2-EX-2 暗躍のソルカ

 客船の上、夕日と春の磯風を受けながら。


 ハーピィの戦士たるソルカ・レ・エルカは、獣人の子供の前に膝を付き、その拳を翼で目の前まで持ち上げた。

 その様子を、乗客一行がまじまじと見つめている。

 こと、獣人の相棒であろうエルフは、目を輝かせていると言ってよかった。

 

 (あーあ。全く、マジで何があったんだよ、オマエ)

 脳内のルノフェンに向けて語りかける。

 彼は今、何故か『ルゥ』を名乗り、記憶まで失っているという。


 ルノフェンは、返答しない。

 《アナライズ》の結果を信じるならば、思考は伝わっているはずだ。


 (てゆーか、そもそも元の体に戻りたいのか? まず、そこはっきりさせてくれよ)

 獣人の拳に、唇を近づける。

 彼に答える気がないのなら、この話はおしまい。

 残された時間は、わずかだ。


 「……《ウィスパー》」

 悪霊は、音伝達の魔法を唱えた。

 ソルカが、ニヤリと笑う。


 「昔のボクがどんなだったか、知りたいかな」

 ソルカだけに聞こえるよう、こっそりと。

 

 それを受け、彼は心のなかでうなずく。

 (なら、オレに任せな。オレは、オマエのアソコの形だって知ってる。安心しな)

 「ひえっ!?」

 ドン引きする彼をよそに、いよいよ獣人の指へ、キス。


 (またな、ルノ)

 キスを通じてルノフェンの魔力を送り出し、別れを告げる。


 「ふぉおおおぉぉ……」

 エルフが崩れ落ちる。

 胸を押さえ、瞬きを一切せず、こちらを見ている。

 あいつ、そんなに男同士のキスが好きなのか。


 その圧に若干押されながら、キスを終える。


 「……うん、戻った!」

 ルノフェンの元気そうな声が、フォボスから聞こえてきた。

 若干動揺しているようではあるが、これはソルカが悪いので、目をそらす。


 「恥じらってるところも絵になるなあ……」

 (そうじゃない。そうじゃないんだよ……!)

 変に勘ぐられるのは望むところではないため、軽く微笑む。


 誤魔化しも兼ねて、立ち上がり。

 「まったく、手間かけさせやがって。ほら、後数十分もすれば到着するぜ」

 獣人の頬を翼で撫でる。

 

 「ん……」

 その獣人は、うっとりとした様子で、立ち呆けている。

 人を信頼しきった猫が見せるような、穏やかな目だった。

 

 (文句はそこのエルフに言え――!)

 内心頭を抱えそうになりながらも、セリフを続ける。


 「とにかく、紫宸龍宮へようこそだ、お客人! 大陸で見たことねえヒトやモノ。ウチには大量にあるぜ!」

 「あ……!」

 その声で、皆が我に返る。


 「あと数十分ですと! クラーケンステーキはまだ半分以上ありますよ!」

 商人が慌てる。

 彼の保存ボックスは、クラーケンプリンセスの残りの部分でギッチギチだ。


 「残ったらどうなる!?」

 ソルカが聞く。

 「誰かが持ち帰らなければ、三日ほどで腐ります。新鮮なうちに食べてしまうのが吉かと!」

 「分かった! 滅多に味わえねェ珍味だ! 食いたいやつは食うことに専念しろ! オレも食う!」

 鉤爪でフォークを持ち直す。


 「紫宸龍宮の重鎮は、食い意地が張ってるのね」

 ドライアドの女性が横槍を入れる。


 ソルカは、対外的にはあまり露出しないのであるが、どうもポジションがバレている。

 しかも、紫宸龍宮に入って、一年も経っていない。

 このドライアド、知識の更新が早すぎる。


 「うっせ! オマエも食いたきゃ食え!」

 と反論しつつ、脳内でマークすることを決める。


 (今回の船旅は、覚えておくべき人物が多いぜ……) 

