2-EX-1 メアちゃんの戦場

 開花の月五月、終わりごろ。

 フォボスは隣のベッドでうずくまり、すやすやと寝息を立てている。


 今は深夜。

 やや湿気を帯びた空気が漂う、そんな時期。


 二つあるベッドのうち、フォボスが寝ていない方のベッドから、こっそりと起き上がってくる少女が、今回の主人公。


 つまり、メアだ。


 物音を立てず、毛布の中から這い出した彼女は、フォボスを起こさないように、ゆっくり。ゆっくりと、荷物袋に手をかける。


 まだ《ライト》は点けない。

 手探りで、物音を立てないよう、目的のものを掘り出す。


 それは、紙束であった。

 全部合わせても十数枚ほどの、薄い紙束だ。

 紙束は端のほうで綴じられ、辛うじて書物の体裁をなしている。

 

 薄い、薄い本だった。


 メアはその本の表紙をなぞり、手触りでどの本なのかを判別し、荷物袋の中に戻す。

 そして、別のものを取り出し、今日はこの本にしようと決めた。


 表紙にはソルモンテーユ皇国の皇太子であるルシュリエディトと、同国サヴィニアック伯夫人たるセレスティナが並び立っている。

 いずれも美男美女。かつ、描かれた被写体はその魅力を強調するようなポーズを取っていた。


 本を片手にもったまま、忍び足で部屋の外へ向かうメア。

 

 「むにゃ」

 フォボスの寝言を不意に耳にし、悪事を働いた猫めいて体をこわばらせる。


 「すぅ」

 とはいえ、彼が起きていない様子であったので、そのまま退出。


 自室を出て、今度はピリとクロヴの部屋の前を横切る。

 ピリはともかくクロヴの方は盛大にいびきをかいている。起きる心配はなさそうだ。


 もっとも、この活動はすでに彼女たちにバレているので、たとえ起きていたところで多少の小言をもらうくらいだろう。


 メアが向かう先は、トイレ。

 難関はすでに突破した。この時間に起きてくる冒険者がいないことは、これまでの経験でわかっている。


 「ふう」

 トイレのドアを開け、鍵を閉める。

 《ライト》を無詠唱で発動し、本を照らす。


 男女の、モノによっては同性の営みを書いた、薄い本。

 白日教において絶対に公認されることのない、禁書。

 その詳細は、今更ここに書き記す必要もないだろう。


 メアは便座に座り、読み始める。

 絵の一コマ一コマを食い入るように見つめ、脳内でその情景を想像する。

 

 まあとにかく、そういうことで。


 「ふーっ……」

 たっぷり二十分かけて読み終えた彼女は、トイレに痕跡を残さぬよう、《クリンネス》で念入りに掃除をしてから、再び忍び足で自室に戻る。


 誰にもバレずに、元いた場所へ。


 本を荷物袋の奥底にしまい直し、衣服の乱れを直してから、ベッドに潜る。

 これで、今週も頑張れる。


 だけど、こうも思う。


 (そのうち、バレちゃうよね)

 フォボスにはまだ言えない、秘密の行動。

 彼にはまだ早い、秘すべき行動。


 (まあ、でも……)

 湿った夜に包まれ、彼女は目を閉じる。

 疲労が眠気を引き入れて、頭の中が静かになってゆく。


 (……なんだっけ)

 続きを考える間もなく、彼女の意識は微睡みへと落ちていった。


 ◆◆


 その日、彼女は夢を見た。

 さっきの思考の続きだったか、それとも単なる連想か。

 とにかく、彼女は今よりも若い姿で海岸に立っていた。


 きれいな海岸だ。皇都ロークレールから南に外れて、たったの二マイル。

 港からシュヴェルトハーゲンに送り出される船がいつでも見られる、エルフの集落。


 「ここは」

 メアは知っている。

 彼女の故郷。『水色の』ブレーウィスト村。

 もう、この村は無い。

 拡大するロークレールに取り込まれ、開発の後、今は数ある養殖場の一つになっているはずだ。


 「こんなんだったっけなあ」

 ウィン姉に見せられた写真は、今見ている夢の中の光景を写していた気がする。

 今となっては曖昧な記憶だが、記憶よりも記録は雄弁だ。


 あの頃のメアは、幼かった。

 成人して長い間姿が変わらないエルフが、肉体的に成長する僅かな時間。

 

