第21話 戦 闘

「ええ!? あの人落ちてったんすけど大丈夫っすか!?」


「気にしないでくれ。毎回移動する時はああやって飛び降りてるから」


 呆れた顔を見せながらグエンは席を立つ。そしてジャンバーのチャックを閉めて、その顔も引き締める。


「行くぞ。敵襲だ。本拠地に乗り込まれた以上、迎撃するほかはない」


 普段の能天気な顔つきは鳴りを潜め、大組織を取り仕切る頭としての堅い顔つきをグエンは見せる。


「ヤマゾエ君。君は中央監視室に敵の侵入を連絡し、赤楽の支部へ向かってくれ。向こうの監視システムと連携を取ってKUの動きを牽制する。恐らくイナンナの単騎突入は揺動だ。あちらのリーダーも僕みたいに用意周到だからね」


「は、はい!」


 ヤマゾエと呼ばれた職員は慌ただしく部屋を駆け出ていった。そしてフーッと、深い息を吐いてからグエンは歩を進め始める。


「行こう、マキタちゃん。一度巣に入った獲物はタダでは返さない」


「り、了解っす……ッ!!」


 マキタはその代わり様に驚くと共に、これから立ち向かう相手への怒りを沸かせた。踏み出す足は強く、振り切る腕は荒波の如く揺れる。


 ──相手はイナンナ。自身を殺し、暴走させ、数え切れない命を奪わせた張本人。



◆◆◆



 アルベルトは那古中央運輸本社ビル一階がまるで台風が通り過ぎたかの様な有様になっているのを見た。


 机、椅子は薙ぎ倒され、破壊され、立派なフロントに飾られていた「NAGO」のロゴは粉々に砕け落ちていた。ついでのように、フロントにて客人を案内する受付嬢はミキサーにかけられたミンチ肉のようにぐちゃぐちゃな肉塊へと変わり果て、死に絶えていた。


「……趣味が悪い」


  アルベルトは崩れたロゴを十字の形に組み立て、肉塊の上にそっと置き、目の前の階段を登って行った。



────



 二階。そこで戦闘は行われていた。それは正しく「戦い」と「闘い」であった。


「アッハハ!! 君ってすっごい固いんだね!! 打ち込み甲斐が、あるっ──よ!!」


「テメェが──イナンナ、かッ!」


  互いの武装がぶつかり合い、激しい火花が飛び散る。片方は楽しげに闘い、もう片方は必死に勝利を目指し、戦う。


「単独で突っ込んでくるのは嫌いじゃねえが、マキタを無理矢理暴れさせたのは気に食わねえなあ!! その身でしっかり、その罪を償ってもらうぜッ!」


「アッハハハ!! ごめん、ごめん! 楽しそうに殺し回るマッキーを見るのが、楽しみだったから──さぁ!!」


 煌びやかな金装飾を揺らす、ダンサーのような軽装の女。それに違わぬ軽やかさで地を飛び跳ね、まるで双剣のように戦棍を振り回す様はさながら荒れ狂う竜巻のようだった。


「君、ジン君だよね!? それにそっちの小っちゃい子はエルゼちゃん!! 先日はウチのウトゥ兄貴がお世話になりました!!」


「私たちの価値観じゃ先日かもしれないけど、人間こいつらにとっては100年も前のことよ。人の世界に降り立ったなら、人の価値観でモノを見なさい」


 軽快な笑い声と共に反撃を許さない乱撃を繰り出すイナンナ。そんな彼女を不満げな顔で睨みながら、階段の手すりに腰掛け、傍観するエルゼ。そして戦棍による乱撃を、左腕の大盾のみで防ぐのジン。


 エルゼの狂信者たるアルベルトでさえも、この場において真っ先に目を引かれたのは、元ある人の姿で戦うジンであった。報告にあった巨体の異形姿ではない。生きた頃の姿のままで彼は戦っている。


 ──あの童、大盾に実像を凝縮させ、強度を高めているのか。巨体による機動力の低さではイナンナに勝てんと踏んだな。だが……あの技法は中々に扱いが難しいもののはず。童よ……如何な才能をその身に宿している?


 先の戦いでは見せなかった技法。いや、のだ。アルベルトはその特殊な眼でジンの魂を見透かす。


 透き通るような青の眼が見たものは、何も色のないジンの魂から、湧き水のように絶え間なく溢れてくる黒色の粒子。これこそが実像骨を形成する


 ──その名を矛盾子むじゅんし。エンプティやそれに準ずる神にのみ見ることを許された素粒子である。人にも理解できる名を告げるならば、暗黒物質ダークマター。宇宙全体の4割を占めるとされる見えない物質である。


“質量を持つ”

“物質とはほとんど相互作用せず、光学的に直接観測できない”

“銀河系内に遍く存在する”


