第17話 本当の敵

 男に案内され、俺たちは俺が乗ってきた電車に乗り、那古へと向かう。その道中で俺はマキタにエルゼと出会ってから今までのことを話した。


 マキタはエンプティになってしまったことを話さなかった俺に少し不満を持っているようだった。だけどこんな話できるわけないだろ。だって普通に生きている人間に普通じゃない話をしたところで信じてもらえるはずがない。変な俺がさらに変なやつになって収拾がつかなくなる。


 それに……俺だって分からないことだらけなんだ。



「……なあ、エルゼ。あのアルベルトって神父、一体何者なんだ?」


 ずっと気になっていたことはあの神父のこと。アルベルトという初老の男はずっとエルゼの名を呼んでいた。エルゼは俺にあった時にその名前を自分でつけたようだったし、その名前を知る人間など他にいるはずがない。だがエルゼはこの神父と会うのは約50年ぶりと言った。一体どんな関係だっていうんだ。


「アルベルト・クリストリーム。キリスト教プロテスタント信者。アンタ、散々『神父』って呼んでるけど、プロテスタント派の宣教師は『牧師』よ。覚えておきなさい。まあこいつはもうキリストを信じてないから牧師ですらないけどね」


 ……見た目と普段の能天気さとは裏腹に、かなりの博識なんだよなあ、こいつ。まあそりゃ神様だし? 50年前からは確実にいるロリババアだし? 当然なんだろうけど。


「クリストリームは代々この星に存在する怪異を討伐する退魔の家系。中世、神聖ローマ帝国が栄華を極めた約1000年以上前から存在し、何度も私は彼らに追われ続けたわ」


「え? お前が? 神様なのに?」


 こんな歩く天災に喧嘩を売る人間が存在したというのか。昔の人間ってやっぱりイカれてる。この神父……じゃなかった。ああ、牧師でもねえのか。もうオッサンでいいや。そのイカれた血がこのオッサンにも混じってるなら今までの言動も多少は納得できるか?


「当時の人間共はキリストを狂ったように信じてたからね。盲目なやつらにとって私は神ではなく悪魔のように見えていたんでしょ」


 そう語るエルゼの表情は無機質なガラス細工のような冷然としたものだった。


「だけどアルベルトはそんな1000年以上続く退魔の歴史を終わらせた。こいつはキリストを捨ててあろうことか宿敵である私を崇めだしたの。キリストを捨てたことでプロテスタントの連中から追われてたみたいだけど、こいつを殺せる人間なんていないわ。異能を抜きにしたらこいつの基礎能力スペックよ」


「……は? 冗談だろ? お前と同等?」


 エルゼに匹敵する力を持つ? そんなやつに俺たちは狙われていたのか?


 冷や汗が流れる。目の前にいる天災が、自身と同等と称するような化け物に俺は挑んでいたんだ。そんなの今の俺に勝てるわけがない。


「ええ。でも神じゃないこいつが私に勝つことはできないし、まず戦いは起きないでしょうね。だって私たちは互いにだもの」


「……なんて?」


「だから私とアルベルトは好き同士なのよ。50年前からずっとね」


 ……理解が追いつかない。というか絵面がおかしい。10歳くらいのロリと60歳くらいのオッサンが相思相愛って地獄絵図だぜ? 


「な、なんで好きになったんだ?」


「んー? んー……? 分かんない。なにか……言葉では表せないなにかが決定的な理由なんだろうけど……」


 難しい顔をしてエルゼは何やらぶつぶつと呟いている。やっぱり人でも気持ちというものは確信を持って説明できる概念ではないのだから、神であるエルゼにはより難しいものなのかもしれない。


「まあ……いいや。人? の恋仲にいちゃもんつけるもんでもねえしな。でもなんでオッサンはお前を崇め始めたんだろうな」


「さあ? でも初めて出会ったのはアルベルトがまだ10歳くらいの子供時代だから、私との出会いがこいつにとってそれだけ運命的だったんじゃないかしら」


「運命、ねえ……」


 確かにエルゼとの出会いには俺も運命を感じた。恋愛的な意味じゃないけど。こいつには何度も救われた。そういう意味での運命だ。アルベルトにとっても、エルゼは自分の中のなにかを変えた運命の相手だったのだろう。



◆◆◆



「……ここは?」


 那古に着き、男に案内された場所は街の中でもかなり大きな部類に入るビルだった。中からは退勤後の社員たちが次々と出てきて、今まで見てきたのが廃ビルばかりだったことに気がついた。