 立ち尽くしていると、波打ち際に何かが流れてきたことに気づく。


 それは、本である。

 先程まで読んでいたような、子供には早い本。


 「あ!」

 背後から、ウィン姉の声がする。

 当時のメアよりもだいぶ背の高い彼女は、てこてこと横をすり抜け、本に向かう。


 持ち上げ、表紙を読み上げる。

 

 「『マイムケセド×カルマルクトあまあま本』……?」

 覚えている。

 確かこの後、ウィン姉は表紙をめくって、それで。


 「なっ!? なななななんなのよこれ!?」

 最初のシーンを見て顔を赤くし、天高く放り捨てる。

 保存の魔法が掛けられた書物は、暫くひらひらと舞ったあと、砂浜の上にパサッと落ちた。


 ウィン姉は、すでに走り去っている。

 辺りには誰もいない。みゃあみゃあと鳴くウミネコを除いては。


 「……」

 罪を犯すかのように、きょろきょろとあたりを見渡す。

 

 本の下まで歩み寄り、拾い上げる。

 表紙を見つめ、カァっと頬が赤くなるのを感じつつ。


 「本は読むためにあるんだし、良いよね」

 と、懐に仕舞った。


 これが、メアと禁書の出会いであった。


 夢は、続く。

 禁書を鍵として、別の記憶が呼び覚まされる。


 メアたちはその後、隣国シュヴェルトハーゲンで発生した動乱を嫌い、ミトラ=ゲ=テーア内のテセラ・ティーグリに根を下ろすことになる。

 故郷を捨てるのかと反発した者も居た。

 ウィン姉を含む彼らは、ソルモンテーユ皇国に残った。

 結果として当時の戦火が飛び火することはなかったが、分家との関係修復には三十年を要した。


 それはそうと、その間にメアは独り立ちを果たした。

 都市内の小さな図書館に雇われ、司書見習いとして働いていた。

 

 「ふんふふーん」

 上機嫌に鼻歌を歌いながら、本の埃を払う。

 

 この世界にも、ちゃんとした本はある。

 最初の一冊を仕上げるのは大変だが、アナンコクマーの神殿から認定を受けることができれば、機械種族ディータの手を借りて印刷してもらえるのである。


 異国の辞典、文学。

 次に児童書の棚まで移動して、違和感に気づく。


 「んん?」

 絵本と絵本の間に、見慣れない本が挟まっている。


 その薄さは、メアからすれば見覚えのあるものだ。

 

 「まさか」

 顔をしかめ、児童書の棚にあるべきではない不純物を抜き取る。

 タイトルは、「緑の神子VS触手乱舞イビルゲイザー」。

 堕ちモノであった。


 いつの間にか、背後に司書が立っている。

 名前はジプレー。

 ボサボサとした暗紫髪の、けだるげな女性だ。

 「あー……児童書にエロ本混ぜる変態……たまに居るんだよねー……」

 彼女はダウナーな声でメアを慰める。


 「よくあることなんですか?」

 声を潜め、ジプレーに聞く。

 「二ヶ月に一回くらいかなー……。子供がやってくる前に見つけてくれてありがとね

ー……」

 流石に動じない。慣れているようだ。


 「ところで、メアちゃんー……。これは個人的なことなんだけどー……」

 ジプレーは、何かに思い当たったようだ。

 

 「なんでしょう?」

 彼女がこのように絡んでくることは、珍しい。

 メアは続きを促す。

 

 「あなた、禁書これ見てもあんまり動揺してないよねー……。もしかして、隠してるだけで『書き紡ぎ』だったりするー……?」

 「書き紡ぎ?」

 聞き慣れない単語を、そのまま返す。


 「んんー……? わからないなら良いよー……」

 ジプレーは残念そうに、背中を向ける。 


 とても、寂しそうだった。


 「もしかして、これを書いてる人のことですか?」

 語感から推測し、食いついてみる。

 メアからすれば貴重な雑談の種だ。

 それに、興味自体はある。

 

