に水であった。宗介は、海外では割と有名な事件であるという。そんな事件を、なぜこの国のメディアは取り上げなかったのだろうか?


「そのあとは? そのあとは、どうなったんですか? 犯人は捕まったんでしょうか?」

「いいや。残念ながら。今も、ロンドンの街に潜伏しているとされているよ」

「そう、なんですね」

「ジャック・ザ・リッパーの事件が起こったのは、十九世紀の終わり頃。その時代には、当然監視カメラもGPSもなかった。けれど、現代は違う。街中には、たくさんの街灯だってある。だっていうのに、犯人は何十件もの犯行を成功させている。彼――あるいは彼女は、相当な手練れということだね。当然、グループによる犯行の可能性もある訳だけど」

「そんなことがあったんですね」


 しかし、奇妙なこともあるものだ。


「その、聞いていて思ったんですが……今の話、この東京で起きている事件に、よく似てますね。こんな、あるものなんですね」


 陽世は苦笑した。

 一瞬、部屋が静かになる。


「ねぇ、陽世ちゃん」

「はい?」


「どうして――偶然だと思ったの?」


「え……?」


 どうして? 日本とイギリスでは、あまりに距離が離れすぎている。遠い国の、別の話ではないのか? 勝手にそう思っていた。


「陽世ちゃん」

「は、はい」


 真面目な声色に、陽世は姿勢を正した。


「陽世ちゃんの学校のクラスには、きっと、いくつかのグループがあるんじゃないかな。そのグループは、他のクラスの子ともつながっている。同じクラスの中でも、考えが違う集まりがあって、他のクラスのグループとも仲良くしているんじゃないかな」


 それは、そうだ。類は友を呼ぶという。


「ねえ。だったら――この世界も、だと思わない? 『国』なんていう、国境に縛られた概念じゃあ、世界の大きな流れは見えてこない。。たとえ、海を隔てた島国同士であっても、ね。一枚岩の国なんて、幻想の話なんだよ」

「すべての国は、つながっている……」

「そう」


 宗介は深くうなずいた。


「イギリスの事件と日本の事件は、関係がある……ということですか?」


 その質問には答えず、宗介は言った。


「今、ロンドンの街は、相当住みにくいそうだよ。SNSを見ていると、よく分かる」

「えっと……それは、犯人が潜んでいるからですか?」

「違うよ」

「え? じゃ、じゃあ?」

が必要なんだ。街を歩くためには。自分が犯人じゃないっていう証明がね。それがないと、周りから白い目で見られたり、最悪、警察に連れていかれるそうだよ。強制的に、ね」

「そんな……」

「それに、自分たちの会話や、どの時間に何をしているかといったことは、全部警察や政府の人間に筒抜けになっている。下手なことは何も言えないよ。こんな息苦しいことって、そうなくない?」


 陽世は、一瞬、その生活を想像した。


「でも、彼らは選んだ。その道を。自分たちの首を絞める道を。こういうことはね、ベル=ラウズの件に限ったことじゃない。彼らは、いつだって選んでいる。その理由はね、こんなものだよ。他の人もその道を選んでいたから。メディアがそう言っているから。研究者がそう言っているから。大抵、こんな感じで世の中は回っている。薄っぺらいところでしか、人の思考は回っていない」


 陽世は、どきりとした。それは、自分のことを指しているかも知れないからだ。昨夜の浅薄な発言を、陽世は悔いた。


「そして、今このとき、この国もまた――」

「同じ道を、たどりつつある……?」

「そういうこと」

「……」


 世界をまたぐ、あまりにスケールの大きい話になっている。陽世は呆然とした。


「――なんて、そういう仮説だよ。あんまり深刻に捉えなくていい。今はただ、そういう可能性があるということを知っていたら、それで」

「は、はい……」

「さて、と。行こうか、陽世ちゃん」


 話は終わりとばかりに、宗介はソファから立ち上がった。今日も二人で出掛けなければならない。それは、桐子を探すために。それと――


「は、はい。でも、どこにですか?」

「決まってるよ」


 おどけたように、宗介は言った。


「吸血鬼を探しに、ね」

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