第9話 シンの儲け話

 講義前、俺は机に突っ伏していた。疲れなんて感じない体なのに心はしっかりと疲れるらしい。


 ……エルゼと喧嘩別れしてからだ。アイツの感知能力なら俺がどこにいるかなんて筒抜けなんだろうが、それでも会いに来ないということは本当に愛想を尽かしたということだろう。そうだ。それでいいんだ。アイツらしくないアイツと一緒に宇宙人を狩っても何の得にもなりゃしねえ。


 だけど……なんでなんだ。こんなに心が燻るのは。飯をもう10日は食ってないから魂が汚れてきてるのか? いつのまにか負傷は治ったっぽいのにそれでも痛むこの心は……。


「おい、ジン。もうすぐ講義始んぜ? 眠気知らずのお前が眠りこけてるなんて珍しい」


「……なんなんだよ、その異名。俺だって眠い時は眠いんだよ。お前だって相変わらず夜遊びで疲れてんじゃねえのか、シン」


  こいつは荒木あらき慎太郎しんたろう。愛称を込めて俺は「シン」と呼んでいる。俺と同じ腐れヤロウで昔はよくツルんだ仲だ。特にこいつが好きなこと……というか生きがいは夜遊び。女たちと遊ぶこともあれば、ヤクザまがいの奴らに喧嘩をふっかけたりと俺と並んで大学ここのクズ二大巨頭を誇っている。


 確かに顔もなかなかイケメンだし、女を引っ掛けるのは得意なんだろう。喧嘩が強いのも武術サークルには入らずに実家の道場で武道の経験を積んでるってので納得できる。まあサークルにいる俺が言うのもなんだけど、正直こんな武術紛いの技術を磨くサークルに入るよりそっちのが強くなれるわな。


「いいや? 全然疲れてなんかいねえが……ああ、そうだジン。後で話に付き合ってくれるか? いい儲け話があるんだけどよ」


 ……やっぱり来るよな。こういう話。狙い通りだ。


「分かった」


「お? 偉く素直に聞いてくれんだな。いっつも俺の話なんざ聞いてられっかって突っぱねんのによ」


「……疲れてるから自棄になってるだけだよ。つまらなかったら帰るだけだ」


 こいつの儲け話なんてロクな話なわけがねえ。俺がまだ純粋だった時にホイホイ着いてったらヤクザに因縁づけされてしばらく逃げ回る生活を送るハメになったからな。


 だが今の俺は純粋でもなけりゃロクでもねえ。俺の目的に合致するものを今のこいつなら持ってくるはずだ。



◆◆◆



 その日の夜。俺はシンに呼ばれて赤楽のバーにやって来た。声を聞こえやすくするためかこいつにしちゃ珍しいこじんまりした地味なバー。中に入るとすでに酒を飲んでシンはカウンターに腰掛けていた。


「お、来たな。まあ座れよ」


 俺が横の椅子に腰掛けると、頼んでもないのにこいつは俺の分の酒を頼む。それを払うのは結局また俺なんだろうな。


「……んで、儲け話って?」


「なんか今日のお前は食いつきがいいな。変なもんでも食ったか?」


  10日も飯を食ってないなんて言えるわけがない。特に、何も、とだけ言っておくことにした。


「まあいいや。儲け話のことだったな。こりゃ美味い話だぜ。なんせ1日で100万近く稼げるとか」


  別に今の俺は金が欲しいわけじゃない。だって食って生けるって必要がなくなったからな。


「この赤楽の地下に金脈が発見されたらしくてな。そこで金の採掘をすりゃ稼げるんだってよ」


  ……金、か。こりゃ多分だな。


「分かった。紹介してくれるか?」


「……なんか今日のお前はいつもと違うな。というか最近変じゃねえか? めっきりお前の悪い話を聞かなくなった。教授たちの間でももっぱら噂だ。まるで人が変わったようにってな」


  そいつは惜しいな。俺は人が変わったんじゃなくて人じゃなくなったんだよ。


 でもそんな噂が広まってるのか。確かにエンプティになってからは昔みたいにヤンチャしたりってことに興味はなくなった。もはや俺は人の価値観では測れない存在になっちまったし、感覚を失って人の感性ってやつも薄れていってるのかもしれない。


「……お前が得体の知れない遊びばっかやってるように、俺も色々あるんだよ。んで、その話が出始めたのはいつ頃だ?」


「その色々ってのは気になるが、そいつはまた今度聞いてやるか。この話が俺の耳に届いたのは確か1ヶ月前くらいだったかな」


  ……ちょうど今年の夏頃ということか。つまり怪死事件が騒がれ始めた時期と重なる。パンテオンは金を使っていたし、アイツはテレパシーで「貴重な金」と言っていた。宇宙人は恐らく金に何かしらの必要性を持っている。このシンが持って来た儲け話には裏で宇宙人が絡んでるに違いない。


「受けるんなら俺がその仕事の関係者に伝えて斡旋してもらうよ。場所はまたメールで伝える。それでいいか?」


  何も表情を変えずにこいつはそう言ってくるが、この話は完全に闇のものだ。黒い顔も見せずにこんな話をしてくるこいつも正直言って怪しいが……。


「……ああ、分かった。できるだけ早めに頼むぜ。じゃあな」


「ええ? もう帰んのかよ? もうちょい飲んでかねえの?」


 席を立つとシンは少し嫌そうな顔をして俺の服の裾を掴んできた。残念だが俺はお前と楽しく酒を飲むつもりはないんだよ。だって酒の味なんてもう分かんねえし。


「しょうがねえから金だけは払ってやるよ。お前が頼んでもないのに注文した酒の分だけは」


「マジ? んじゃ2000円で頼むわ」


  俺はポケットに手を突っ込んで財布を漁る。財布を──あれ。財布がない。


「すまん、財布ねえわ。じゃな」


「は? おい、ま──」


  止めを食らう前に店を出る。ちゃっちな金くらい払ってくれよ。そんな話斡旋できるくらいなら随分懐も厚いことだろうに。


「……一応、帰って飯食っとくか。放置してると魂が汚れてくんだろ、エルゼ」


  帰り道にコンビニに寄って飯を買おうとしましたが、財布を忘れたことを忘れていたため、結局は家で味のしないインスタントラーメンを食うだけに終わってしまいましたとさ。

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