 「おー……。当たりー……。二つの意味でー……」

 振り返ったジプレーの表情は、それはもう嬉しそうだった。

 数年ぶりに同志を見つけたような、喜びに満ちた表情だ。文字通り。


 「もしかして、ジプレーさんは」

 メアの問いには、首肯。

 しかも、現役であった。


 「ちょうどいいや……。ついてきてー」

 ジプレーはメアを地下のバックヤードへいざなう。

 カラフルなレンガで囲まれた、モノの密度の高い部屋には、劣化してしまった本や、これから表に出す予定の本が積まれている。

 メアは気づかなかったが、レンガの中に一つだけ、炭のように黒いものが混じっていた。


 「これ、押してー……」

 「は、はい」

 恐る恐る、従う。


 メアの腕は、ほとんど抵抗なくレンガをすり抜けた。


 「あっ! レンガじゃなくて布!? 《ポリモーフ》だ!」

 精巧な外見偽装の魔法。

 ちょうど人が一人通れる大きさの、トンネルが掘られているようだ。


 「明日から闇昇節が始まるよねー……」

 闇昇節。

 読者世界で言えば、冬至付近の一週間は忌み日として休日となっている。


 「実は、今日は前夜祭でねー……」

 彼女の言葉は、地上から降りてきた第三者によって中断される。


 「お? ジプレーはともかく、そこのエルフは見ない顔だね?」

 ミツバチの蟲人族だ。

 彼女は、蟲人とは思えない程の流暢さで語りかけてくる。


 「この子は新入りー。メアフィオーラだよー……」

 「メアって呼んでください。ところで、貴女は?」

 バックヤードに入ってきたことに困惑しつつも、対応する。


 「む、では名乗ろうか。妾はゲルジャ・ホ・ネスィハ。ゲルジャでいい。ペンネームは『灼ける毒針』」

 「ペンネーム。じゃあ、『書き紡ぎ』の一人ってことですか!」

 「そうだとも!」

 ゲルジャは肩提げのバッグから、数冊の本を取り出す。


 その全てが、ハードコアであった。


 「うわ、うわ」

 メアは赤面し、ワタワタと慌てる。


 「ふむ、確かに。これを見て吐いたり泣いたりしないのなら、適性ありだね」

 「だよねー。普通は光臨節の方がビギナー向けなんだけどー……」

 二人は有望な新人を見る目で、メアを眺める。


 彼女は、多少の闇要素なら問題なく楽しめるくらいには、モノを読みすぎていた。


 「ところで、ですけど」

 今度はメアから話を振る。

 「うん?」

 ゲルジャが受ける。


 「これから、私は何をすれば良いんですか?」

 「えっ?」

 ゲルジャは、ぎょっとした目でジプレーを見る。

 彼女は、この話題がたったの十分前に始まったとは思えないようだった。

 