 暗黒物質はこのような性質を持つと仮定されている。その仮定は正しいものだ。質量はあるし、光学的には見えないし、銀河系には遍く存在する。


 だがその本質は人間に理解できるものではない。今でさえ「あるだろう」という仮定で行き止まっている人間になぞ、これを語る資格はない。


 人よ、この性質を付け加えよ。


“人は自らの魂を糧に暗黒物質を生み出せる”


 宇宙とは無限の可能性そのもの。人は誰しもがその可能性を内包する。


「心ここに在らず」とは心──つまり魂の原点はここにはなく、宇宙という広大な可能性の海を元にするという意味である。


 ジンは大盾でイナンナの戦棍を弾き返し、何も持たない右拳に力を込める。そしてその貧弱な拳を強大な敵に向かって無謀にも振りかざした。


 虚像膜で殴るなど、アヌンナキにとっては蟻が象に立ち向かうようなものだ。しかしイナンナは避ける。赤子の拳を情けなく避ける。目眩しとして大理石の床を粉砕し、破片を撒き散らしながら。


 何故か? 決まっている。それは彼女がエンプティの創造主たるアヌンナキの1人であり、最強の神格であるエルゼにさえも、致命的な傷をつけることのできる力をエンプティが内蔵していると知っているからである。


 ──拳の軌道に合わせて空間が歪む。黒い渦が拳を中心に発生し、襲いかかる破片を飲み込み、進むべき道を生み出していく。破片は全て渦の中に吸い込まれ、丸見えとなった敵を目掛けて拳は真っ直ぐに突き進んだ。


「ハアッ!」


  ジンの短く力強い声と共に渦巻く拳は姿を変える。拳から右腕全体にかけて渦が纏わりつき、渦は徐々にその流体状の形をより明確な固体へと変貌させる。そしてその渦だったものは、ジンの身長ほどの巨大な籠手ガントレットとなり、イナンナの全身を捉え、思い切り殴りつけた。


 イナンナは二対の戦棍を交差させ、床に突き刺し、守りの体勢に入る。黒色の籠手と黄金の戦棍がぶつかり合い、白熱した鉄のような輝きが飛び散る。互いの力が拮抗するが、イナンナの押し返す力の方が僅かに優勢である。──が。


「まだ完成しきってねえ──よッ!」


「!」


 ジンの籠手が更なる唸りを見せる。籠手は更に巨大に、刺々しく変貌し、それと同時に強力な風圧を巻き起こす。


 放線状に床を削り取るその風圧の前にイナンナは押し返され、戦棍もろとも吹き飛ばされる。しかし彼女もただでは引き下がらない。イナンナは後退すると共に右手のモーニングスターをジンに向かって投擲した。


「チッ……!」


歪曲せよディストーション


 ジンは咄嗟の判断で大盾で防御しようとしたが、接触する寸前でモーニングスターは不自然に軌道を逸らし、へり下るかのようにエルゼの足元へと突き刺さった。


「! へえ、見てるだけかと思ったら、しっかり味方するじゃん」


 イナンナは低い声で呟きながら手をエルゼの足元へ向ける。モーニングスターは意思を持ったかのように主人の手元へと飛び跳ねて帰った。


「一応、私はこいつの保護者だから。勝手に死なれるとその後の手続きが面倒なのよ」


 エルゼは心無い声で機械的に呟く。そんなエルゼに向かってイナンナは面白おかしそうに大声で笑った。


「保護者ぁ!? アッハハハ!! 私たちをおいて、いまさら保護者を語るのぉ!? しかもアンタがこれから滅ぼそうとする人の子を相手に!? ……ッ。アンタにとって、私たちはなんだったっていうの……!!」


 軋む音は怒りの叫びか。イナンナの足元から波紋状の気流が勢いよく吹き荒れ、フロア全体を黄金へと変化させてゆく。そして彼女は戦棍をエルゼの足元へ向ける。まるでコントローラの赤外線を対象に向けるように。


 イナンナはそのまま黄金の床へ戦棍を叩きつける。それがトリガー。黄金の床は波打ち、10メートル離れた距離にいるエルゼの足元から、地獄の剣山のように黄金の床が勢いよく突き出す。


「……? 一体何を言ってるの……? 最初から最後まで、アンタらは私の駆逐対象でしょ?」


「!? 馬鹿、防げ!!」


 ジンは急いでエルゼの元へ駆け出す。ジンは直感でこの攻撃の結末を感じ取った。


 ──この攻撃をエルゼは受けきれない。防御しなければ確実に刺し殺される! なんで防ごうとしないんだ!?


 接触まであとコンマ3秒。手を伸ばす。届かない。籠手も大盾も間に合わない。目に映る、少女の姿。いつものような超然とした風格は無く、呆然と視線の先の女を見ていて、天災の前に何も理解できず死んでいった哀れな少女と何ら変わらなく見えた。


 接触まであとコンマ1秒。エルゼはようやく攻撃に気がついた。突き刺さるであろう胸の辺りに一瞬でエネルギーを込める──が、彼女本人もこの攻撃を受けきれないことは瞬時に理解した。


 接触まであと0秒。接触。エルゼの体に黄金の剣山は突き刺さ


「! ……アルベルト……!」


  剣山は接触の寸前に先を削り取られ、剣山ではなくなった。矢のように放たれたアルベルトの剣が剣山を破壊し、そのままイナンナの頭目掛けて真っ直ぐに突き抜ける──!