 目の前に、イカステーキが差し出される。

 器用にもう片足で掴んだナイフで切り分け、フォークで口に運ぶ。


 ソルカ・レ・エルカ。

 紫宸龍宮の、染家の配偶者。


 彼の冒険が、今再び始まった。


 ◆◆


 「ということだ、仙月シェンユェ。アイツ、まだこの世界に居たわ」

 染家、執務室。

 青紫色をベースとした室内には、書類や資料が所狭しと置かれている。

 うず高く積まれている、というほどではないが、整頓されているとも言い切れない、微妙な塩梅だ。


 執務室の黒樫机、その向こう。

 仙月と呼ばれた鬼人族オルクスの女性は、穏やかに顔を上げる。

 その角は、半ばほどでポッキリと折れていた。

 「あら~」

 ソルカの話に興味を持ち、側に寄るように手招きする。


 「よくあの子を見つけたわね~。よしよし」

 仙月は、かつて『グレーヴァ・ガルデ』を名乗っていた。

 身分を隠すためである。

 本来の彼女は、紫宸龍宮を支配する十二家の一つ、染家の跡取りであった。

 

 そして、複数の国を股にかける大きな冒険を経て、ソルカを引き連れて戻ってきたのである。

 今度は、当主としての風格を備えながら、だ。


 「結構恥ずかしいんだよな、それ。……誰も見てないから良いけど」

 頭を抱えこまれ、わしゃわしゃと撫でられながら、ソルカは照れる。

 「だってアナタ、好きでしょ~?」

 「そうなんだけどさ」

 

 スキンシップは程々にして、本題に。

 「染家ウチで保護したい気もするんだよな。紫宸龍宮、結構踏むとヤバいタブーが多いし」

 「そうね~」

 ソルカの翼を毛づくろいしながら、話を続ける。

 

 「後は、アイツの肉体もどうにかしなきゃなンねぇ。理論上は、人形でもアイツは入り込めるはずだ。人形には動くための筋肉がないから、もっと別のモン用意しなきゃだけど」

 勢いで『任せな』と言ってしまったが、実のところ、ノープランであった。


 「オドくんなら、創造できるかもしれないけどね~」

 「確かになあ。でも、オドくん捕まるかなあ……?」

 風のうわさによると、オドとは連絡が取れないらしい。

 例えば、紫宸龍宮でも、コウ家は配偶者確保に苦労している。

 そこでオドを迎えようという動きがあるようなのだが、上手く行っていないようだった。


 これは単に、オドのパーティが、異常な速度で旅をしているためである。

 彼を乗せる、クレオネスとかいう獣人は、馬よりも遥かに速く地を駆ける。

 パーティが起きている間は、常時オドが支援魔法を掛けているのだ。


 その上、一つの街に長期滞在するということが、あまりない。

 郵便が、追いつかないのである。

 そのため、彼への連絡は概ね神々を経由して、テレパシーで行われることが多い。

 最後に、神々は特定の勢力に肩入れしたがらないという傾向が、『捕まらない』の五文字として圧縮される経緯となっていた。


 「お願いするのはタダだから、ツェルイェソド様にお祈りしておくわね~」

 「助かる。並行して、幾つかプランを考えておかねェとな」

 仙月シェンユェが協力的なのは、ありがたいことだった。


 唐突に、ドン、ドンと扉が叩かれる。

 ソルカは飛び退き、衣服に乱れが無いかチェックする。


 「当主殿! 事件だ!」

 敵襲ではない。それは、室内の二人には分かっていた。

 「入りなさい」

 「応!」

 執務室にズカズカと踏み入ったのは、身長二.五メートルはあろうかという、巨大な鬼人族オルクスの大男。

 彼の名は、水破鏑スイハ・カブラ

 かつては仙月の配偶者であったが、当の仙月が婚約を拒否。

 そのまま決闘にも破れ、仙月は出奔し……帰ってきたらソルカが側に居た、というわけである。


 なお、ソルカとも決闘したが、その際もソルカの奥義をモロに食らい、土を付けている。

 弱いわけではないが、ソルカは決闘のエキスパート。相手が悪かった。

 

 「どうした、鏑さん。オレが出た方が良い問題か?」

 「場合による。先に、報告させてくれ」

 「分かった」


 椅子を用意し、座らせる。

 木の皮を編んで作られた椅子は、鏑の重い肉体を受け止め、ギシギシと軋んだ。

 