 「ごめん、説明してなかったー……」

 平謝りし、解説を始める。


 曰く、これから始まるのは禁書の交換会。

 参加者は、開催日までに禁書を収集するか、執筆する。

 そして、会の参加者同士でトレードを行う。

 この場では、シェル通貨でのやり取りは一切行わない。

 ただし、交換レートは互いの合意に基づく。

 目的は、互いを満足させるような取引の場を提供することである。


 説明を受けたメアは、頭に浮かんだ疑問を投げかける。

 「シェルでのやり取りができないのって、結構不便じゃないですか?」

 「あー……」

 やっぱりそれを聞くよね、とゲルジャ。


 「禁書はなんだかんだで禁書だからねー……。物々交換なら問題ないみたいだけど、あんまり大っぴらに営利でやっちゃうと治安維持関係でしょっぴかれるんだよねー……」

 「あっ、それなら仕方ないですね」

 言われてみれば、確かに。

 書店にも少々過激程度の本は並ぶが、ゲルジャの著作を見る限り、交換会に出てくる本は確実に一線を超えているようだ。


 「でも、楽しそう! 今から家に帰って、何冊か持ってきていいですか?」

 「その意気だよー……」

 メアが自宅と往復する頃には、丁度始まっている頃だろう。


 「分かりました! では!」

 彼女は踵を返し、地上へ。

 新たにやって来る参加者とぶつかりかけるも、無事外には出られたようだ。


 「自由だし若い。良いね」

 ゲルジャはその様子を眺め、つぶやく。


 「んー……」

 ジプレーの方は、少し言い淀んでから、言葉に出す。

 「実年齢でいうと、あの子の方がわたしたちより年上なんだけどねー……」

 「そうなの!?」

 そうである。


 「まあいいや。さっさと設営を始めよう。メアさんがどんな本持ってきてるか楽しみだなー」

 「さん……?」


 そういうわけで、交換会の準備が始まった。


 ◆◆


 一時間後。


 ◆◆

 

 メアは偽装トンネルをくぐり、通路の終端へ。

 その会場に居る者は、あまねく仮面を着けていた。

 黒くペイントされた壁紙、暗い色のタペストリー。

 まるで蛮族のサバトを思わせる光景だ。

 

 部屋の中には、幾つもの木机が置かれている。

 『書き紡ぎ』一グループにつき一つの机が割り当てられ、その机を軸に、参加者同士で互いが持ち込んだ禁書を吟味していた。


 「ぜーっ、はーっ。けほっ、はぁ、はぁ」

 完全に息の切れたメアは、近くの柱により掛かる。

 この時期のメアは運動不足だ。無理もない。

 「お、来た来た。《バイタリティ》」

 すでに自前の本を交換し終えたゲルジャが気づき、活力回復の魔法を唱える。


 「ふーっ、ふーっ……」

 息を整え、自分の頬を叩いて気合を入れ直す。


 「ほら、これ着けて。今日のドレスコードだ」

 ゲルジャは仮面を手渡す。

 プラニ木製。黒い塗装。特筆すべきギミックはなし。

 一様に参加者が着けている仮面だ。


 「ありがとう、ございます」

 装着。

 曰く、この仮面を用意したのは、主催ジプレーが“そういう気分だから”とのことである。


 「落ち着いたら、好きなテーブルに並んできなよ! コスプレエリアの参加者を眺めてもいい!」

 「……わかりました!」

 メアは一度深呼吸し、意を決する。


 都市中の禁書が集まるとされる、交換会。

 サークル名は比較的分かりやすいものが多い。

 『ブラッドバス』の前を通り過ぎる。表紙を遠くから見る限り、おそらくゴアだ。メアの趣味ではない。

 『テンタクルケイブ』はどうだろう。興味はあるが、近いジャンルのものは先程入手しており、まだ読めていない。


 三つ程度のサークルの前を通り過ぎ、ようやくメアの気を引くサークルが見つかる。


 「憂鬱なオニキス」

 声に出す。

 墨のような黒で塗られたのぼり旗に、上品な白でサークル名が書かれている。


 禁書の内容も、他とは毛色が違うようだ。

 

 「これは……クるわ」

 「下手にグロいよりキツい」

 「良いんだけど、ムード違いの本しか持ってきてないなあ。悔しい」


 売れ行きは今ひとつ、ということだろうか。


 メアはテーブルに近寄り、挨拶。

 サークル主は、黒いボディの晶人族エーテライトだ。文字通り、鉱石の体である。


 「初めて見る顔だ」

 彼は、オプティマイトと名乗った。

 皮肉なペンネームだ。オプティと呼んで良いそうだ。


 「試し読み、していいですか?」

 「どうぞ。代わりに、僕も君の持ってきたものを読もう」

 メアはライトめな本を二冊、えげつない本を一冊場に出す。


 「おや?」

 オプティは、えげつない方の表紙を見て気づく。

 共通語の文字が使われているが、共通語ではない。

 

 「アンティエンテ語……?」

 いわゆる、この世界における古代ancient語である。

 