「ここが僕たちの本拠地、那古運輸会社のビルさ」


「マジか!? 那古運輸って俺の地元で一番でかい運輸会社だぞ!?」


「そりゃ僕は那古運輸のCEOだからね」


 さらっとすごいことを言い出したぞ、この男。……ん? てことは、もしかして……。


「アンタ、グエンさんか?」


「お、知ってたのか」


「まあ、一応就活で調べてたところだからな」


 俺もこれから就活を控える身だ。地元一番の企業はあらかた調べてある。その中にあった那古中央運輸会社。そこの最高経営責任者はグエン・ロイという弱冠33歳の若きベトナム人で、その卓越した手腕によりブラック企業が多いとされる運輸業の中でも那古運輸ここは非常に働きやすく、大卒、高卒、中途問わずに多くの人間が入社を希望しているらしい。


「へえー、そうだったのか。こりゃ働き次第で内定確定だな」


「マジすか? まあ寝ず食わずで生きられるようになったんだから、別に必死に働くつもりはないんだけど」


「それじゃあダメだよ。僕は働くことに生きがいを持ってるんだから、そんな怠慢な社員を職場に置いておくわけにはいかない。入るからには全力で働いてもらう」


 グエンの顔つきは一変して引き締まり、厳しい顔つきで俺に対して注意を促した。


「……そりゃそうだよな」


 グエンはへらへらした態度とは裏腹に物事を取り組む姿勢は堅実なようだ。そのギャップがなければ経営者として成功できない。人脈を広げるコミュニケーション力の高さに加え、合理的に、効率的に物事を判断し、冷徹かつ冷静な指導ができる人間こそ上に立つ者の特徴だ。自分のことしか考えていない俺には到底たどりつけないだろうし、たどりつく気は毛頭ない。


「まあ中に入ろう」


 グエンが先導して俺たちは横切る退勤後の社員とは逆にビル内へと入っていった。


 中はとても広かった。奥の方にはガラス張りのテラスがあり、カフェを楽しむ社員たちがいた。俺たちは目の前のフロントを介することなく、グエンが手を上げる仕草のみでエレベーターへと通される。しかし見知らぬ人間が何にもいるためか、フロントの受付嬢からは奇怪な視線を向けられた。


「社員の視線が気になるかもしれないけど、気にしなくていいよ。社員の大半がエンプティかその存在を知っている者たちばかりだから」


「え? この会社に何人くらいエンプティがいるんすか?」


「んー、ざっと1000人くらいはいるんじゃないかな」


「1000人!?」


 ニュースで取り上げられている規模と人数が全く合わねえじゃねえか!? エルゼの話によると、搾臓器によってエンプティになる人間の割合は1割らしいから、単純計算してみても奴らによる被害者はすでに1万人を超えているということか……!?


「そうさ、言ったろ? もう君一人で解決できるほどの小さな事案じゃなくなってるのさ。那古運輸が大きくなったのも僕が各地に散らばっていたエンプティを集め、その人を超えた力を生かしたからさ。那古運輸の正体は本来あるべき人の営みを破壊する宇宙人アヌンナキの殲滅と、奴らに加担するエンプティの鎮圧。アルフブッゴは日本語で『星を護る者』と書く。僕たちはこの星を護る防衛者なのさ」


 一つの大企業がまるごとエンプティの巣窟になっているっていうのか。アヌンナキ……それに異星派というのは金を掘っているあのエンプティたちに違いない。那古運輸はその勢力たちとしのぎを削っているのだろう。