 「端的に言う。新しく入国してきた冒険者パーティが、麗家の兄君に無礼を働いた。奴は怒り心頭だ。何をするかわからない」

 「そりゃひでぇな」

 鏑の後ろから走ってきた使用人が、息を切らしながら人数分の水を用意する。


 「……で、やらかしたのはどこのどいつだ? そのパーティの特徴は?」

 恐らく、彼らが生きて大陸に戻ることはあるまい。

 そういう諦念を抱きながら、続きを促す。


 「獣人の軽戦士、エルフの魔術師。ドワーフのクラフターと、ドライアドの重戦士だ。弱くはないが――」

 見覚えのある、構成だった。


 「待て、待て待て。ちょーっと待て。獣人の方は年端も行かないガキだったりしねェか?」

 「ああ、そうだが。ソルカの兄貴、どこでそれを知った?」

 「あーーーーーーーーあのバカ野郎!!!!!」

 床に、仰向けに倒れる。


 間違いなくルノフェン一行じゃねえかよ。

 叫びたいのをこらえ、声を絞り出す。


 「あら~……」

 仙月が、端的にこれまでの経緯を共有した。


 「確か、ルノフェン殿はアヴィルティファレト様がお呼びになった神子だったな」

 水破鏑が事実を確認する。

 残りの二人が頷き、水破鏑は事の重大さを理解する。


 まず、ルノフェンが失われれば、アヴィルティファレトの領域である、黄砂連合との関係が壊滅的になるだろう。

 次に、ドライアドの方も気がかりだ。使者だと仮定すると、ミトラ=ゲ=テーア共和国にも話を通さなければならない。


 「国単位の利害関係者は、その二国かしらね~」

 「当主殿。であれば、私が今から飛びましょうか」

 水破鏑が提案するが、仙月は頭を振る。


 「麗梅恭の配下が動き出すまで、多分最短で三日。テレポーターを使わないとほとんど間に合わない距離ね~」

 「なら、身体が軽くて転送コストの安いオレが行くぜ。鏑さんは、ミトラ=ゲ=テーア大使に目を光らせておいてくれ」

 「御意」

 ソルカは水を飲み干し、早速準備にとりかかる。


 「ルノフェン本人はどうしようかしらね~?」

 護衛をつけるかどうか、という意味である。

 「オレらよりアイツのほうが強ぇ。下手に介入しても邪魔になるだけだ」

 「……それもそうね~」

 水破鏑は既に退出し、染家に抱えている兵士に向けて通達を出しに行ったようだ。


 「ったく。もっと仙月と一緒に居たいんだがなあ」

 ソルカは、仙月のお腹をさする。

 その胎内には、新たな生命が宿っている。


 「帰ってきたらまた甘やかしてあげるわね~」

 「頼むわ。じゃあ、行ってくる。吉報を待ってな」

 ぴょん、ぴょんとジャンプし、そのまま窓から外へ飛び立つ。


 「行ってらっしゃい~」

 仙月はその背中に手を振り、見送った。


 ◆◆


 「ウオオオオオオ!」

 野太い叫び声とともに、大上段からハルバードが振り下ろされる。


 相手は脚を持つものレゲル。体長四メートルの、バッファロー型ケンタウロス。

 攻撃を武器で受けるのは論外。膂力に差がありすぎる。

 さりとて、背後や側方へのステップも危険だ。強力な一撃は恐らく大地を砕き、その破片すらも危険な武器とするだろう。


 質量の先には、バタフライマスクを付けたソルカ。

 彼の選択は、そのどれでもない。

 「《テレポーテーション》! オレのこと、あんまり知らねェみたいだな!」

 転移先はケンタウロスの後頭部。

 鉤爪に持った長剣を振り抜き、一閃。


 「ウオッ!?」

 狙いすました一撃は、ケンタウロスの重心を揺らし、よろめかせる。


 その瞬間、二者は歓声に包まれた。

 「ワアアーッ!」

 「ソルカくーん!」

 「このまま押し込めーッ!」

 