 その言葉を聞きつけ、耳ざとい者たちがどこからともなく現れる。


 「アンティエンテ語?」

 「今ヤバい言葉が聞こえたぞ」

 「こんな地方都市の交換会に!?」

 にわかに、人だかりができ始める。


 「遺物かー?」

 「いつのアンティエンテ語だ!? イスカ期以前か!?」

 「押さないでねー!」

 一瞬の間に、もはや『憂鬱なオニキス』の周辺は熱気に包まれた、と言っていいだろう。


 「えーと……?」

 メアは状況が掴めず、人だかりに目を向ける。


 交換会には、様々な人々が集まる。


 例えば、メアのすぐ背後に立っているトレンチコートの少女。

 彼女はトレジャーハンターである。

 古代の遺跡に潜り、その過程で禁書にも触れてきた者だ。


 あるいは、その隣。厚い毛皮を被った兎の獣人。

 彼は好事家で、イスカーツェル期より更に昔の、混沌とした大地にあったと言われるレリックを蒐集している。


 何なら、正面のオプティに関しては、現役の民俗学者である。

 集まった者全員が、血眼であった。


 「なになにー……?」

 騒ぎを聞きつけ、主催ジプレーがやってくる。

 行儀の良い参加者たちは、彼女に道を開ける。

 問題ごとはスタッフへ。これが鉄則だ。


 オプティが事情を説明する。


 アンティエンテ語の禁書は、あまり見かけない。

 現代において失われた言語というわけでもないが、禁書となるような内容であれば、大抵は共通語で書かれるためである。

 であれば、現存するアンティエンテ語の禁書は、現代であれ、古代であれ、レアに違いないのだ。


 「なるほどねー……。ところでメアちゃん。それ、どこで拾ったのー……?」

 探っている。

 経路によっては、厄介なことになるためだ。


 「五代前のおばあちゃんを見送ったときに財産分与のおまけで。百回くらい読んだし、手放してもいいかなって」

 「そっかー」

 問題なさそうであった。

 

 「なら、一つ提案なんだけどー……。その本、読み合わせしてオークション形式にしない……?」

 「なるほど、良いですね!」

 いいぞ! と会場が沸く。


 「読むのは私がやるねー……。『毒針』さんは鑑定できる人が居ないか探して」

 「鑑定ならアタシがやります!」

 トレジャーハンターが名乗りを上げる。

 「では、ワシがサポートしよう。現代のものならともかく、古いものであれば力になれるはずだ」

 兎獣人が挙手。

 「なら、逆にイスカ期より後の本であれば呼んでほしい。どの地域で書かれたか程度であれば、この場で分かると思う」

 オプティも参戦。


 計画が決まったら、後は実行するだけである。


 「なんかとんでもないことになってきちゃったなあ」

 当のエルフは、困惑しながらジプレーに案内され、コスプレエリアに。

 皆で撤収済みの机を持ってきて、即席のフィールドを作る。


 専門家たちが魔法と知見をフル活用し、本の鑑定を済ませた後、ゲルジャがオークションの開催を宣言する。

 ジプレーによって内容が読み上げられると、参加者の三割が良い反応を示すに至った。


 まもなく、メアのもとには十数枚ほどのメモ用紙が押し付けられる。

 それぞれのメモ用紙には、本のタイトルと補足情報のリストがびっしりと書かれていた。

 