「アルフ・ブッゴ。ドイツ語で直訳すると超自然の防衛者ってところかしら」


 相変わらずのすました顔でエルゼは独り言のように呟いた。エルゼはどうやらドイツと何かしらの縁があるらしい。アルベルトと出会ったのもドイツでなんだろうし。


「お、よく知ってるね、お嬢さん。いや、貴方が旦那のいつも言っていた原生地球の神エルゼ様なのかな?」


「ええ。私がエルゼよ。そしてアンタたちエンプティの倒すべき目標ターゲット。アンタみたいなのエンプティなら本能的に分かってるんじゃなくて?」


 エルゼの目に殺意の火が灯る。ガラス細工のような真紅の目が残り火を燃やすかのようだ。


「おお、怖いねえ。そんな目で睨まれちゃ誰も君には立ち向かえないよ。確かに君の言うとおり、闘争心? 反抗心? みたいなのは湧き上がってくるけどね」


 グエンは口では謙遜しているように感じるが、その太々しい態度は崩さない。敵わないと思ったのか、エルゼは呆れたようなため息を吐いた。


「多分アンタ嫌いだわ、私」


「いろんな方から言われますよ」


 自虐的に言うその顔もニヤニヤしていて気味が悪い。エルゼは少し顔を引き攣らせて俺の方に体を寄せた。



◆◆◆



「さあ、入って。僕の部屋だ」


  木で作られた立派な両引き戸の扉をグエンは開く。開かれた瞬間、その中から眩い輝きが放たれた。


「わぁ……すごいっす」


「メッキじゃないよ。全部純金だ」


  マキタは感嘆の声を漏らした。部屋の中は目がチカチカするほどの金色で、どこもかしこも金が存在した。金のシャンデリア、金のオブジェ……流石にソファーは金じゃねえのか。


「眩しくないのか?」


「眩しいよ。別に金が好きってわけでもないし」


 グエンは手で目を隠しながら手探りで椅子を探り、見つけるや否や乱暴に椅子を引いて勢いよく椅子に座った。


「え? じゃあなんで金だらけの部屋にいるんだ?」


「そりゃ、アイツらをデカい顔で見下せるからさ。ほら、アイツら金を欲しがってるだろ? だから金にまみれた部屋に住んで、挑発するのさ。たのしいぜ?」


 ……俺が言うのもなんだが、こいつもなかなかに捻くれた性格をしてんな。


「そんな話をするために君たちを呼んだわけじゃない。先の失礼を詫びてこちらの情報を君たちに開示した上で、君たちを仲間に勧誘する。こちらも色々裏の組織としてやることはやってるから全部は話せないけど。ほら、みんなソファにかけて」


 促されるままに俺たちはソファに座った。アルベルトだけはグエンの隣に移動し、護衛のような形で立った。


「さて、まずは自己紹介だね。僕はグエン・ロイ。ちらと話したとおり、ここ那古中央運輸会社のCEOを務めている。そして横にいるのがアルベルト・クリストリーム。裏の顔として存在する星を護る者アルフブッゴ最強のエンプティだ」


 威圧的な目つきでアルベルトは俺を睨みつけてくる。よほど俺を殺せなかったことを根に持っているのだろうか。


「君はジン君。銀髪のお嬢さんがエルゼ様。そしてそこのお姉さんは?」


「小さいは余計っす! 私は牧田佳奈! ジン先輩の後輩っす!」


 マキタは膨れ顔でグエンに抗議する。グエンは軽く笑ってマキタの怒りをすかした。


「ふぅ……なるほどね。こりゃあ是非とも戦力に入れたい顔ぶれが揃ったもんだ。特にエルゼ様がこちらに加わってくれれば僕たちも神様を玉座に座らせられる。『ニビル』でデカい顔して座ってるであろう『エンリル』に目にもの見せてやれるってもんだ」


「……あのさ、グエンさんよ」


「ん?」


「俺さ、そのアヌンナキってのが宇宙人の名前だってことは分かるんだけど、結局そいつらが何者なのか全く分からねえんだわ。そいつらが何を目的に人間たちを殺し、エンプティを生み出しているのか。何のために金を狙うのか。まずはその理由を知りたい」


 ここまでの戦いはただ俺の憂さ晴らしにしかすぎなかった。ただ気に食わないやつだったから殴っただけだった。


 だけど俺はもう殴るにとどまらず、殺しに走った。「殴る」と「殺す」では次元が違う。感情に任せた暴力と違い、殺害とは感情のような緩い天秤では説明つけられない本質の上で犯されるものだと思う。俺は何も知らないまま殺したあの男たちに、殺された意味を与えたい。


「そうか、敵の正体も分からないんだね。いいよ。説明してあげる。敵は──」


「待って。私がするわ」


 グエンが話し出そうとした瞬間にエルゼが割り込む。エルゼは真剣な目でグエンを見つめ、釘を刺しているようだった。


「……OK」


  グエンは引き下がる。エルゼはグエンに会釈をしてから俺の顔を見つめた。今までで見たことのない真剣な面持ちだった。


「……本当ならもっと早く話すべきだった。だけどジン。アンタが本気でやつらと戦うなら、私も腹を括って話すわ」


 エルゼは大きく息を吸ってから話を始める。なんとも言えない緊張感が伝わるのを感じた。


「──敵の名はアヌンナキ。中東に存在した古代シュメール文明の神々。だけどやつらは地球にかつてより存在する神々などではない。太陽系の惑星から大きく傾いた軌道を約3,600年で公転する『ニビル』という惑星に住む宇宙人。もちろん沢山のアヌンナキがニビルには住んでいるけど、覚えておくべき名前はこの七つ。──ウトゥ、ナンナ、ニンフルサグ、イナンナ、エンキ、エンリル、そしてアヌ。『運命を定める七人』と呼ばれるアヌンナキの頂点よ」