 二人が戦っている場所。

 それは、黄砂連合北の大都市、ラハット・ジャミラの闘技場であった。


 「ウオラーッ!」

 苦し紛れに《アイス・ペブル》で反撃するも、スレスレでかわす。

 それも、大きく回るのではなく、氷弾の間をすり抜けるように。

 顔面の横を通る一つの飛礫が、ソルカには一切のダメージを与えず、仮面だけをもぎ取っていく。

 挑発だ。

 オマエの攻撃など一発も当たらないぞという、宣言だった。


 敵は、筆頭闘士の一人。

 異名は、『ホームラン・ナイト』。

 昔の筆頭闘士はソルカともう一人だけだった。二頭と呼ばれていたはずだ。

 今は三人居て、三鼎さんていとなっているそうだ。


 再び接近し、もう一撃入れて距離を取る。

 宙返りし、あくびをする。パフォーマンスの一環だ。


 「おお、おお! 誰かと思えば仮面の下は二頭の片割れ。時代遅れの化石かと思っていたが、中々やるようだな」

 ホームラン・ナイトは煽る。

 声は自動的に観客まで届くのだ。


 「あ? オレのこと知ってんの? だったらもうちょっとお勉強しときゃよかったのになあ?」

 煽りに乗る。

 闘士たるもの、短気であるべし。

 言葉には拳を、拳には剣撃を。

 そうして観客を高めるのが、仕事であった。


 「知ってるぞ? お前、引退試合で奥義を破られ、盛大に負けたじゃないか。特等席で見てたからなあ」

 クク、と笑う。

 ハルバードを地面に突き、クイクイと手招きする。

 

 お前の嵐剣ハ・セアラーを出せ、と言っているのだ。


 「ほーう。闘士かと思ったら、オレのファンだったってわけだ。良いねえ、滾るよ」

 求められたなら、仕方がない。

 長剣の仕掛けを触り、分解し、中から一振りの短剣を取り出す。


 歓刀ファナティック。

 闘技場での愛剣が何度も磨かれ、素材を継ぎ足して鍛えられるうちに、いつしかレリック級と化した代物だ。

 これまではマスターピース品の領域にとどまっていたが、引退試合を機に覚醒。ひとつ上のグレードに上がったのである。


 「……む?」

 対戦相手は、訝しむ。

 当然だ。

 かくいうソルカも、愛剣の変異については試合が組まれる直前に気づいたのである。

 

 「これ、良いだろ? 観客オマエラの声援が、力になる。観客の熱気が、オレを強くしてくれる」

 脚を広げ、天にその短剣を掲げる。


 「オマエラ! オレの奥義の名前、覚えてるよな!」

 観客に問う。

 彼らは、熱狂で応えた。


 「ハ・セアラー!」

 「ハ・セアラーだ!」

 「やっちまえーっ!」


 半年は、彼を忘れるには短すぎた。


 「良いだろう! オマエラの望み通りにしてやるぜ!」

 愛剣の能力を起動する。

 ソルカの姿が揺らぎ、ホームラン・ナイトを取り囲むように、八つの分身体が現れる。


 ホームラン・ナイトは、ハルバードを構え。

 「猪口才ちょこざいな! まとめて潰してやろう! 《アースクエイク》!」

 地に突き下ろすと、体の底から痺れるような地震が、決闘場に響き渡る。


 (冷気と、鉱石属性。あとは生命か。いずれも上級の魔法までしか見せてないが、見どころはあるな)

 ソルカは、既に飛んでいた。


 「《グレーター・スピードアップ》」

 八つの分身体とともに、ホームラン・ナイトの方に急加速する。


 (わざわざ、先輩に気を使う必要もねェのにな)