 レートは、五冊から十二冊と幅がある。

 中には外国製の本、百ページにも渡る本まで混ざっており、本気度を伺わせる。


 「……あの本、そんなに価値があったのか」

 補足しておくと、長命種の初参加では度々起こる現象であった。


 メアは苦慮しながらも、どうにか交換先の選定を終える。

 十冊の、ジャンルをあえて広めに分けた禁書集。

 そのうちの二冊は、龍宮語で描かれている。紫宸龍宮からの舶来物というわけだ。


 「よしッ!」

 交換先は、兎獣人だった。

 彼にとって、現代モノの価値は殆どない。故に、洋書であろうが容赦なく交換に出せたのだ。


 「まあそうなるよねー……。物流ってやっぱ強いよ」

 本業の傍ら、各国の交換会で国外の本を手がかりとして冊数を増やし、最終的にお目当ての本を見つけていく。

 そういう動きをする者たちは、『渡りの糸』と呼ばれていた。

 彼らによってアンダーグラウンドの交流が進み、技術の底上げが進んでいく。

 むしろ、好ましいものである。


 「ほれ、約束のモノだ。好きに使え」

 メアの前に、ドサっと禁書が積まれる。

 薄い本ではあるが、重なれば中々の重さになろう。


 「ありがとう、ございます」

 メアは、まだ龍宮語は読めない。

 試しに一冊開いてみる。


 厳かな筋肉質の男性が、線の細い男性を拘束し、責めていた。

 「『オルケテル×ツェルイェソド調教本』だねー……」

 ジプレーは読めるらしい。


 ページを開いてゆく。


 「お、お?」

 理解が追いつかないという具合で、分からない文字を絵で補い、追ってゆく。


 「お――」

 くんずほぐれつ。

 耽美。


 「お!」

 この瞬間、メアの脳みそに、新たな領域が拓かれた。


 それからのことは、よく覚えていない。

 上の空な気持ちで、持ち込んだ残りの本を耽美モノと交換していったことだけは、その証拠が戦利品の形で残っている。

 

 今なら言える。


 あの交換会で、完全に嗜好がおかしくなってしまったのだと。


 ◆◆


 光明の月六月後半。

 紫宸龍宮、不折梅都おれざるうめのみやこ


 冬至の前後に闇昇節があるのなら、夏至の前後三日は光臨節だ。

 この期間は、冒険者ギルドにも最低限の人員しか置かれていない。

 祝日、というわけである。


 場面は一日目の朝。よく晴れていた。


 フォボスたちのパーティ『夜明けのケール』のスケジュールに、自由行動の枠を設けるよう強く要望したのはメアだ。

 

 「あっそ。俺様は察しがいいから何も言わん」

 「右に同じ、ね」

 クロヴとピリは、メアが『書き紡ぎ』であることを既に知っている。

 要はバレた。何もかも。


 「メアさんがそこまで言うなら良いけど」

 フォボスは少しだけしょんぼりとした様子で、鬼気迫る様子のメアの要望を受け入れる。


 「まあまあ、淑女にはやンなきゃならねェことがあんのさ。分かってやってくれ」

 クロヴはぽん、ぽんと頭を叩く。


 「一日、一日だけだから!」

 「むー。分かった」

 目線を合わせ、お願いされては仕方がない。

 今日この日だけは、冒険者志望の少年たちと遊ぶことにしたようだ。

 

 「じゃあ俺様はピリと一緒に健全な技術書を探しに行くわ。フリーマーケットはどこかやってるだろ」

 「ストイックね。予算は百シェル」

 「一番ストイックなの、ピリの財布だと思うんだよなあ……」


 そういう会話を聞きながら、メアも自分の行動を開始する。

 「ま、頑張れや」

 「そっちこそ!」

 三方向に分かれ、目的地へまっすぐに向かう。


 今回の識別票は、細いバングル。

 ひまわりの茎を加工して作られた装飾品を、歩きながら右手首に装着。


 人でごった返す商業区の中心から少し外れて、路地裏。

 普段なら、荒くれどもがカツアゲチャンスとばかりに寄ってくる可能性すらある、暗がり。

 だが今日は、明らかにただのチンピラとは練度が違う者たちが目を光らせていた。


 「止まれ」

 ビキニアーマーの戦士と、身の丈ほどの長杖を構えた女神官がメアを阻む。

 手練だ。衣装が神子によって伝えられた『ゲーム』のコスプレであることを加味しても、生半可な相手では即座に門前払い間違いなし。

 なお、この時点のメアであれば、どちらか片方だけと戦う場合に勝利を収める可能性が高いことを付記しておく。


 そんな二人に対しメアが無言でバングルをかざすと、その行為が符牒となり、二人は警戒を解く。

 彼らは警備の手間と引き換えに、禁書を一冊ずつ取り置いてもらっている。

 イベントとしての必要経費だ。文句を言う人は居ない。


 「楽しんでいけ」

 「警備ありがとうございます」

 彼らの間を通り、奥へ。

 廃屋のふりをした民家に入り、地下に潜る。


 会場は、広かった。

 広くて、しかも活気があった。

 テセラ・ティーグリの暖かな空気も良かったが、首都クラスの交換会ともなれば、バチバチとした殺気すら感じられるほどである。


 (《エクステンド・ストレージ》を部屋全体に掛けてるのかな)

