第5話 実像骨(ソリッド)

 ジンが叩き落とされた後、パンテオンは円形の滝と化した血溜まりを見ていた。


“何も思うところはないのか。貴様の従者だろう”


“特に何も思わないわ。死んでたらそれまでのゴミ、生きてたらまだ捨てなくていいゴミってところかしら”


  冷酷なやつだとパンテオンは笑う。エルゼは無表情で死体の上に腰掛けて滝を眺めていた。


“だが解せぬな。何故貴様がルル・アメルを味方につける。やつらは貴様の知っての通り貴様を殺すために設定された我々の兵器であるぞ”


“だから味方じゃないわよ、だけど理由は簡単よ。アイツに利用価値があるから。それにアイツが私に敵対するとなると少し面倒なことになるの。リスクは最小限にしておかないとまた寝首を掻かれるかもしれないものね”


“その利用価値とは”


“なぜ敵であるアンタに教えなければならないの。まあいいわ、一つだけ伝えるなら、アンタたちにとって最高で最悪な結果をもたらすからよ”


“ほう、あのゴミが。そこまでの価値があるようには到底思えんが”


  パンテオンは滝の底を見ながら疑惑を漏らす。


“本当にアンタは馬鹿みたいね。「運命を定める七人」の一角でもないただのパンテオンでは仕方ないのかもしれないけどね。言っておくけど、アレは別格よ。アンタたちが生み出した人間という種の中でもあそこまでイカれたやつは知らない。知らない間に首を掻き切られないよう、アンタたちに警告しておくわ"


  不敵な笑みに余裕の表情。エルゼという可憐な少女のその姿は少なくともこの場にいる誰よりも強い者の姿だった。


“ほら、気をつけないと、わよ”


“! 起きたか小僧!”


 振るわれる剛腕。紛れもなくパンテオンのその動きには焦りがあった。パンテオンの腕とかち合ったソレは火花を散らしながらガチガチという金属音を鳴らす。


(……魂との接触によって最小限の魂の本質を捉え、一部のみ実像骨ソリッドを目覚めさせたのね)


  エルゼは不敵に微笑む。自身の洞察が間違えではなかったことを確信し、彼女は嬉しげにパタパタと足を動かす。


 血に塗れた長身の青年。長身といっても剛腕の持ち主であるこのパンテオンには敵わない。しかし今の彼には武器がある。右腕に纏われたその黒く、異常なまでに巨大な籠手ガントレットがある。


「お……オオオ!」


  半覚醒状態の不安定さはリミッターの制御を外す。ジンの意識は薄れ、今ここにいる彼は彼の魂を軸に行動している。


「グッ……ぬうう!」


 パンテオンが声を漏らす。剛腕が少しずつ押し戻されていく。先程まで死に体でいた生産物如きになぜ押し負けているのかという疑問が彼の頭を駆け巡る。


“ぐぅ……! 実像を引っ張り出してきたか……! 小癪なぁっ……!”


“これがアンタたちが生み出したモノよ。気に食わないけど私に傷をつけられるほどの攻撃性を持っているのだからアンタたちも同様に傷をつけられる。完全な制御機能をつけなかったアンタたちの無能さが分かるわね”


  冷笑によってエルゼは巨漢を皮肉る。さらに巨大化した籠手ガントレットは今やその巨漢の体を隠すほどの大きさを誇り、それに見合った強烈な力でジリジリと敵を後退させていく。


「う……おおおおッ!!」


  魂の叫び。意識はなくとも彼は目の前の敵を見ている。全身は血に塗れ、ぐちゃぐちゃな塊のように。その血塊に力を込め、全ての集中はその右腕に。圧倒的なパワーで敵を押しつぶす──!!


“ぬうううっ……! 仕方あるまい……!”