 下からすくい上げるように、胴へ分身の一撃。


 二撃、三撃、四、五、六。


 七発目でホームラン・ナイトの身体は大地から離れ、八発目で上空に跳ね飛ばされる。


 「声援、ありがとな!」

 吹き飛んだ先には、《テレポーテーション》で転移したソルカの本体。


 最後に九回目の踵落としを入れると、対戦相手のブローチは粉々に砕け、試合は決着した。


 「ワオオーッ!」

 「ハ・セアラーが綺麗に入ったぞ!」

 「いや、あれは……ハ・セアラー改ではないか!?」

 「改!」


 ソルカはひらりと宙返りし、倒れ伏すホームラン・ナイトの前に降りる。

 まもなく、審判が闘技場の方にやってきて、ソルカの翼を掲げ、宣言する。

 「勝者! マスクド・ソルカ!」


 再び、観客席は湧いた。


 「ワアアーッ!」

 「ホームラン・ナイトに賭けてたカネ返せー!」

 「お兄ちゃんすてきー!」


 これじゃあ、変装した意味がないな。

 背中に黄色い声を浴びながら、控室の方に歩いていく。

 輝かしい太陽の光から、屋内の影へ。


 「良かったよ、ソルカくん。やはり君は、ここぞというときに外さないな」

 パチパチと、ゆったり拍手し、出迎える者が居た。

 程々に引き締まった色黒の体躯。今日はターバンなし、禿頭。

 彼は、裾に楔を生やしたマントをいつも着けている。


 「久しぶりだな、ザインさん。」

 近寄って、一礼。


 かつて、二人はもう少し気安い関係であったが、今は違う。

 ザインはラハット・ジャミラの意思としてここに来ている。

 ソルカも、個人としてではない。今は紫宸龍宮の、染家の使いである。


 「ルノフェンの件、確かに承った。君を打ち破った、あの神子がそう簡単に死ぬとは思わないが――万が一はあり得るだろうからな」

 「ああ」

 紫宸龍宮と黄砂連合。そもそも大陸の反対側にある二つの国。

 直接戦うことはないだろうが、もし仮にルノフェンが倒され、黄砂連合側が報復に出ることを決めた場合、その経済力は間違いなく脅威であった。


 「となると、ルノフェンの魂が、強者とは言い難い獣人の肉体に閉じ込められている状況は、いささか良くないわけだ」

 「理解が早くて助かる。流石はジャミール家の次期頭目だな。良い案はねェか?」

 問いを受け、ザインは「入れ」と、控室の外から人を呼ぶ。


 白髪、姿勢の良い初老の男性が、礼儀正しく垂れ幕を潜ってやってきた。


 「……誰だ? 初めましてか?」

 ソルカは訝しむ。

 彼の記憶の中に、その男性の記憶はない。


 「ほとんどそのはずだ。私の名は、アースドラゴンと言う」

 アースドラゴン。

 聞き覚えはあるが、目の前の男の姿と一致しない。


 「機械種族ディータだ。確か、『イスカーツェル・レガシィ』異変後のパーティで、一度だけお会いしたはずだ」

 「アースドラゴン……モグラ……。あ! そういうことか! 全く分からなかった。詫びるよ」

 第一部二話で、ルノフェンたちをこの都市まで運んだ機械種族ディータであった。


 「先の異変の後、アルム少年とやらが営業をかけてきてね。ヒトと遜色ない姿の素体が、幾つか発掘され始めたらしい」

 ザインが説明する。

 アースドラゴンの腕を取り、手のひらを押すと、自然に窪んでいった。


 「それは良いな。カスタムも行けるのか?」

 「急ピッチで開発を進めている、とは聞いた」

 「価格は?」

 「無改造で五万シェルから。“誰かに似せる”なら追加でもう三万を予定しているそうだ」


 八万シェル。読者の世界においては、概ね一ドルが一シェルに対応するものと考えてよいだろう。

 とにかく、一介の市民が払える金額ではない。そうソルカは感じたが。


 「都市にとってははした金、といった具合だな」

 「ああ。必要な額の大半は、今しがた君が稼いでくれた。残りはこちらで出す。君に一シェルも渡せないのは心が痛むがね。彼のボディについては、ジャミール家で進める。染家に直接送って良いかね?」

 「頼むわ。感謝する」

 突き出されたザインの拳へ、拳の代わりに翼を当てる。


 「んじゃ、ミトラ=ゲ=テーアに行ってくるわ」

 闘技用のブローチを首から外し、机の上に置く。


 「忙しいことだ。コーヒーの一杯でも共に飲もうと思ったが、事態は急を要する。諦めるとしよう」

 「悪ィな。ホームラン・ナイトによろしく言っといてくれ。アイツ、もっと伸びるぜ」

 ソルカは、来たときと同じように早駆けで闘技施設から去ってゆく。

 ザインも用は済んだとばかりに、控室から退出していった。

 

 静かになった控室に、バタバタと誰かがやってくる。

 「ソルカさん! 俺の腕前どうでした!?」

 現れたのは、先ほどまでソルカと戦っていたホームラン・ナイトだ。


 「ソルカ君なら、先ほど帰ったな」

 良い姿勢のまま、アースドラゴンが無慈悲に告げる。


 「そんな――!」

 落胆するホームラン・ナイト。

 闘技場では見事な煽りを決める彼も、プライベートでは純朴な青年だった。


 「だが、君のことを褒めていたよ。“もっと伸びる”そうだ」

 「本当ですか!?」

 一転、興奮したように、アースドラゴンに詰め寄る。


 「君はまだまだ若い。頑張れば、いつかは追いつけるだろうな」

 「ううっ! 胸に刻みます!」

 願うように、ホームラン・ナイトは手を組み合わせる。


 いつか、対等に渡り合えるその日を夢見て――!