 鞄拡張の魔法だが、応用すれば空間を広げることも可能なのだ。


 「おっと」

 メアは当初の目的を思い出す。


 彼女が交換会で最初に手にした耽美本。それを、今日は持ってきている。

 今日は作者に感想を言いに来た。

 あわよくば、自作の本を見て行って欲しい。


 多少よこしまではあるが、咎めるには忍びない欲求。

 早速彼女は、目的のサークルを探すことにした。


 (『バーミリオンローズ』はどこだろう……?)

 不安要素は多い。

 闇昇節で頒布したサークルが、光臨節で活動しているかどうかが一点。

 十三年ほどの歳月を経て、活動を停止していないかがもう一点だ。


 そんな不安は、すぐに消える。

 目当てのサークルはすぐに見つかった。

 赤と白のバラを描いたテーブルクロスは、遠くからでもよく映える。

 彼女は中央の島で、何人かの参加者を相手取っていた。

 

 「ごめんください」

 メアは割って入る。交換会は列に並ぶというより輪に入る方式なので、特に問題はない。


 「む、エルフですか」

 サークル主は、樹妖族ドライアド草花エッツ。ベースは薔薇の、少女だ。

 彼女はこの世に生を受けて三年ほどであるが、成人している。草花種は、成長が早く短命だ。


 「それでなんの用ですか。迷わずここに突っ込んできたってことは、日和見ってわけではないでしょう」

 目を見る。

 熱意のこもった、赤い目だった。


 「これ、感想を言いたくて」

 メアは、件の耽美本を取り出すと、サークル主は、ため息をつく。

 「それ、おばあちゃんのです。おばあちゃんはこの間死にました。ぼくは四代目です」


 「……そっか」

 メアは、少し残念に思いながらも、その気持ちを振り払う。

 「それはそれとして感想は聞くです」

 「うん、分かった」


 思いの丈を伝える。

 この本が『書き紡ぎ』となったきっかけであること。

 今のメアの、心の糧となっていること。

 ……禁書と出会えてよかったということ。


 それを、伝えた。


 「……お姉さん、ぼくはちょっと引いたです。愛が重いです」

 「あ……」


 恥じる。

 熱弁しすぎたかもしれない、と後悔しかけるメアに対し、薔薇の少女は誘う。

 

 「それよりも、お姉さんの持ってきた本、さっさと見せるです。言葉じゃなくてモノで語れです」

 「……そうだね。全部共通語だけど。読める?」

 「バカにすんなです!」


 荷物袋から、数冊の禁書を取り出す。

 半分はメア謹製。獣人の少年が、半鳥ハーピィの戦士にかどわかされる本。

 もう半分は、テセラ・ティーグリ都市で少しずつ貯めてきたコレクションだ。

 

 「ふぅん」

 薔薇の少女からも、試読のために本を受け取る。

 題材は、どれもこれもボーイズラブ。

 代は変われど、安心の読み味だ。

 

 「これが読みたかった……」

 本音を漏らす。

 紙の上で躍動する男たち。

 歪んだ愛をぶつけ合う、顔の良い男たちの本だ。


 「お姉さんが書いた本、なんかリアリティがすごいです。まるで実際見てきたかのような……」

 挙句の果てに、推しが自分の本を褒めてくれる。


 「ぐふっ」

 「お姉さん!?」

 限界が来た。

 机の上に突っ伏し、ぷるぷると震える。


 薔薇の少女はメアの脈を測り、健康であることを確認する。


 「尊死ですねー」

 隣で見ていた、別の参加者が微笑ましそうに煽る。


 「むり……」

 メアは、呻く。

 感情がオーバーフローし、思考がまとまらない。


 その様子を見て、薔薇の少女は。

 「『書き紡ぎ』として最高の賛辞なのです。どや!」

 と、追い打ちをかけた。


 神様、ありがとう。

 今日の私は、とっても幸せです。

 

 【終】

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