第二章 墜ちよ死天使

第7話 マキタミキサー

──ジンがパンテオンと戦ったあの日──


「……先輩、どうしちゃったんすかね」


 ポツリと1人残された私。テーブルの向かいあるのは先輩が置いてった代金だけ。


「うわ、足りないし……」


 はあ、なんであの人のこと好きになっちゃったんだろ。大学内での評判も最悪だし、見ての通り適当だし、さっきみたいに急にいなくなるし……。


「……ていうか、先輩、溢したコーヒー手で拭いてなかった……? こんな溢した跡もなしにコーヒーって拭けるものだっけ?」


 ……最近の先輩はなんだかおかしい。この前講義に連絡も入れずに休んでからだ。先輩のことは学校にいる間ずっと見てるけど、食事量は今までの半分以上に減ってるし、学校を出てった後をつけても急にいなくなるし。


「……仕方ないから足りない分は私が払うっすよ。その代わりまた付き合ってくださいね、先輩」


 目の前にいない彼へ伝えて私は店を出る。先に店を出た仲が良さそうなカップルを見てから1人で店を出るのは無性に悲しかった。



「……家帰るっすかね」


 今日の講義は先生不在でなくなったし、午後から一緒に店を回ろうと思っていた相手もいなくなってしまった。虚しさを胸に秘めて仕方なく私は帰路につくことにした。



 帰路についたその道中──



「……あれ?」


 私は目を疑った。ふと目を向けた群衆の中に休んでいるはずのカシワギ先生が歩いているのを見つけたからだ。


 でも顔色は病人かと思うくらい蒼白で、足取りは震えている。まるで殺されるのを恐れているかのような表情だ。私は先生がどこに行くのか気になってついて行くことにした。……危ない気は、していたけど。


 先生は狭い道へと入っていった。この時点で訳ありなのは分かった。本当ならここで引き返すべきなのだろう。


 でも……周りで不審な行動をとっているのはも一緒だ。あの人が今何をしているのかが分かるかもしれない。そのためなら危険な道も渡る覚悟で私はいた。


 暗い。狭い。誰も寄り付かないのか路地裏のくせにゴミひとつない。私は足音を立てないように先生の後をつけていく。


 先生は暗闇に消えた。どこに消えたのかとゆっくり進むとそこには階段があった。最近作られたものなのかあまり汚れていない。


「……行くの? 私……」


 ……行くしかない。ここまで来たらなんとしてでも謎を突き詰めてやる。


 私は階段を降りていく。暗いのは慣れないし、怖いけど、それでも降りることにした。彼に繋がるなら私はなんでもするのだから。



◆◆◆



「──なに? ここ?」


 そこは真っ白で広い謎の部屋。しかしただ広いだけではなかった。部屋の壁際にはプロパンガスボンベほどの大きさのカプセルがいくつも横に並んでおり、その中は透明な液体で満たされている。そしてその液体の中で浮かんでいるボール状のものは菊の紋からブヨブヨした気味の悪い肉塊のようなものが生えたわけのわからない物体だった。


「か、帰ろう。ここはやばいっす……!」


ここにいてはダメだ。私は急いで引き返そうとした。そして身を翻し、走ろうとすると何かにぶつかり、尻餅をついた。


「どこに行くつもりかな、お嬢さん」


 顔を上げると日本人離れしたスタイルの女性が立っていた。というか日本人じゃない。どこの人かは分からないけど顔つきが日本人のものじゃない。煌びやかな装飾を身につけていて只者じゃないことも分かる。


「あ、あなたは?」


「私? 私はイナンナって呼ばれてるわ。あなたは?」


「え? 牧田佳奈です……?」


 自然な流れで名前言っちゃったけど……イナンナ? イナンナって確か中東の方の神様の名前じゃなかったっけ?


「んーじゃあ、マッキーね。早速だけどマッキー、好きな人いるでしょ?」


「え!?」


「なんだっけ? ジン? とかいう男」


 いきなりそんなこと聞いてくる!? いや間違いじゃないけど!!


