第15話 神はサイコロを振らない

 その瞬間は目に追えなかった。だけど強い吐き気のような最悪な感覚はすぐに伝わった。


「マキタ! 何でこんなものが……!? おい、しっかりしろ! マキタ……! マキタアアァ!!」


 手を出した時にはもう遅かった。いや、手を出していても恐らくその手ごと持っていかれただろう。それほどまでに、その「凶弾」は巨大だった。


 マキタの胸部を抉り取った巨大な風穴の向こうに救世主の像が見えた。そして彼の心臓も撃ち抜かれる。その心臓を起点とし、崩壊が始まり、救世主は地に落ちた。その時にふと俺はあの十字架を思い出す。


『──墜ちよ、墜ちよ、我は死を運ぶ天使なり。


 ──墜ちよ、墜ちよ、その首よ。


 汝いかなる道理を持って生を受け、汝いかなる道理を持って死を迎える?


 それは刺殺か? 斬殺か? それとも銃殺か?


 死を迎える道は違えど、我は等しく死を捧げる。


 それは例え人であろうと、化け物であろうと、救世主メシアであろうと等しく与えられる。


 歓喜の詩を唄え、爆ぜろ、そして原初に帰るがいい。


 我らが向かうべき最後の道標は我らが星、すなわちE・L・Zエルゼなり──』


 夕陽が影を作り、穴の空いた十字架は振り子のように揺れた。右手に握られている鉄塊の口からは白い息が吐き出されている。その神父は狂気的な笑みを絶やさずに一歩一歩こちらへと向かってくる。


「同じ匂いを嗅ぎつけたが、ここまで強い血の匂いは身につけていなかったな、わっぱ。人でも殺したか?」


「……殺したのは人でなしだよ、この人でなしが」


 俺はマキタを安定した長机に横たわらせた。マキタはまだ生きている。推測でしかないがすぐにマキタを抱きしめたことで再生が入り、延命させたのかもしれない。


 だが恐怖するべき事実はこの傷跡だ。


 ──銃弾。なぜ魂という非物質の存在に物理であるこんな鉄の弾が損傷を負わせられる? いや、考えても仕方ない。これは何よりもまずい事実だ。つまりこの神父は、俺たちをのように殺すことができるということ……!!


「その娘……魂が汚れていたな。お前を愛することしか考えていない利己の魂が強まっていた。このままではいつか、お前を愛するためならば手段を選ばぬ鬼となっていたことだろう」


 俺よりも高い身長からこいつは俺たちを見下すような目で睨みつけてくる。右手に持った50センチほどの巨大なハンドガンをこちらに向け、その照準は俺のこめかみへと繋がっていた。


「鬼だと……? お前のことか? あ? 何の躊躇いもなく引き金を引いて女を撃つ鬼畜なんざ、この場にはテメエしかいねえんだよ!!」


「──Fireファイア


  神父がその言葉を言い切る前に内に秘めるものを引き出す。黒い靄が溢れ出し、押し返す重力がその巨大な銃弾の力を逆転させた。跳ね返った銃弾は発砲した男に向かって帰っていく。


 行け……! このままアイツごとやっちまえ……!


「小癪」


 俺の望みはすぐに弾かれる。やつは祭服から新たな銃を取り出し、自身に跳ね返った銃弾を撃ち落とした。跳弾が俺の頬を掠める。しっかりと、魂に傷がついたのを感じた。


 頬から垂れる血が俺の体内に戻りながら、俺は体を変貌させていく。黒い靄の収束により、俺の虚像がひっくり返る。


「Khoooo……!」


  重量こそあれど、エンプティの体は空中に浮くことができる。実像骨に変身した俺は左腕の大盾で前方を守りながら宙を駆ける。

 

 どれだけデカかろうが、所詮は銃だ……! 流石に実像骨までは届かないだろッ!


 俺は大盾を突き出したまま神父に突撃する。俺の体はこいつよりも遥かにデカい。この巨体を生かして押し潰してやる!


“──え?”


「無防備で突っ込んでくるやつがいるか。たわけ」


  ──ッッ!! どっから出したんだよ……! そのは!?


 俺の盾を容易に貫通し、俺の胴体に突き刺さった一本の剣。その剣を抜く瞬間は無かった。言い表すなら「」ではなく「」だ。この剣は神父の手から生み出されるように、突然現れた……!


「ツヴァイハンダーという剣だ。我が故郷、ドイツにて生み出された対鎧用大剣。俺の『真実を見抜く目』と合わせればお前の実像を通り越し、お前のへとこの切っ先を突きつけることができる」


 グリグリと俺のを貫こうと神父は剣を押し込んでくる。俺はその剣の侵入を防ぐために両手で思いっきり握る。……が。


“グッ……! 握るだけで、傷をつけられる……ッ!”


  その刃は俺の実像骨の力押しを物ともせず、逆に握った両手を削りながら入り込んでくる。魂に激痛が走る。いたいいたいいたいッ……!!


“う……っ! おおおお!!”


  俺は右腕を高く振り上げ、玉砕覚悟で籠手ガントレットを振り下ろす。これでこの剣を叩き折ることが出来れば魂への侵入を食い止められる……ッ!!