 ◆◆


 「すまないが、少し離れてくれないか。このボディは排熱が甘くてね」

 「あっ! すみませんでした!」

 

 ◆◆


 その後、ミトラ=ゲ=テーアの議員にも面会し、帰路へとつく。

 麗梅恭が動き出すであろう、四日目がやってくる前に訪ねるべきは訪ねた。

 

 帰りは、鈍行。

 テレポーターは非常に燃費が悪い。

 国家であっても、軍隊を送るなどの大規模な転移は不可能に近いくらいだ。


 今回、染家もそれなりのコストは払った。

 ソルカは、見合う働きをしたはずだ。


 結実の月も中旬になったころ、ソルカは再び紫宸龍宮に戻ってきた。

 ほぼ三ヶ月に渡る旅を終え、仙月シェンユェの膝に頭をあずけ、ぐっすりと眠っている。


 「ふふ……」

 聞いた話では、道中でグリズリーキングに遭遇したとか、盗賊団を返り討ちにしたとか。

 その全てが、真実なのだろう。

 仙月は、彼の頭を愛おしそうに撫でる。


 「最後にもう一仕事、してもらわないとね~」

 ルノフェンのボディは、無事手に入った。

 麗家の妹君を経由して、彼を閉じ込める檻であると偽った上で、麗梅恭に渡している。

 

 「ん、うう――」

 やがて、ソルカはゆっくりと目を覚ます。


 「おかえり、あなた」

 彼の視線の先には、当然仙月の顔がある。


 「ただいま、仙月。……オレ、どこで寝てた?」

 「帰ってくるなり、バタンって。無理させてごめんね~」

 ソルカは、仙月の膝の上に座りなおす。

 

 「仙月のためなら、なんだってするさ」

 「嬉しいわ~」

 ふふ、と微笑み、翼を撫でる。


 「状況は、どうなった?」

 「一から説明するわね~」

 ルノフェンが、生き延びていること。

 麗梅恭による大使の暗殺は水破鏑の横槍で失敗したこと。

 例のドライアドが襲われ、その報復で下手人が無力化されたこと。


 「鏑さんにも褒美をやらなくちゃな」

 「ボーナスをあげておいたわ~」

 「……そっか」


 話を戻す。

 

 「それで、あっちの計画だと、四肢をもいでおいたボディにルノフェンの魂を封じ込め、魔力を搾取し続けるシステムを作る、と」

 「酷いことを考えるわよね~」

 計画通りに行けば、麗梅恭は紫宸龍宮を束ねるほどの力を身につける可能性が高い。


 ただ。


 「ルノフェンあいつ、確か闇の腕を作って殴る呪文、使ってたよな?」

 「使ってたわね~」

 先の異変の当事者二人には、彼の戦闘スタイルを理解している。

 ルノフェンのやり方は、あまりにも英雄に似つかわしくない、むしろヴィランめいた戦法でもある。

 そのため、マスメディアは風の側面を強調することが多いようであった。


 「このままだと麗家の兄君は、ドライアドを襲った刺客みたいなことになるかもしれないわね~」

 「それはそれで、しこりが残るな」

 ソルカはすっくと立ち上がり、伸びをする。


 「ちなみに、向こうの決行日は三日後ね~。ルノフェンくんのパーティがシルバー級の昇格試験を受けるから、分断のチャンスというわけね~」

 「ギリギリで間に合ったって感じだな」

 間に合わなければ水破鏑を行かせていただろうが、彼は個として戦うよりも、軍団の指揮をするほうが向いている。


 「私としては、もうちょっと休んでから行ってほしいんだけどね~」

 「不折梅都おれざるうめのみやこだろ? なら今から行かなきゃ間に合わねえよ」


 荷物をまとめ、再び旅に出ようとするソルカを、仙月は引き止める。


 「ん」

 「ご飯くらいは食べていきましょうね~。あなた、いくら丈夫だからって限度があるわ~」

 「……すっかり忘れてたわ。ありがと」

 