「なんで先輩のこと知ってるんすか!?」


「だって見てたもん。君と彼が一緒に食事してるの」


 女性は私と同じ高さにしゃがみ、そしてこんなことを言う。


「でも残念。あの男はもうじゃないわ。つまりあなたはこのままじゃあの男の伴侶にはなれないってこと」


「……え? どういうこと?」


 何を言ってるのこの女? 先輩が人間じゃない? 侮辱してるの? 許せないわそんなの。あの人を侮辱するのだけは許せない。


「まあ怒らずに聞いてくれよ。マッキーも薄々勘づいてたからこんなところまで来たんでしょ?」


「……違うっす。私は休んでるはずの先生を見かけたからその後を追って……」


「ふーん、そいつも人間じゃないわ。そいつはここに働きに来ただけ。マッキーが好きなジン君はここにいないわ。残念」


 ……ダメだ。何を言ってるのかよく分からない。とにかくどうすればここから逃げられるのかだけ考えるんだ。


「……えっ……!?」


 体が動かない……!? なんで!?


「だーめ。逃げられませーん。あなたの人生はここで終わりよ、マッキー」


「何……?」


 女は立ち上がって部屋の横に置いてあるカプセルの一つを割り、ボール状のあの物体を取り出した。そしてそれを投げたかと思うと、ボール状だったそれは羽のついた白い棒へと変貌した。


「きゃああ!? なにこれ!?」


「これは私たちの僕よ。最近起きている怪死事件、あるでしょ? 私たちはその事件の実行犯なのです!」


 女は満面の笑みを浮かべ、胸を張った。私は恐怖で声が出なくなってしまった。


 え? 終わるの? 私もあんな、内臓を全部抜かれて、血を吐いて、死ぬ……の……?


「でもね、これは意味のあることなのよ。それにあなたにとっても都合の良い話じゃない? だってジン君とになれるかもしれないんだから」


 どういう……こと? そう訊くこともできない。私の体はバグを起こしたように震え、声を出すための声帯はもはや機能していなかった。


「さっきも言ったけどジン君は人間じゃない。彼は私たち『アヌンナキ』の手によって改造された新人類、ルル・アメルになったの。そしてあなたも同じルル・アメルになれば彼の隣に並べるわ」


 先輩の隣に……? あの先輩の隣に立てるの? この弱い私が?


「さて、マッキーはどっちがいい? あの気持ち悪ーい肉の管で頭から内臓を搾り出されるか、そ・れ・と・も……この私が直々に搾臓して、にルル・アメルへと進化を遂げるか。……選んで?」


 傍目で見た白い棒は菊の紋の部分が開き、中からは太いミミズのような気持ち悪い肉の管が垂れ出ていた。早く突き刺したいとねだっているかのようにウネウネと管が動く。


 正面を向く。前には恐ろしいことを言う女が立っているけど、彼女からは不思議と恐ろしさを感じなかった。そして先程の信じがたい話。信じがたいけど信じるしかない。だって私は逃げられない。そしてここで人生が終わることは分かった。ならどうやって死ぬのか選ばせてくれるだけマシだろう。


「……っす」


「ん? なんて?」


「お願いっす!! あなたの手であの人と同じにしてください!! 私を……あの人の隣に、立たせて……」


 神に縋る思いだった。いや、目の前にいるのは本当に神様なのかもしれない。でも覚悟は決まっていた。あの人と一緒にいられるならどんな苦しみも受け入れるって。


「オッケー! んじゃ、死んでもらうわね」


 そして私は胸を彼女の手で貫かれた。心臓を抜き取られ、出来た空洞の中をもう片方の手でかき分けられてぐちゃぐちゃと腑をかき混ぜられる。


「上手でしょ? 私?」


「は……い……なんも……痛くねえ……っす……」


 痛みは感じなかった。ただかき混ぜられているのが感じられるだけ。まるで私という生地をこねられているかのような感触だった。そして意識が遠のいていく。消える間際に思い出したのは、先輩に助けられたあの日の記憶だけだった──。

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