  パンテオンはジンの拳を受け止めながら大きく息を吸う。その一呼吸と共に血の海の水面に波紋が現れ、パンテオンの足へと流れ込み出した。血管のように血を流しているのか足に細い線が走り出し、脈動する。そして──


「ハアアアアッ!!」


  爆発の如き咆哮が暗いビルを反響させる。血の海は荒れ、脆き壁面はひび割れてゆく。揺れ動く大気、激震する生命の風。魂を糧に錬金されるは世界最古の金属。


 ジンの拳が止まる。力が抜けたのではない。力がはじめたのだ。黒い籠手はその上から覆いかぶさるによって固められている。パンテオンの体から生成された金によって。


“貴様に勝ち目はもう無いぞ”


 金属がへし曲げられる音がする。ジンの腕は純金の圧縮によりまるでペットボトルのような容易さで潰されていく。


「ぐあああっ!!」


  苦痛の叫びが響く。押していたジンは逆に押し返され始めた。しかし押し返しているパンテオンは歓喜するどころか苛立ちを見せていた。


“ぬううう……! 忌々しいッ! 何故貴様如きに貴重な金を使わねばならんのだッ!!”


“皮肉なものね。金を生み出す糧として作られた人形にその金を使わされるなんて”


“ああ、全くその通りだ!! 我々が欲している物をこやつはこの私に使わせた……! 断じて許せんッ!!”


  パンテオンはさらに金の圧縮を強め、ジンの体をさらに侵食しながら潰していく。血飛沫と苦痛の悲鳴が上がる。


“なら──アンタのその無駄遣いをさらに無駄にしてあげるわ”


 その意味合いが二人の脳内に入り込んだ時にはもう、この戦いは終わっていた。


“な……”


 ずっぽりと空いた風穴。パンテオンの腹は大半が消失していた。何もされたわけではない。と説明するしか理由づけ出来ないその損失はパンテオンにとって致命傷だった。


“き、さま……味方では、ないのでは、なかったのか……?”


「はぁ……勘違いしないでくれる? この場にいるのは私だけよ? アンタやそこのゴミなんてまずいないに等しいわ。私の自由が全てなんだからアンタにとっての不利益なんか関係ないのよ。だからこれは味方したわけじゃないわ」


 エルゼの言葉の意味をパンテオンは理解することができない。日本語を理解できないということもあるが、恐らく言葉を知ったところでその意味は理解できるはずがない。


“ふっ……訳がわからんが……私が死ねば……あの七人が黙ってはいない……お前はまだしも、その小僧では確実に勝てん……”


“もし仮に私をやる気ならエンキを持ってくることね。個人的にはイナンナとやり合いたいところだけど、こいつにはまだ荷が重いかもしれないからアイツは呼ばないでくれるかしら”


“……なんだ、結局、小僧も数に、入れているではないか……人類のて、き、よ……”


 そう言い残した跡には黄金の粉塵だけが残った。それをエルゼは両手で掬い上げて、血の海に浮かぶ右腕の欠けた青年の前に立つ。


「……な、んで……ごふっ……!ッ……助けて、くれたんだ……?」 


 息も絶え絶えでジンは血を吐きながら目の前の少女に尋ねる。すると少女は手に掬った金をジンにかけながらその問いに答える。


「気まぐれよ。言ったでしょ? 気が向いたら助けるって。この次はないかもしれないから死にたくなければその力を使いこなして生き延びて見せなさい」


 金粉が血に溶け込みながらジンの皮膚に浸透する。そしてエルゼは手をジンの胸に当てて詠唱を開始する。


「──偉大なる緑の惑星よ。我は其方そのものたる自然の御霊。今ここに霊長の名を原点とする古の秘術を使用するその権限を与え賜え。全統括原点神話内に存在するある一柱の権能を今ここに。贄はここに、糧はここに。その奇跡を持って彼の魂の綻びを正したまえ。足枷から逃れよ、敵より逃げよ」


 エルゼの詠唱開始と共にジンの体に振りまかれた金は緑の粒子となり代わり、欠損した腕を修復していく。そして詠唱が終わる頃にはその腕は黒色の籠手ではなく、もとあるべき人のものに戻っていた。


「やっぱりドイツに長く居たからメルゼブルクの呪文が染み付いてるわね」


 エルゼはジンを血の海から引き上げ、おぶる。140センチほどしかないその小さな体にジンの長身はだらりとくの字に曲げられて乗っている。


「お……まえ……」


「今は眠りなさい。ジン。ここは血生臭くてかなわないわ」


 エルゼはジンをおぶったままビルの外へと飛んだ。鳥のように空を飛ぶ彼女の姿は通行人に目撃され、未確認飛行物体としてオカルト掲示板上で話題となってしまったとさ。

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