 久しぶりの、紫宸龍宮の食事。

 料理を作るのは仙月ではなく使用人の仕事だが、やっぱり新鮮な食材は美味かった。

 柑橘で香り付けしたサバを懐かしく思った自分に、フッと笑いも出た。


 さて、諸々の移動を済ませて、麗家の領域に。


 宿を借り、丸二日もぐっすりと睡眠を取ったソルカは、麗梅恭が試験会場入りするのを見計らって、後をつける。

 冒険者ギルドには、直前で話を通した。

 名目上は、ゴールド級冒険者の代わりにソルカが試験官となっているはずだ。


 彼の足には、刃付きのブーツが装備されている。

 銘は、『桔梗の鎌斬靴』。染家の家宝を再現しようとした、レリック級アイテムだ。


 麗梅恭は、光差す聖堂に入り、物陰に隠れる。

 床には、ルノフェンのボディが安置されている。


 ソルカの姿と足音は、呪文で完全に消してある。

 彼のミッションは、全てを有耶無耶のうちに終わらせること。

 

 例の、フォボスという獣人が殺されそうなら、止める。

 麗梅恭が致命傷を負いそうになっても、止める。


 実力がなければ、返り討ちにあって終わり。

 ソルカが一番適した仕事だ。誇らしかった。


 (来たな)

 フォボスが転移してきて、ルノフェンのボディを見つける。


 ルノフェンとフォボスは、短いやり取りをして。

 (やるねえ)

 フォボスは自発的に、ルノフェンの唇にキスをする。

 

 (おっと)

 隠れていた麗梅恭が、フォボスに急襲をかける。

 水平斬り、切り上げ、キック。

 いずれも重い攻撃だ。


 飛び出そうとしたソルカは、フォボスの身のこなしを見て思いとどまった。

 (あいつ、最初に見たときとは全然違う動きだな)

 不意打ちに近い連撃だったが、素晴らしいとも言える直感で、全ていなし切った。

 

 (これは、麗梅恭にとっても予想以上と言う感じだな)

 麗梅恭の背後に移動し、息をひそめる。


 フォボスと麗梅恭が、言葉をかわす。

 獣人の戦士は武器を鉄爪に変え、低く構える。


 ツクツクボウシが鳴き始める。


 麗梅恭の感情は、殺意。

 フォボスの方は、決死の抵抗をしようと言ったところか。

 

 これは、出ないとまずそうだ。


 息を吸い込み、ソルカは聖堂内に声を響かせる。 


 「なあ、そろそろ良いか?」


 後は、読者にとっては、知ってのとおりだろうな。


 ◆◆


 そういうわけで、全てが丸く収まった。

 厳密に言えば丸く収まっていないヤツも居るが、まあ九十五点くらいは取れた立ち回りだったんじゃねえかな。


 あの後、仙月には目一杯褒めてもらった。


 でももうじき、オレは仙月にとっての一番じゃあなくなる。


 心配すんなって。悲しいというよりは、嬉しいことだ。

 

 なぜなら――


 「上体起こして!」

 「分かった!」

 寝かせられている仙月の、上半身を支えてやる。


 「はっ、はっ、はっ!」

 仙月は痛みに耐えながら、短い呼吸。


 これを、何度も繰り返す。


 もう、全体の工程は後半だ。


 「頑張れ、仙月シェンユェ……!」

 無事に行ってくれ。

 ソルカは最初から、それしか考えていない。


 やがて、仙月の体内から、赤子の頭が。

 肩が。翼が。

 腕、胴、尻、足の順番で、世界に挨拶する。


 青肌の、天使マルアクだ。

 女の子だった。


 名前も、もう決めてある。

 「仙陽シェンヤン……!」

 仙月の仙、ソルカのソル。伝統的な名付けだろ?


 処置を追えた仙陽は、分娩室の中で泣きわめく。

 無事に毛布にくるまれ、検査室へと移される。

 この分だと、心配なさそうだ。


 仙月は、息も絶え絶えにソルカを呼ぶ。

 「お疲れ様、仙月」

 今度は、ソルカの方から頭を撫でる。

 いつもとは逆だ。


 「抱っこできるのが……楽しみね~」

 「……そうだな」


 本音を言えば、寂しくもある。

 けど、その寂しさの分、仙陽は愛されるってわけだ。

 

 「あのね、あなた」

 「ん」

 仙月の方から要求してくるのは、珍しい。


 「子供、もっと作りたいなって」

 「……わかったよ、いくらでも付き合うさ」


 今しがた産みの苦しみを味わったばっかりなのに、元気なものである。


 「後は、もう暫くこうしていたいな~」

 「それも、いくらでも付き合うぜ」


 二人は、今日から三人になった。

 多分、じきに四人になるだろうな。


 【終】

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