 イナンナ、という名前を聞いてマキタが顔を上げる。そして拳を力強く握り込み、歯軋りする音が聞こえた。


「こいつらとは何度も戦ったことがあるけど、仕留めきれたのはウトゥだけ。特にイナンナ、エンリル、そしてエンキ。もしこいつらと同時にやり合うなら多分、今の私じゃ


 エルゼは冗談を言うようなやつじゃない。こいつの勝てないという言葉ほど、この世界で怖い言葉はない。


「アヌンナキがエンプティを作る理由。それはこの星で生み出される金の採掘者としてエンプティを作り、金をニビルに持ち帰ることによって滅びの未来をこと。それと同時に自身の勢力を拡大し、私という最大の障害を打ち倒すこと。この二つよ」


「守ること? 金が一体何の役に立つって言うんだよ」


「アイツらの星はもう有害な宇宙線から星を守る成層圏がボロボロなのよ。だからその宇宙線から星を守るバリアを金から生み出そうというわけ。前に戦ったパンテオンが金を生み出していたでしょ? やつらは自身の生命力と他生物の生命力を掛け合わせて金を生み出したり、操ったりする能力を持っているの。それを応用してバリアを作るんでしょうね」


 興味なさげにエルゼは話した。しかしこの話がやつらが人間を殺し、エンプティを生み出す理由なら、それは理解できるものだ。アヌンナキは自分達を守るために戦っているんだ。人間はそのための犠牲。生きるために殺す。人間と同じだ。


 でも俺たちだって殺されたくはない。これは向こうからの一方的な殺戮だ。グエンたちはそれに立ち向かっている。確かに彼の言うように、星を護る者アルフブッゴは正義の味方なのだろう。


 俺が殺した男たち。彼らはアヌンナキについていた。ならばそれが決定的な俺に殺された理由。俺はアヌンナキに人間が殺されるのが気に食わない。それが理由だ。俺の本質は自己中心で、それは曲げることの出来ない魂の進路。その上に彼らが立った。それだけなんだ。


「でも……今更だけど、何でエンプティに変えられるんだ? そしてお前は前に言った。『私に傷をつけられる』って。もしかして、そのタネはという存在にあるんじゃないか?」


 そうだ。こいつは本来善意で行動するようなやつじゃない。その本質は天災そのもの。怒らせたら確実に殺される。理不尽に、抵抗できずに。その在り方は人間と協調できるものではない。


「ええ。そうよ。……可哀想なものね、人間って。越えなければならない壁がいくつも立ちはだかる。弱いくせに乗り越えようとするんだから、よりタチが悪いわ」


「? 何を言って……」


  エルゼの纏う雰囲気が変わった。嫌な……予感がする。まるで、今の認識が逆転するかのような。


「……遥か昔。まだこの地球という星に命が存在しない灰色の世界だった頃の話。今から約45億年前、ある気まぐれがこの星に命をもたらした。星は爆発し、砕け、そして集まり、空には月が浮かび上がった」


 エルゼは懐かしそうな目でガラス越しに映る薄暮時の三日月を見上げる。


「灰色の世界は緑に溢れ、様々な生き物が生まれ、進化を続け、地球となった。大自然はありのままにあって、何者にも邪魔されることなく生きていた。けど……」


 エルゼは悔しそうに固く唇を噛み締め、拳を強く握り込んだ。その目には消しきれない怒りの炎が燃え盛る。


「とんだ邪魔者がこの世界にやって来た。そいつらは触れてはならない自然の進化にあろうことか手を加え、ある生き物をこの世に生み出した。ホモエレクトスという類人猿の遺伝子に自らの遺伝子を組み合わせ、禁忌の上に繁栄した罪深き存在……」


 エルゼは俺を鋭い目で睨みつける。一瞬にして背中に悪寒が走り出す。その目は俺を見ていなかった。見ているのはエンプティおれの中の人間おれだ。


「──それが人間。愛しい私の星を荒らしまわる害虫。私が殲滅すべき対象の一つ。覚えておきなさい。私は人間アンタたちを許してなどいない。そして宣言しておくわ。その上で私を玉座に座らせたいなら好きにしなさい。……地球を荒らし、私を討ち取らんとするアヌンナキを滅ぼしたその暁には、私は……この地球に存在する全人類を抹殺する」


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