「邪魔、するなァァァ!!」


 イナンナはモーニングスターで剣を撃ち返す。剣は天井に向かって打ち上げられる。その先には、待ち構えていたかのようにアルベルトがいた。


「何……!?」


「死ね。我が神を滅ぼそうとしたその罪は原罪を凌駕する」


銃弾のような速さで打ち上げられた剣の柄を空中でアルベルトは難なく掴み、ライフル並みの重量、銃身を誇るハンドガンで連続してイナンナの頭を狙撃する。


 イナンナはその銃弾を避ける。表情は苦しそうで、この回避も苦し紛れのもののように見える。


「……! アルベルト!! 我らが父、の血を授かりながら何故その小娘に味方するッ! 父の記憶を見たお前なら分かるだろう! その小娘は我々アヌンナキを見捨て、冷酷にも我々を滅ぼすと宣言したのだぞ!!」


「──Halt die Klappeだまれ


  懐からもう一丁の拳銃を取り出し、二丁の銃口をアルベルトはイナンナに向ける。眼光は切れ味鋭く青光り、視線の先の相手を突き刺すようだ。


「我が父はァ!! イエスでもアヌでも在らずッ!! ただこの身は、我ら人間の生まれ故郷、地球を護りしたった1人の少女にのみ捧げられるのだァッ!! 調子に乗るなよ、アヌの娘ェェ……! 貴様こそアヌの何を知っているというのだ……!!」


 心臓を撃ち抜いた十字架を揺らし、アルベルトは感情的な叫びをイナンナに叩きつける。


 激昂した表情でアルベルトはイナンナを睨む。対するイナンナは理解できないといったふうに表情を歪ませた。


 アルベルトの覇気が押しているように見える。しかしここでこの緊迫した状況を断ち切る着信音が流れた。音の出所はイナンナから。


「……? この着信音、どこかで……」


  ジンはエルゼを守るように立ちながら、その着信音について既知感を覚える。イナンナは連絡を告げる携帯電話を取り出し、通話を始めた。


「はい……OK。こっちも相手の力量は測れたから。最後まで気を抜かずにね……はぁ」


  イナンナは残念そうにため息を吐くと、先程までの闘気はどこ吹く風、楽しげにジンへと笑いかけた。


「残念だけど闘いはここまで! 楽しかったよ、ジン君。次はもっと『精神的重力スピリチュアル・グラビティ』を使いこなせるようになってり合おうね」


 そう言うとイナンナは踵を返し、全面ガラスに向かって走り出した。それと同時に3階階段から勢いよく降りてきたマキタと目が合う。


「──ごめんね、マッキー。私もジン君のこと気に入っちゃった。取られたくなかったら、私を止めて見せて」


 マキタが瞬間的に見たイナンナのその顔は間違いなく恋する乙女のものだった。マキタはその顔を見た瞬間に胸の内に秘める怒りの種類が変わるのを感じた。


「待てッ!! この淫婦がッ!!」


 怒りを露わにして追いかけようとするマキタをグエンは引き止める。それによってマキタは命拾いした。あと一歩を踏み出そうとしたマキタの足元の階段が槍のようになって飛び出し、眼前に迫ったのだ。足を出していたら──間違いなく貫かれていた。


  マキタが顔を上げた時にはもう、イナンナの姿はなかった。全面に張られていたガラスはイナンナの身丈どころか、その全てを破壊され、高所の風が容赦なく二階全体に吹き付ける。


「……はぁ、どいつもこいつもガラスばっかり壊していきやがって……高いんだよ? もちろんお値が張るって話で」


  グエンは階段をやる気なさげに降りてゆく。敵がいなくなって明らかにやる気を失ったのはこの場にいる誰もが感じた。


 ……rrrr。


 階段を降りながらグエンはやる気なさげに着信を取る。


「はい……? ただいま意気消沈中なんですけど……」


「グエンさん!! 早くビルから出てくださいッ!!」


 思わずグエンが耳から携帯を離すほどの大声でヤマゾエの声が響く。この場にいる全員がその声を聞いた。


「ビルがします!! 五階に爆弾が仕掛けられてます!!」


「!! 全員窓から飛び降り──!!」


 グエンが指示を出し切る前にこの世の終わりのような爆発音が辺り一帯に響き渡った。床は大地震を受けたかのように揺れ動き、動くことができない。


 天井が崩壊する。高さ50メートルはある上階の質量が一気に二階へとなだれ込んでくる。ジンたちはバラバラに立っていて力を合わせることさえできない。目の前に迫る瓦礫を防ごうと、ジンは大盾を突き出して自分の身を守ることしかできなかった。




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