「無駄」


  しかし神父はその動きを読んでいたのか、右手で構えた銃を俺の腕に照準を定め、その引き金を引いた。


 爆発のような撃鉄が落ちる音。その音と共に関節部にあたる右腕の肘へハンドガンらしからぬ巨大な銃弾が貫通した。支えを失った俺の右腕は力が消え、だらしなく垂れ下がった。


 対抗手段が、ない。死ぬのか? 俺? こんなよく分からねえ狂った神父に殺されるのか?


「清く死に絶えよ、化け物」


  剣は刺さったまま、突きつけられたのは二丁の銃口。その奥まで続く暗闇は俺を死の誘惑にへと誘い込む。俺は俺らしからぬ諦めの感情が少しだけ湧くのを感じた。俺は……こんな気持ちで死にたくは無い。


「シ……なせル……ものかアァァァッッッ!!」


  諦めた顔を上げる。頭上には星があった。凶悪な形をしたモーニングスターが落ちてくる。


 振り落とされたモーニングスターは木の床を大破させてクレーターを作る。神父はその一撃を回避するため、俺に向けていた銃口を外した。


「ハァ……っ、ハァ……っ! ごほっ……!! だい、じょうぶすか……っ! せん、ぱい……!」


 息も絶え絶えに、血反吐を吐きながらマキタが俺の前に立つ。実像骨も十分に引き出せず、二対の戦棍もモーニングスターしか出せていない。無理をしているのは明白だった。

 

“やめろッ!! 今のお前じゃ無理だ! 俺が盾になるから動けるんなら早く逃げろッ!!”


「嫌っす!! 先輩が死んだら私の魂が死にます! 私を助けたいなら私に助けられてください!!」


 この馬鹿が……!! そんな状態で勝てるわけがねえ! 何でそんなことも分からない……ッ!?


「……苦しかろう。魂の7割が欠けている。小娘よ、今のお前にあるのはその童を愛する魂のみだ。本当の魂の形では無い。そんな曖昧なからだでは判断は鈍り、苦しみが増すだけだぞ」


「だからどうしたッ!! 私は先輩のために生きてるッ!! 残りの7割なんて知ったものか……今ここにいる魂こそが本当の私だッ!!」


 マキタはそのボロボロの体からは考えられないほどの強い口調で叫んだ。その姿は今まで後ろをついてくるばかりの小さな女の子のものではなくて、魂をかけて自分の信念に殉じる猛々しい戦士のものだった。


「……ほう、魂が輝いている。……いいだろう。ならばその魂の輝きを見せてみるがいい」


  二丁の銃口がマキタに向けられる。体が動かない。まるで時を止められたように感じた。どくん、どくんと魂の鼓動が早まる。動け、動け、動け!! 理不尽に命を奪われるのが嫌だから俺は戦ってんだろ!? 早くしろ! 死ぬ……このままじゃ大切な人を目の前で失っちまう……ッ!!


“やめろッ……!! 俺なんかに構わずに逃げろよ!!”


「……『俺なんか』って先輩らしく無い言葉っすよ。私は自分の生きたいように生きる先輩が大好きなんです。だから自分を貫いて。魂の思うままに生きて。私も先輩のことを想うこの魂を貫いて生きたんすから」


“やめろおおおお!!”


「──生きて。先輩」


 その笑顔には一筋の涙が伝っていた。彼女にとっては自分が消えることよりも大切な人を失うことの方が辛いことだったのだろう。それと同時にその大切な人を守れること。それが彼女にとって一番の喜びだった。だってその笑顔は最高に幸せそうだったから。


「……AMEN」


 撃鉄が落ちる。命が堕ちる。放たれたその音は命を奪い取る二発の凶弾の嬌声だった。死の瞬間を目にするその圧倒的絶望が時を遅らせ、目にとらえられるはずのない銃弾の軌道を鮮明に映し出す。


  自分の無力さが無抵抗に涙を流させる。だけど目を閉じることはできない。だって彼女は笑った。いつまでも見ていたいその笑顔を、刹那の間際に至るまで、最期までこの目に焼き付けたいと思ったから。



 ……え──?



 俺は潤んでぐしゃぐしゃになった視界の中にありえない輝きを見た。それはあの運命の日に出会った白銀に光り輝く、一切の穢れを受け付けない少女の姿。


「──Falling墜ちよ


 死を待つ彼女にはいつまで経っても死は訪れない。死の運命はひっくり返った。


     「神はサイコロを振らない」


 かの天才科学者が放った言葉。神はいる。今ここに。人間がどれほどその知恵を絞り、議論としたとしても終わらない運命への解答。全ては、初めから定められていた。


「──久しぶりね。小僧アルベルト。五十年ぶりくらいかしら? えらく老けて……私の所有物に手を出すほどボケちゃった?」


 神父は跪き、驚愕の顔に涙をつけていた。そして彼は消え入りそうな声でその神の名を呼ぶ。


「──エルゼ、様……」


 少女は彼の頭を優しく撫でて、額に口づけをする。そして後ろを振り返り、何が何だか分からないという顔をしていたマキタをよそに、俺の前へひょこひょこと軽快なステップを踏んでやってきた。


「……へっ、遅えよ。バカエルゼ」


「……ただいま、バカジン」


 俺は崩れ落ちた救世主の像を眺める。やっぱり人には神が必要だ。


 




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